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炭治郎の叔母、父の姉にあたる人は、赤い紅をひいた唇でいつも勝気に笑っていた。
その形の良い唇にのせられた紅がほんわりとほころぶ時、炭治郎は叔母から愛しているよ、と全力で伝えられたような心地になるのだ。たとえ鬼になろうと、人間の敵になろうとも。任せておいで、必ず守ってやるとも。
そう言って、抱きしめて甘やかしてくれるのがいっとう好きなのだ。叔母は、いつも硝煙の匂いがする。
人間の醜い負の感情を嗅がせまい、と炭治郎の鼻を気遣い、藤の花の匂い袋を沢山くれた。
お前たちをきっと守ってくれるだろうから、しっかと持っておくんだよ、と。今ならわかる、叔母は鬼の存在を知っていた。
そうして、何も知らないまま幸せに過ごせたならそれで良し。もしも危険に巻き込まれたのならその危険を必ずや退けてくれん、と銃を片手に笑う人だった。
禰豆子を背負い、炭治郎と手を繋いで歩く叔母は、寝ておらねばならぬというのに。
鬼と戦った際の怪我は、重傷であるというのに。しばらく会えぬかもしれんから、久しぶりに手を繋いでくれんか、とわがままを云うのだ。
傷を負っておきながら、そんなもの屁でもないわ、と歩く。せめて禰豆子は炭治郎が背負うといっても、譲ってはくれない。
手を引かれながら、その背中を見る。強い。強いのだ、この女性は。
母とも、姉とも違う。弟や妹に混ざり、お母ちゃん、と呼んだ時の嬉しそうな顔。幸せそうなその横顔。叔母は、いつも守ってばかりで、守らせてくれぬ。
いつか、いつかこの家族を守れるような男になる。そう決意して、炭治郎は叔母の手をキュッと握り直す。
鱗滝左近次、水の呼吸の育手。
かの天狗面の御仁に、深く礼をした叔母が去っていく。
「私の家族を、どうかよろしくお願いします」
ここまで潔く、懐の深く、情に厚い人物を炭治郎は知らない。叔母は、きっとこの先一生、炭治郎の憧れであるだろう。
そんな気がした。
修行が終わり、藤襲山での最終選別を突破した炭治郎を待っていたのは、叔母だった。
山の麓、藤の花を眺めながら、炭治郎のことを待っててくれていた。久しぶりに見る姿に、胸が熱くなる。
成し遂げたのだ、あなたの甥っ子は強くなりましたよ、と報告すれば、炭治郎の好きな顔でまた褒めてくれた。
よくやった、と撫でられることの、なんと心地の良い…。
鱗滝さんの元へ送ってくれるというので、共に歩いて帰る。疲労でフラフラな炭治郎に、昔ならば叔母はおんぶでもしてやろうとしただろう。
だが、叔母は決して炭治郎に手を貸さなかった。
嬉しかった。
一人前と認めて貰えたようで、炭治郎はゆっくり、フラフラな足取りではあるが、しっかり歩いて帰った。
手は貸さずとも、炭治郎の歩幅に合わせ、少し先の道で、待っていてくれる。
焦らずとも構わん、と見守ってくれることが、これほどまでにこそばゆいとは。やはり炭治郎は、お母ちゃんが大好きだった。
禰豆子が目を覚ましていた。
そして無事に帰ってきたことを喜ばれ、鱗滝さんに纏めて抱きしめられていた時。視界の隅で、叔母が敬礼しているのが見えた。
ゆっくりと遠ざかる背に、炭治郎は万感の思いで黙礼した。いつか、いつか。
炭治郎の成長を喜び、禰豆子の目覚めに喜び、ここまで親身になってくれる鱗滝さんへの感謝の念で涙を流す叔母に。
決して泣き顔を見せてはくれない叔母に。
必ず恩を返すのだ。
叔母の背中を預けて貰えるような、そんな男になるべく鬼殺隊の任務をこなす日々。
先輩や隠の人達とも連携をはかり、自らも修行する日々。先輩たちが、ここ数年で鬼殺隊はとんと働きやすくなったと話していた。
藤の家紋の家の方たちも、同じようなことを言っていた。それは喜ばしいことだ、と炭治郎も嬉しくなった。
任務をこなし、怪我を負ったままではあるが、炭治郎と禰豆子は裁判にかけられると無理やり捕らえられた。
禰豆子は人間を食っていない、といくら主張しても聞き入れて貰えぬ。そうだ、忘れていた。
任務の中できた友人や、己の家族があまりにも優しいから忘れていた。そうだ、鬼とは人間の敵であった。
だが、しかし、それでも。
妹は人間の敵ではないのだ。
やめてくれ、禰豆子を傷つけないでくれ。
あぁ、そんな、間に合わない、また禰豆子に傷を負わせてしまう、やめてくれ、禰豆子に刀を突き刺すなんて─────────!
