middle&short
  • eins




    父を最後に見たのは、もう何年も前のことで、アルバムの中でマジックを披露している姿でさえ、日差しに焼かれてはっきりとしない。小さい快斗のまろい頬を、おそるおそる人差し指でつついている写真が快斗は好きだったのだけれど、その写真も無情な日光のせいで煤けた紙切れのような有様なのだ。


    父、盗一と母、千影は快斗が小学校へ入学するよりも前に離婚している。離婚理由は性格の不一致だとかなんとか。


    キャリーケースに荷物を詰め込み、快斗の手を握って出ていった母を父はどんな気持ちで見送ったんだろう。それからというもの、母1人子1人、文字通り2人3脚でやってきたわけだが、快斗はどうしても虚しかった。


    小学校へ入学すれば、父兄参観なんてものもあったし、無垢な子どもの『どうして』は幼い快斗には鋭く突き刺さった。
    どうして快斗くんにはおとうさんいないの、と問われるたびに、快斗は唯一父から教えてもらったマジックを駆使してその場を切り抜けた。
    話題を逸らして、そうやって遠ざけて、皆におかしなヤツだと思われないように必死になって協調性を研いだ。


    周りより抜きん出ていた頭脳は、隠さなければならない類のものだと知っていたから。周りに合わせて、溶け込まないと簡単にはじけ飛ばされてつまみ出されるから。


    元来の明るい性格が幸いだったのか、友人もできたし、対人関係で悩むことだってあったけれど、概ね良好な日々を過ごしていた。でも、いつからか母が携帯を手放さないようになった。
    チラッと画面を見てみれば、メールをしている時もあるし、快斗が寝ていたりどこかにでかけている時は誰かと電話もしているようだった。


    「母さん、誰と電話してんの?」


    誰と話してるんだろうと不思議になって、1度聞いてみた。そうしたら母は、とっても穏やかな声音で



    「お友達よ」



    と、にこやかに答えた。そっか、お友達か。母さんにも仲良しのお友達がいるのか。
    母が嬉しそうなものだから、快斗も嬉しくなってにこにこ笑っていた。
    運転中や、ご飯中にまで携帯を手放さないのは、危ないしお行儀が悪いのではないかと思ったけど、母が楽しそうだったから別に良かったのだ。


    ほんの少しの気苦労を抱えつつ、しかし順調に小学校を卒業した快斗は中学校に入学した。心機一転、別の地区から通ってくる生徒もいるのだ、不安だってあるけど快斗は中学校生活が楽しみで楽しみで仕方なかった。


    「快斗ー、母さん明後日、友達とお出かけしてくるから」


    晩ご飯は冷蔵庫の中に入れておくからね〜、と間延びした声で母がそう言って、弁当を渡してくる。
    快斗が中学生になってから、母はよくお友達と出かけるようになった。


    「へいへい、じゃあいってきまーす」


    いいことだ、と思う。別に快斗だって中学生になったのだし、ちょっとぐらい母が遅く帰ってこようと気にしないし大丈夫だ。子育ての息抜きがてら友達と出かけるという、母なりのストレス解消方法なのだと納得していた。

    中学生になってからは部活や、めんどくさいテストを渋々ながらもこなす日々だったが、快斗はわりと今の生活が気に入っていた。友人もいる、学校は楽しい、親との関係も良好。鼻歌を歌いながら通学路を走って登校するのがお気に入りで。


    はじめて、好きな人だってできた。席がちょうど隣同士になって仲良くなって、仲の良いグループ全体でのことではあるが、花火大会だって行けたし皆でたくさん遊んだ。告白しようか、どうしようかなぁと悩んでいたら、逆に告白されて。
    すごく恥ずかしかったけど、それより嬉しい気持ちの方が大きくて、照れながらではあるけれどお付き合いしてください、と快斗から伝えることだって出来たんだ。


    「なぁなぁ母さん、俺さ、」


    彼女ができたんだ、今度紹介するな。
    そう動くはずだった快斗の口は、そのまま固まって、ゆっくり閉じて、そして奥歯を噛み締めた。楽しそうに、母が電話をしている。
    きっとお友達だ、今は邪魔しちゃいけない。
    そう思って、快斗は一旦引き下がった。思えばこの時、引き下がらずにいたら何か変わったのかもしれないな、とふとした時に自嘲する。

