middle&short
  • zwei




    怪盗として活動を続けていると、なかなかおもしろい出会いもあった。ちっちゃい癖にいやに肝の座ったクソガキとか、やたら喧嘩売ってくる爺さんとか。
    快斗は彼らを見るたびに、羨ましいなぁ、と素直に思う。
    羨ましい、いいなぁ、何の気負いもなく過ごせて、いいな。可哀想な奴だと同情されたいわけじゃないけど、快斗だって縋れるものなら縋りたい。


    「目的の宝石は見つかったみてーだな」

    「えぇ、おかげさまで」


    だらんぬ、と怪盗紳士にあるまじきだらしない体勢で答えた快斗は、背後を振り返ることもせず手の中でころころと宝石を転がした。父の死の原因、命の石、パンドラが今快斗の手の中にある。
    見た目にミスマッチな低音で快斗に声をかけた小学生が、起き上がろうとしない快斗を怪訝に思ったのかとなりに座った。何を話すわけでもなく、ただ黙ってそこにいるだけ。沈黙の春、しかしひどく気分がいい。


    「これ、差し上げますよ」


    厄介な好敵手として調べるうちに、キッドキラーの正体についてもおおよそ目星はついていた。ほんのお節介心で、快斗はぺいっと名探偵にUSBメモリーを投げる。中身はとある毒薬のレシピと解毒薬のレシピのふたつ。


    「…ほんとハートフルだな」


    一体何のデータなのか察しのついたらしい名探偵が、呆れたように、けれど嬉しそうに零した。それがさらに快斗の気分を上昇させて、つかの間の平穏にじっくり足先から浸る。ぬるま湯のような、居心地が良すぎるそんな空間にずっといたくて、快斗はパンドラを名探偵に差し出した。


    「それの報酬に、これを砕いてくださいませんか。本来なら私が砕くべきなのでしょうが。……少々、疲れてしまいまして…」


    シルクハットの下で、何とか振り絞って細い声でそう言う。その言葉をどう受け取ったのか知らないが、名探偵は無言で快斗の手からパンドラを受け取ると、これまた無言でキック力増強シューズのダイアルを最大にまで上げて、そして思いっきり、コンクリートの壁に向かってパンドラを蹴り飛ばした。ワーォダイナミックブロークン。

    案外脆かったのか、パンドラはガラスが割れるような音と共に砕け散った。それを見届けた快斗は、今度こそ体の力をふにゃふにゃと抜いた。真冬の朝の布団の中にいるように、もうここから動く気はZEROなのだ。


    「頑張れよ、名探偵。幼馴染みの蘭ちゃん、もう待たせねーようにな」


    あぁダメだ、段々眠たくなってきた。
    ずいぶんと長い間、ずーっと気を張っている生活を続けていたからかその反動が今出てきたようで、落ちてくる瞼に、ガラス細工のキーホルダーをくれた彼女が笑う顔が浮かんできた。
    恋する顔はやっぱり母と同じで、快斗はもう疲れてしまった、と溜息を吐いた。もういいだろうか。もう、休んでもいいだろうか。


    「何言ってんだ、鬼ごっこはまだ終わっちゃいねーぜ?江古田高校の黒羽快斗さんよぉ」

    「ばれてーら…」


    レモンイエローのキーホルダーが脳裏に浮かんでは快斗を急かす。幸せになれたら捨てろだなんて、本当に彼女は快斗には勿体ない女の子だった。
    なんてひどい名探偵なんだろう。止まるな、走れ、逃げてみせろと快斗を無理矢理立ち上がらせて、ゆっくり休ませてくれないだなんて。


