初恋スノードロップ

「行きたくないな……」

 コンコンとややゆっくりなペースで響く名前のヒールの音は、確実に指令長官室に近づいているわけで。

「はぁ……。大丈夫かなァ……私」

 ため息ばかりつく自分自身に嫌気がさしてしまいそうだ。と思いながらも仕事だから仕方がないのだからキチンとメリハリをつけないと!と自分を奮い立たせ上司のいる場所へ向かう。がその足は遅いままだ。

「なんで出来ないんだろう……目、見るの」


 そう見れないのだ。上司であるスパンダム長官の目を見れずにいる。しかもこの症状は長官秘書になってはや三日目にして出てしまった。




 嫌だと精神は拒否していても目的地には着いてしまうもので、

「おはようございます……」
「おせェよ! 何時だと思ってンだ!」
「も、申し訳ありません!」

 扉を開けると飛んできた怒号にビクリと方を跳ねさせた。それでも吃りながら謝罪をした名前だが目は見れずにいた。

「ん!」
「え?」

 イラついているスパンダムから差し出されたものを名前はまたも相手の目を見れず離れた場所からそのモノを見ていると。

「昨日おめェが忘れて行った書類だよ! というかなんだァ昨日は突然」
「え、あ。……あれは」

 そう昨日名前は書類をスパンダムから渡されそれを受け取った途端うさぎのように自室へ帰ってしまった。たかが手が触れたというだけで。しかもスパンダムが身につけているグローブ越しに触れたというだけだ。

「ご、ごめッ……申し訳ありませんでした……。じ、自分でも、よ、よ、よく分からなくて」
「はぁ? それはどういうことだァ?」

 詰まりながらも言葉を出した名前だったが、スパンダムにそれ以上の回答を求められると自分は余計な言葉を出したと思った。あのまま謝罪だけでスムーズに事が運んだかもしれないのにと。

「い、や……あのッ……」
「はァ……もういいよ。で? 今日の2時からの会議の事なんだが」
「は、はい!」

 バタバタと仕事用の分厚い手帳を開きながスパンダムの傍に走った名前だったが、フワリと漂った香りに立ち止まってしまった。

「あ? 名前?」
「え、っと……あ、あの」

 ぶわりと全身の熱か体を駆け巡り、身動き取れなくなってしまった名前の脳裏には先日、手が触れ合ったその瞬間にもした香りを思い出していた。
 そう、確かにあの香りはスパンダムからした。それがまた名前の鼻を擽り記憶を呼び、彼女の全てをおかしくさせる。

「……な、なんでも……ない、です」
「……んだそれ。なら早く来い」
「はい……」

 名前は手と足とが同時に出るというおかしな歩き方で上司に近づくとまたあの香りが脳を刺激した。
 クラクラするような、芳甘のような彼女を壊すこの香りは何だと。

「……えっと、今日の会議の……っと!」
「!」

やっとの思いで上司の元へ辿り着いた彼女は余程焦っていたのだろう。持っていた手帳を捲っていた指先が勢いが良すぎたのか手元から離れてしまうほどだ。
 バサりと落ちたそれを急いで拾おうとした時だ。

「あ、……!」
「あ? ほら」

 サッとそれを拾った上司とまた、手が触れ合ってしまった。
 しかし今回はうさぎの如く跳んで行ったりしない彼女はどうした事か、手帳を取ろうとした体勢のままフリーズしてしまった。

「名前?」
「……あ、……」

 不思議な体勢で止まってしまった名前をやや口角をあげ鼻で笑うスパンダムは、時間が止まったように動かなくなった彼女を元に戻すとてつもない発言を放つ。

「名前、おれのこと好きなんだろ?」
「……え? ……は、え? な、なに?」

 この発言は名前にとって思ってもみないことだ。彼女はここ数日自身の行動は何らかの病気かと症状が出る度思い悩んでいたほどだったのだから。
 フリーズしていた中途半端な体勢を元に戻し今の発言の意味を問おうと、たどたどと言葉を発した。
 
「ち、ちょう……かん? 今、なん、て?」
「まァ、おれに惚れるのも分からなくもないがな。長官だしな」
「ほ、ほれ?!」

 何故ここまで上から目線で自信満々なのかはよく分からないが、スパンダムも彼女の気持ちに満更でもないようで、ニヤニヤとだらしない顔をしている。

「う、うそ……」
「ではないだろうなァ。名前の行動的に?」
「えー。……ヤダなぁ」
「どういうことだよ! おれ上司だぞ?! 長官だ偉いんだ!」

 だから何だと言うスパンダムの発言は置いといて、名前は自身の症状が病気ではなかったという事で一安心したが、それよりも上司であるスパンダムに好意を寄せているからこその症状ということを中々受け入れられないでいた。

「だって、長官ですよ?」
「ンだよ!」

 先ほどより目線が逆転した姿勢で、上司をジトリとした目で見つめると、またぶわりと熱が蘇った。それに加え自分のではないような異常な程の心拍数に、ふと「なるほどそういうことか」と納得してしまった。

「……長官なのに。……道力9なのに」
「それは関係ねェだろ?! いいんだ! おれは偉いんだ!」

 名前の中で今すぐに彼への恋心というものを壊したくなった瞬間が早々きてしまった。だが、身体というものは正直で、喧しく喚いている彼を見ても先ほどから心体の熱は冷めることなくそれどころか心地よくすら感じるほどにまでなってしまっている。

 彼女の所謂、初恋というやつはこれからどう実るのかはまたのお話で。
 この上司と部下という関係には似つかわしくないふわふわした雰囲気はいつまで続くのやら。
 おそらく暫くはこのままなのだろう、何故ならまだ彼が自分が偉いから部下である彼女にしつこく言っている。のだが、聞いている彼女は上司が噛んだり少し言い間違いをするとそれに茶々を入れ怒られている意識は全くない。それどころか、ふたりはこのやりとりを楽しんでいるかのようだ。
 なのでこの不思議な空気感は誰かに邪魔をされなければいつまでも続くようだ。

「だからな名前、おれは」
「偉いんですね。はい、はい」
「はい。は、いっ」
「1回ですよねー」
「おまえはッ!」
「怒ると血圧上がりますよ」

 ふたりがこれを楽しんでいるのも謎だ。
 相も変わらず名前の心拍数は上がったままだったが、確実に変わった事がひとつ。
 それはスパンダムの目を見て会話をしている事だ。これはおそらく自身の心情を理解したからだろう。

「スパンダム長官」
「あ? なんだ急に」
「ふふ。私スパンダム長官が好きなんですね」
「! だろうなァ」

 いつになればこのふわふわな空気が終わるのだろう。おそらく当分の間ないのだろう。



−END−

お題:瑠璃様

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