「そこまで」
お館様の、産屋敷耀哉様の背後から、聞き覚えのある声と、嗅ぎなれた硝煙の匂いがした。
「そこな少年少女は私の身内と知っての狼藉か?産屋敷殿。」
お館様相手に、一歩も引かず、手を止めた風柱に無感情な顔で問いかける、軍服に身を包んだ女性。
叔母の登場に、炭治郎は身の内から力が抜けるようであった。叔母がいる、それだけで炭治郎達は安心できた。
「柱の皆々様も知らなんだか。産屋敷殿も人が悪い、鱗滝殿及び冨岡殿からの嘆願書はもう手元にあるだろうに」
もしやその嘆願書が手元に届いていたにも関わらず、私の家族に仇なそうと?
そう言って、叔母の紅が歪む。
叔母が、静かに怒っている時の顔だった。
そして知らされる嘆願書の内容に、炭治郎は多大なる恩を感じて涙が出た。
押さえつけられたままではあるが、炭治郎の顔を見た叔母が優しく微笑んだのを、見逃すわけがなかった。
風柱や炎柱、音柱なんかに口々に反対意見が出ても、叔母は一歩も引かなかった。
「控えよ。柱の皆々様の言動が産屋敷殿及び鬼殺隊への評価に繋がると分からぬか。」
穏やかに、たおやかに、お館様から叔母について紹介される。
大日本帝国陸軍大佐、鬼殺隊及び藤の家紋の家への多彩な支援を行う方こそ、こちらにおわす御方であると。
鬼殺隊と協定を結び、隊員が鬼を狩ることに集中できるように民間人の保護を一手に引き受け、隊員達の労働環境を整えることに尽力して下さった方だと。
この方おらずして今の鬼殺隊は無いと、お館様は断言された。
それは…それは、つまり。
炭治郎達が鬼殺隊に入隊しても尚、鬼になった身内がいるからと侮られぬよう。理不尽な目に遭わぬよう。
目に見えぬところで、叔母の庇護下に置かれたことに他ならんかった。
何故ここまでしてくれるのだろう。
禰豆子は、一番古株の柱の方の口添えもあって生き長らえた。良かった。
鍛え、任務をこなし、友と友情を育み、そうしてやっと、鬼舞辻無惨を追い詰めた。
叔母は正式に協定を公表していたので、大々的に大日本帝国陸軍の協力を得られた。
後ろを気にせず戦える事の、なんとやりやすいことか。叔母はやはり凄い人だ、と鬼を倒して倒して、そうするとなんと叔母と鉢合わせた。
あの日と同じだ。
雪の中、鬼舞辻無惨相手に一人で戦った夜と同じ。
銃を片手に、血だらけで駆ける叔母は、自分の方が傷が深いのに、炭治郎と禰豆子の顔を拭って、そして強い力で抱きしめた。
それから、炭治郎と禰豆子の目尻にんちゅ、と接吻してくれた。炭治郎はこれを知っている。
幼い頃、夜泣きをする弟に、同じように目尻に接吻する父を寝ぼけ眼で見たのだ。
ああ、ああ、もはや怖いものなど何もない!
叔母が黙って炭治郎達に背を預けるのを、震える心を抱えて走った。
叔母が銃で毒薬を鬼に撃ち込み、弱体化させたところを炭治郎と禰豆子が首を撥ねる。
鬼の首魁、鬼舞辻無惨を探して走り回り、すると突然、叔母がはるか後方に銃弾を撃ち込んだ。
叔母は鷹の目なのだろうか。暗闇のなか、寸分違わず鬼舞辻無惨を狙撃した。もはや人間の業ではないほどの腕前であった。
炭治郎はその腕前に唖然としたが、叔母が殺意に満ち溢れた顔をしておったので黙っておいた。炭治郎とて禰豆子を鬼にしやがった鬼舞辻無惨は憎い。
柱の方や友人とも協力して、その首貰わん、と刀を振るう。
何度も何度も、決して手を緩めずに撃鉄を起こす叔母を鬼舞辻無惨がちらりと見た。そうして、炭治郎達若い者たちは揃ってなぎ払われた。
炭治郎と禰豆子は、腹を裂かれて血を流した。
そこからのことは正直思い出したくない。
怒った叔母は、恐ろしかったのだ。
叔母の唇を彩ったのは、鬼舞辻無惨の返り血だった、とだけ。叔母は触れるのも煩わしい、と軍服で拭っていたが。
───────鬼の首魁は、いなくなった。
弱体化した残党の討伐、古の日の呼吸についての報告書、ないしはこれからのことについて。
炭治郎は目まぐるしく働いたが、叔母はもっと働いていたと思う。陸軍での仕事もこなしつつ、鬼殺隊に顔を出し、鬼を人間に戻す薬なんかも作り上げてみせた。
人間に戻った禰豆子を抱きしめ、叔母を振り返れば、なんともいえない顔をしておったので、まとめて抱きしめてやった。
仕方のない子らだ、とその胸に炭治郎と禰豆子を抱いてくれた。
そうして、産屋敷家三代かかっても終わらぬといわれていた後処理を十年程で終わらせてしまうと、叔母は陸軍から退いた。
やっと、やっと叔母が休める世になったのか、と思えば、置き手紙を残して姿を消す始末。
「何故いつもそう急なんですか!!!!!!!そして俺たちに甘い!!!!!!!盆と正月と俺たちの誕生日は同列ですか!!!!!!!?」
「お願いだからのんびりしてください!!!!!!!」
「「お母ちゃん!!!!!!!」」