    「大学生としてまた会おうな、月下の奇術師さん」

    「ははっ、それもいいかもなぁ。そん時はよろしく、愛しの名探偵」

    「冗談言ってる元気があるならもう平気だな」


    快斗を気障だという割には、名探偵だって大概気障っぽいと思う。ひらひら、と小さな手を振って、名探偵が去っていくのを見送りながらようやく快斗も起き上がった。


    「本気だって言ったら、引かれるよなぁ」


    誰が見ているわけでもないのに、無理矢理口角を上げて笑ってみせる。ぱたた、とコンクリートに雫が滴り落ちた。


    夜風が目に染みて痛い。


    ※※※※

    大学生としてまた会おう、そう再会の約束を取り付けた名探偵に、快斗は『そうきたか』と砕けた女の涙を眺めていた。
    赤い涙はもうぼろぼろの欠片で、烏の濡れ羽根のようにしっとりと染み込むような黒の世界の中に1人、取り残されたような錯覚に陥る。


    名探偵はきっと、東都大学あたりに進学するのだろうな。


    そう予想を建てた快斗はというと、実際、進学する気はさらさら無かった。母子家庭で進学に必要な大金を用意できるとは思えなかったし、何よりも早く、快斗は母のいる家から出たかったから。


    それなら1人暮らしをすればいい、そう思って不動産をいくつかピックアップしたりしていたが、ここで思い出してほしい。
    母は、子どもが親元を離れたら一緒になるのだと言っていた。快斗が大学生となった時、お友達の娘さんはまだ高校3年生なのではなかろうか。

    上の娘さんは問題ないとしても、もし高校生、それも受験を控えた大事な時期の高校生が突然家庭状況が変化して、なんてことになったらマズイだろう。…あぁ、ダメだ。まだ、家から出るわけにはいかない。

    快斗という瘤が巣立てば、母はお友達と会う頻度も電話やメールをする回数も、きっと今と比べ物にもならないほど増える。そうなってしまっては本末転倒だ、お友達の娘さん、奥さんに気付かれるわけにはいかない。


    気付いてしまって、いい事なんて1つもないんだよ。






    ごめん母さん、俺はまだ、母さんを縛るよ。




    母への負担の軽減を図るため、奨学金を申し込んで試験にのぞんだ。ハイスペックな灰色の脳細胞を駆使し、特待生制度だって掴んだ。

    あーぁ、俺なにやってんだろうな。

    進学する気なんて無かったのに、名探偵とまた会うためだけにこんなことして。胸の奥、心臓のうっすらと脈打つ肉の壁の中に封じ込めた想いが今もなお燻り続けている。ボヤ騒ぎなんてことにならないよう、厳重に鍵をかけて、重りをつけて、そして血潮の海にそれを沈めた。




    「今日暇なら黒羽の家行ってもいいか?」

    「うーん、俺は別に構わないけどあんまりオススメはしねーよ?それでもいいなら」

    「おー、助かる。コンビニで色々買って行くからよろしくなー」


    予想通り東都大学へと進学した名探偵は、入学初日に快斗の姿を見つけるや否や、それはもうにっこにっこと天使のような笑みで快斗の右手をがっちり握った。


    「俺、工藤新一ってんだ。よろしく」

    「それ俺のセリフなんだけど…こちらこそよろしく。俺の自己紹介はいらないだろ?」


    逃がさねーぜ、という意志が手のひらからミシミシ伝わってくる。一応これでもマジシャンを目指す身なのだが、もう少し手加減というものは……無かった。この人名探偵だった。2人してニシシ、と笑って、とりあえず飯行く?なんて、そんなお気楽な関係がはじまった。


    あぁ、なんて楽しい、楽しい!


    恋しい人と過ごせる毎日が楽しくて仕方ない、新一と一緒にいる時だけは、脳裏に恋する乙女の表情は浮かんでこなくて、心の底から楽しめた。一緒にいて肩の力を抜ける存在というのが、いかに大切であるか快斗はしみじみと思う。
    胸の奥で、ゆらりと鎌首をもたげた欲望には全身全霊で蓋をした。


    ―――これは、いらないもの、だ。


    午後のやたら長く感じる講義も終わり、新一と一緒にコンビニで適当に酒類やらつまみやら、それから軽く食べられるものを買って快斗の家へ向かう。家といったが、どうしたものか。
    怪盗キッドを引退したとはいえ、アジト用に契約していたマンションの1室がまだあったはずだ。ハウスクリーニングを手配していたし、綺麗なままのはず…よし、そこに行こう。そこで一人暮らしでもしている設定にした方が、何かと都合が良さそうだ。隠すも何も既にバレているのだが、まぁ一応、奇術師はぬばたまに溶かしてしまわないと。


