ワードパレット/官能・当たり前・躊躇
「ほんっと、今日の撮影クソすぎた! さすがの俺でも、しばらくは悪夢見るレベルかも」
とある日の夕暮れ時。ホテルのラウンジで、俺は愚痴を言いながら酒を呷っていた。せっかく彼女と二人きりの時間だというのに、他に思い浮かぶ話題がない己を恨む。けれど、最初に"愚痴でもなんでも話してほしい"と言ったのは彼女で、現に今も俺の話を嫌な顔ひとつせずに受け止めてくれているから、問題はない。はず。
「……ねぇ、エンジェル。じゃあ今日は、私とお泊まり会しない?」
ぱちぱち。少し大袈裟な瞬きをして「……え?」と遅れて声が漏れる。
「悪夢を見そうなんでしょう? なら、寝る前まで楽しい気持ちでいたら、もしかしたら良い夢が見られるんじゃないかな、と思って」
彼女から伝わってくるのは、純粋な親切心。そこに、残念ながら他意はない。
「……うん、いいね。じゃあお言葉に甘えて」
そう返事をした後の、彼女の華やかな笑顔を見た時点で、俺の心はもう既に浄化されたような心地がしていた。
*
お泊まり会と彼女が称していたものは、所謂、女子会と呼ばれるものと同じような内容だった。モコモコのパジャマを着て、甘いスイーツを用意して、好きにダラけながら肩を寄せあってクスクスと会話に花を咲かせる。相手が俺だったから普通に楽しめたけど、フツーの男相手だったら10秒として持たないだろう、この空気感。さすがに相手は選んでるのかな。俺ってこういうイメージ持たれてるってこと? なんだかなぁ。まあでも、こういうちょっとズレたところも可愛いんだけど。
自然と顔を綻ばせながら隣を見遣れば、こくり、こくりと彼女が船を漕いでいるのが目に入る。
「……そろそろお開きにしよっか」
「うん……」
「名前はベッド使って。俺はこっちで」
「……どうして? ベッドで一緒に寝ようよ」
どきり。一瞬息が詰まるが、躊躇なく言えてしまうあたり、やはり彼女の言葉には他意はないのだろう。
「……こら。君、少し酔ってるだろ。相手が俺じゃなかったら危険すぎる発言だよソレ」
「でも、相手はエンジェルでしょう?」
「それはそうだけどさ……」
「……だめ?」
圧倒的、破壊力。結局、どんなにエロい言葉の数々だって、コレには敵いやしないのだろう。……職業病だろうか? なんかちょっと、負けた気分。
「……あー、もう、わかったよ」
「ふふ、やったあ」
あどけない笑みを浮かべるこの子は本当に、ある意味危険なコ。放っておけないコ。ごろん、と無遠慮にベッドへ寝転がる彼女を見て、もはや呆れも通り越して、同じく彼女の隣に横になった。
まあ、当たり前だけど、このあと官能的な展開に……なる訳もなく。俺たちは二人、至って健全なおねんねをする。大人気ポルノスター、天下のエンジェル・ダストも、好きな子が相手じゃ、この有り様だ。ほんと、笑っちゃうよな。
「ねぇ、エンジェル」
「なに?」
「……あったかいね」
ふわり。淡い春風のような微笑み。同じベッドで同じ温もりを感じているから、というのもあるだろうけれど、こうして一緒にいる空間が、この関係値が、あたたかい。俺はそう感じたし、彼女もそう言っているような気がした。
「……うん。ちょっと生温いけど……こういうのも、悪くないかも」
この言葉で、彼女には俺の意図がどこまで伝わっているのだろう。深い意味の方まで伝わってて欲しいような、伝わらないで欲しいような。
全く意識してない様子で、無防備に俺の部屋に、俺のベッドに入ってきたことは少し複雑だけど、逆に言えばそこまで俺を信用してくれているんだという嬉しさもあって。俺と同じように、内心緊張で息が止まりそうな感覚を味わって欲しいと思いつつも、こうして向かい合って穏やかに微笑み合うひとときが続いて欲しいという気持ちもあって。なんか、拗らせてるのかな、俺。
でも、これだけは純粋に、心の底から思うこと。
────君のこの熱を、ずっと手離したくない。
俺はそんな自身の気持ちを確かめながら、静かに寝息を立てる彼女を引き寄せて、彼女のぬくもりを感じた。ゆっくりと溶け合って、共有し合って、俺と彼女が同じ温度になっていくように、彼女の気持ちも俺と同じになればいいのに。
そんな仄かな願いを胸に抱きながら、俺はゆっくりと目を閉じた。彼女のおかげで、今夜はきっといい夢が見られるに違いないと、微笑みながら。