    タイミングが掴めず、母に恋人のことを伝えられないでいると、快斗にある疑問が浮かんできた。


    ―――いくら何でも。


    頻度が多すぎる、と快斗は母にはじめて疑いの眼差しを向けた。朝、起きて母におはようと言うよりも先に着信を知らせる携帯電話。夜、快斗が眠った後も携帯を手放さない母。
    1日中携帯を離さないのは、おかしいんじゃないか。それに、快斗が1番異常だと思ったのは、母の顔、表情だ。

    眦を下げて、口角をすこぉしあげて、瞳はキラキラしていて。

    柔らかい表情で話すその表情をどこかで見たことがあるような気がして、気が付かなければよかったのに、快斗は気付いてしまった。


    「おんなじ、じゃん」


    快斗に話しかけてきてくれる、彼女の嬉しそうな楽しそうな表情と、母が電話口やメールを見つめる時の表情が。

    ―――恋をしている顔が。

    その疑問は快斗の中で確信に変わった。母はそのお友達に恋をしている。それは間違いない。
    そりゃあ、少し複雑なところもないわけじゃないけれど。母が幸せになれるなら、快斗はお友達のことを父さん、と呼べると思うんだ。

    悩みながら迎えた修学旅行では、あいにくの雨に邪魔されたものの楽しく過ごせたと思う。楽しそうな彼女の表情が、何故だかまぶたの裏側にくっついて離れなかったけど。

    修学旅行から帰ってきて、快斗は何気なく、母がお土産に夢中になっているうちに、いけないことだとわかっていたけどほんの出来心で母の携帯を覗いてみた。メールボックスの中をちらりと見遣る、そして快斗は頭を金属バットで殴られたような心地を味わった。


    甘ったるい口調や文面はもう構うまい、それより母とお友達が両想いのようで、それは単純に嬉しかった。だけど快斗は金属バットで殴られた。


    お友達は妻子のある身だったのだ。それも、2人の女の子。快斗と年子で、上に1人下に1人。
    携帯に触った痕跡を消し去って、快斗はその日晩ご飯も食べずに部屋に引きこもった。体調が悪いと言えば、母はアッサリ引き下がってくれたのでありがたい。


    金属バットで殴られた頭が、心が痛かった。


    「…なんで?」


    母は確かにお友達だと言ったのに。これは所謂、不倫というやつだろう?
    悪いことは、不誠実なことはしてはいけないと母は快斗によく言い聞かせていたのに。その母が1番、不誠実ではなかろうか?

    嘘をつかれて悲しいのと、お友達の奥さんや子どもたちへ罪悪感が募って苦しい。

    浮かない顔で学校へ行っても、気分は浮上しないし、それどころか心配してくれる彼女の姿が母と被って見えてしまって、余計にしんどくなるという悪循環の繰り返し。


    「…ほんとに、ごめん。」


    辛くて辛くて、彼女は何も悪くないのに、快斗の方から別れを切り出した。何も言わずに、ただ別れて欲しいと言った快斗に、彼女は何も聞かなかった。
    理由も何も聞かずに、ただ穏やかに受け入れて頷いてくれた。優しくて、とても良い人だった。快斗には勿体ないくらい。


    「ごめんな」


    何度も何度も繰り返し謝る快斗に、一緒に回った修学旅行先の店で買った、ガラス細工のキーホルダーをくれた。

    曰く、いつわたそうかなやんでたの。
    曰く、いつかあおこよりすきなひとができてそのひととしあわせになれたら。
    曰く、すててね。

    金色のピカピカした金具が嵌められた、レモンイエローのガラス。シンプルなデザインのそれは彼女のセンスの良さが窺えて、快斗は家に帰ってから少しだけ、キーホルダーを握りしめて立ち尽くしていた。


    このままではいけない、と一念発起して、快斗は真剣に母に聞いてみることにした。母の口から真実が語られるのはとても怖かったけど、それでもこの人の息子だから、聞かなくちゃ。