    広いマンションの1室は新一のお気に召したらしく、人の家だというのに勝手に探検していた。とりあえず冷蔵庫に要冷蔵のものを仕舞いながら、可愛いなぁとそれを眺めていると満足したのか帰ってきた。


    「明日の天気、荒れるらしいな。教授が愚痴ってた」


    ビール、梅酒、チューハイ、それからこれはウィスキーか。ずいぶん買ったもんだ、今日は酒盛りだな。


    「あー、らしいな。台風だっけ?」

    「そ。上陸したらしいから」


    たわいもない話をしながら、それぞれ好きな酒を片手にリビングのソファへ並んで座る。適当につまみはナッツ類の袋を開けて、ポリポリ食いながらテレビをつけた。


    「あ、DVDでも借りてくりゃ良かったな」

    「ドラマかニュースしかやってねー」


    安っぽい愛の言葉がテレビの中で飛び交っている。つまらない恋愛ドラマを冷めた感覚で眺めてはアルコールを舌先に乗せて、口の中に含んで飲み込んだ。
    苦いな、次はチューハイでも飲もう。
    ぐいっと一息に、ぬるくなった缶ビールを飲み干してチューハイの缶に手を伸ばす。


    『どうして気付いてくれないの』


    あまり好きではない女優の、安っぽい三文芝居のセリフに快斗は微かに指先を揺らした。いけない、酔いが回ってきたんだろうか。引退したとはいえ、ポーカーフェイスを信条としていた怪盗紳士が情けない。
    一瞬、喉の奥で詰まった呼気を手招きしてゆっくり、細く、吐き出して空気中へ見送った。


    『誰か私を助けてよ』


    見たくない、本能がそう呟いた。
    手にとったチューハイの缶をテーブルの上に戻して、そのまま快斗はソファに背を預けて体を沈めた。ほどよい弾力のソファは快斗を柔らかく受けとめて、ずぶずぶと深く沈みこませる。


    「ちょっと悪酔いしたから寝るわ」

    「おー、了解」


    本当は酔ってなんかいない、ほどよい酩酊感を味わうつもりだったのに耳障りなセリフのせいで気分は最悪だ。


    …快斗は最近、よく眠れない。目を閉じても逆に目は冴えるばかりで、睡眠薬を服用して気絶するように眠りについても、なんとなくスッキリしないのだ。休日に浅い眠りを繰り返して、それでも熟睡できなくて財布と携帯だけを手に、よく夜の帳の中をさまよっている。

    原因、というかなんというか。

    母がお友達と電話をする頻度が、ぐっと増えたからなのかもしれないが。


    幸せそうな表情はキレイなはずなのに、電話口の毒々しくて甘ったるい声は、どうしても快斗の不快感を煽る。気持ち悪い、そう思えてしまって、快斗はいつも母が電話をはじめると、イヤホンをして大音量で適当な音楽を聞いている。
    曲と曲との隙間にするりと入り込んでくる声が快斗には気持ち悪くて、どうしようもなく吐き気すらわいてくる。


    知らず知らず、自分でも気付かないうちに心を蝕まれている。寝たい、寝てしまいたい。


    目の下の隈を、変装の類にもよく使った化粧で隠して仕上げにポーカーフェイスを塗りたくるだけでいい。それこそ無意識のうちに己を封じ込め、縛り上げて隠してしまうのが得意になった。


    「おやすみ、快斗」


    缶ビールを片手に、ぞんざいな手つきで瞼を撫でてきた新一の顔は見えない。冷えた手のひらが案外気持ちよくて、擦り寄るように快斗は瞳を閉じた。


    瞼の裏、そこに座り込んでいた少女の顔はもう思い出せない。


    レモンイエローの、きらきらと幼稚で稚拙な光を湛えるストラップ。金細工で縁取られたそれはまだ、引き出しの中に仕舞ってある。

    捨てる日なんてきっとこないんじゃないかな。

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