これの続き
「ふふんふふんふふーん♪」
思わず口ずさんでいた鼻歌は、白濁した息と一緒に空へ上ってゆく。少し立ち止まって、それが消えてなくなる場所に目を細める。冬だ。ここは雪が積もるような地域ではないけれど、空気はすっかり凍えていて、せっかちなイルミネーションが並木道を彩り、その訪れをたしかに伝えている。マフラーに顔をうずめて、私はまた歩き出した。
「随分とご機嫌だな」
「伊織! どうしたの?もしかして、つけてた?」
「なっ! そんなわけないだろう! 偶然だ!!」
「ふ〜ん?」
「そ、そんなことより! ポケットに手を突っ込んで歩いていたら危ないだろう」
伊織は私の左手をポケットのなかから引っ張り出すと、そのまま自分の右手で包んでしまう。そっぽを向く伊織は耳まで真っ赤で、恥ずかしくなるくらいならやらなきゃいいのに! なんて思ってしまうけれどやっぱりにやけが止まらない。
伊織がゆっくりと視線を前に戻すと、その瞳に並木道の青のイルミネーションが灯った。綺麗。私にじっと見つめられていることに気づいているのかいないのか、目は合わせずに「今日の公演、」と切り出した。
「観に来るのなら一言あってもよかっただろう」
「あー……別に隠してた訳じゃないんだけど。ごめんね。私のケジメっていうか、なんていうか。上手く言えないんだけどさ」
「けじめ?」
そう、ケジメだ。師走はいつだって、クリスマス嫌いな私をおいてけぼりにして駆けてゆく。どんどん加速するクリスマスという流れに、私は必死に抗っていた。カンパニーのクリスマス公演、響也のくれたチケットの座席、駅前広場の大きなツリー。ぜんぶぜんぶ、はじめから用意されていたモノ=Bずっとずっと、私が目を背けていた現実=B去年のあれに、私の選択≠ヘあったけれど意志≠ヘなかった。
去年は響也が用意してくれたあの席を、今年は自分で買って観に行く。これは私の意志。聖夜のラブレターのアンコール公演が行われるという情報を聞いたときから考えていたことだった。
「それでおまえのけじめ≠ニやらが果たされたのなら、俺は何も言うまい」
「……ありがと」
本当はもう一つ、果たさなければならないけじめがあるんだけど。……というのは黙っておく。
「……なまえ。今年のクリスマス、一緒に過ごしてもらえるだろうか」
伊織の申し出に、思わず一瞬フリーズする。……これってもしかして、もしかしなくても、クリスマスデートのお誘いだよね!?
***
待ち合わせはクリスマスイブの12時、カンパニー近くの喫茶店だった。他愛のない話をしながら軽食を済ませ、駅前のショッピングモールへ向かった。ひととおり回り終えた頃、腕時計に目をやって時間を確認した伊織は「そろそろだな」と言って私の手を引いた。
「なにが?」
「すぐにわかる」
……見えた。わかってしまった。伊織の言った通りだ。わかりたくなかった。駅前広場の大きなツリー。伊織はそこに向かっている。
どちらともなく立ち止まり、ツリーを見上げた。一年前の今日、この場所で、私は――
「なまえ。俺は、おまえのことが――」
「待って!」
デジャブを感じるセリフを、私は条件反射のように遮った。ああ、またデジャブ。
去年のクリスマスイブ、公演の後に伊織に告白されたとき、本当は嬉しくて仕方がなかった。死んでも良いとさえ思った。でも死んでしまったら恋は叶わない。私は伊織のことが好きだった。大好きだった。病的と言っても過言では無いほどに。だけど私はその事実から目を背けてぜんぶ伊織のせいにして、そのくせ都合よく伊織の優しさに甘えて。……最低だ、ほんとうに。
「なんで、どうして、先に言っちゃうかなあ」
そう、これがもう一つのけじめ。私は、一年前の告白をやり直さなければならなかった。だから、伊織がこの場所に向かっていると気づいたときには、同じことを考えてくれていたことを喜ぶどころか、焦りを感じざるを得なかった。
当時の私にとって、伊織は完璧にうつくしく、神にも等しい存在だった。それは今も変わらないけれど、それで私は伊織には不釣り合いだなんて自分のものさしだけで勝手に決めつけて、伊織が見ている私≠ノ気づこうともしなかった。
「……去年のことは、俺も反省していたんだ。おまえの事情も考えずに自分の気持ちだけを押し付けて、挙げ句、弱みにつけこんだ」
「ちがう! 伊織は悪くない! 私が悪いの。私が、自分のことばっかりで、伊織の気持ちを全然考えてなかった。私は、私を好きだという伊織を否定した」
「……埒が明かないな。なまえ。俺は去年、おまえに想いを告げることすら許されなかったのだぞ。……少しくらい、格好を付けさせてくれ」
伊織の長いまつげがせつなげに揺れる。懇願するような声色に胸がきゅうと締め付けられるようで、Noと言えるはずもなくしずかに頷いてしまった。私はつくづく伊織に弱い。
「ありがとう。なまえ。俺は、おまえのことが好きだ。愛している。……おまえは、どうなんだ。今のおまえの口から聞きたい」
「……うん。私も、伊織のことが、好き! 大好き!!」
もう逃げない。迷ったりしない。私は、伊織が好きだと言ってくれた私を信じる。
「ところで、やりきったような顔をしているところ悪いが、まだクリスマスは終わらないぞ」
「え、」
そういえば伊織には、24日と25日の両方を空けておくようにと言われたっけ。……まさか、ね。とはいえ伊織の家に泊まるのは初めてのことではない。それこそ去年のクリスマスイブは、「一緒にいてほしい」という私の願いを律儀に叶えてくれた。だけど今日は?お互いの気持ちに気づいていながら曖昧に片付けた一年前とは訳が違う。
「クリスマスらしい料理を仕込んでおいたんだ。口に合うといいのだが」
そうだった。伊織ってこういうおとこだったわ。私は思わず笑みをこぼす。意味深な台詞も本人にとっては至って真面目で、わかっていても毎度どきっとさせられてしまうのだ。気が抜けたらなんだかお腹が空いてきた。
「伊織の作った料理なら、なんだって美味しいに決まってるじゃない。早く帰ろ!」
私は伊織の手を握って歩き出す。まもなくして伊織の大きな歩幅が私に追いついて、その速度をゆるめた。それだけのことがどうしようもなく嬉しい。私たちは、上手く恋人同士になれただろうか。近づいたり遠ざかったり、追いかけたり追いかけられたりしながら、やっとお互いの手と手が繋がる距離に落ち着いた。きっとこれから先、なにかのはずみでこの手を離してしまうことだってあるかもしれない。それでも此処が、伊織の隣が、私の帰る場所でありますように。
//20171231