    「うん、そうね。母さんね、あの人が好きなのよ。けどあの人には2人の子どもがいて、奥さんもいる。」

    「じゃあ、なんで」

    「子どもが親元を離れたら一緒になろう、って約束してるの」

    「…そっか。」


    申し訳なさそうに、眉を下げてそう言ってくるから、快斗はもうそれ以上何も言えずに口を閉ざした。
    沈んだ心のまま、つまらない日々を過ごして、そして不意に思いついて、タンスの奥に仕舞われていたアルバムを引っ張り出してきた。無性に父の顔が見たくなったから。そして見つけた写真はどれも日焼けしていて、父の顔がわからないものばかり。
    …はた、と快斗はまた気付いてしまった。


    「父さんって、どんな人だったっけ…?」


    顔が、声が、匂いが、思い出せないことに気付いてしまった。頼みの綱の写真は役に立たないし、途方に暮れていたら1枚の写真が目についた。
    それが、父であろう人が幼い快斗の頬を指先でつついている写真だった。セピア色の写真をひっくり返してみると、そこにうっすらと数字が書いてあった。電話番号だとすぐに気がついて、快斗は縋るようにその番号へ電話をかけた。

    父の番号である、と信じて疑わなかった。


    「…はい、寺井でございます」


    聞こえてきたのは、黒羽なんかじゃなかったけど。


    「……寺井、ちゃん?」


    震える声で、年のせいか少し掠れてしまった声の持ち主の名を呼ぶ。それだけで、寺井は電話をかけてきたのが快斗だと分かったらしい。電話口で坊っちゃん!?と焦る声が何だか笑えてしまって、思わずくすくす笑ってしまった。

    そして聞かされた父の行方に、快斗はその目が乾いてしまうのも構わずに、目を見開いて静止した。


    じわじわと水の膜が眼球を覆って零れても、快斗は寺井の言った言葉を受け止められずにいた。


    「快斗坊っちゃんが小学1年生の頃でしょうか…ショーの最中、爆発に巻き込まれて」


    寺井が何か言っているような気がするが、耳に入ってこない。電話を切って、胎児のように膝を抱えて丸くなる。会えない、声が聞けない、顔が思い出せない。


    葬式にすら、呼ばれなかった。


    悲しいなぁ、と快斗はしくしく泣いた。
    苦しい、と快斗はぽろぽろ泣いた。

    母さんのことだって、こんな中途半端なままじゃ居心地が悪いだけなのに。いっそ嫌いになれたらよかったけど、だけど快斗を女手一つで育ててくれたのは母さんだから。

    のろのろと、かたつむりといい勝負ができるような速度で快斗は体を起こした。パソコンの電源を入れて、インターネットを開く。


    こうなったら、何が何でも父の写真の1つでも手に入れたい。


    そうやって、また、余計なことをしなければよかったのに、快斗はまたまた気付いてしまった。ネットサーフィンをすすめるうちに、快斗の優秀な頭脳が告げたのだ。黒羽盗一は怪盗キッドであり、その死因はパンドラと呼ばれる宝石を狙う組織による他殺だ、と。

    項垂れて、考える、思考する。
    悩んだ結果、寺井に電話をかけてそれとなく、怪盗キッドについて匂わせてみたら、寺井も覚悟を決めたのかすべてを話してくれた。寺井の話を聞き終わった快斗は、その日のうちに、家族3人で暮らしていた家に向かっていた。寺井の話では、快斗の部屋だった場所に秘密があると。

    そして見つけた、怪盗キッドの証拠の数々。入るなり聞こえてきた声は、懐かしい父さんの声で、快斗はしばらく何もしないでただ録音された声を聞いていた。

    大丈夫、もう忘れない、父さんの声忘れないよ。

    2代目怪盗キッドになる旨を寺井に伝えれば、なにかに耐えるように唇を噛み締めて、それから協力を申し出てくれた。若干、声が、震えていたけど。

    怪盗キッドとしての仕事も、快斗にはつつがなく遂行可能だった。窃盗にたいしての罪悪感は凄まじく快斗にのしかかってきたが、こんなもの何ともない、大丈夫、大丈夫だと自分に言い聞かせて、宵闇をひたすら疾走する毎日。
    ふとした瞬間、ほんの瞬きほどの短い時間に、とてつもなく苦しくなって虚しくなってしまって、幼い頃に快斗を刺した言葉を思い出してしまう。



    ―――どうして快斗くんには



    「…誰か、どうにかしてくんねーかな」


    時々、そう零してしまうくらいには、さみしくなる日もあるけれど。

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