ワードパレット/脳裏・最初で最後・曖昧
彼を前にすると、私の心臓は震え始める。
「やあ、ダーリン。ご機嫌いかがかな?」
知るひとぞ知るテレビ頭の彼は、いつもどこからともなく現れてきて、紳士的な表情を映して、私に笑いかける。例えどこへいようとも、必ず。……まるで、私の行動を常に監視しているかのように。
「……それで、例の件についてだが……そろそろ、答えを聞かせてもらおうか?」
そう。これも、いつものこと。きっかけはまったくもって身に覚えがないけれど、どうやら彼は私を随分と気に入っているようで。彼が初めて接触してきてから一週間も経たずして、彼はなんの前触れもなく、私の女になって欲しい”と唐突に告げてきた。彼に誘われた、高級レストランでの出来事。かちゃり、手にしていたフォークが落ちて。目を見開き驚くこちらに対し、彼は少しも動揺していなかったのが印象的だった。まるでビジネスをしているかのような表情と仕草をする彼。そこでやっと、ああ、彼は上級悪魔として新たな駒が欲しいのだろう、と確言した。だから彼のあの言葉に、それ以上の深い意味は、きっとない。
「……その、本当にごめんなさい。もう、少しだけ……待って欲しいの」
脳裏に浮かぶのは、あの日の、不自然なくらい綺麗な笑みをした彼の顔。ただ貴方の、数多の駒の内の一人になるのはいやだ。けれど、下級悪魔の私が図々しくも彼の"提案"を断ることなんてできない。鳴り響く心臓を押さえつけながら、たどたどしくもなんとか無難な言葉を返す。こんなものは、ひとときの時間稼ぎにしかならないと分かっているのに。
「……またそれか」
はぁ、とため息をつく彼の声に身体が跳ねる。いつもはそれとなく、にこやかに流してくれる彼だったけれど、今日は明らかに違う様子だ。
「いい加減、君の曖昧な返事は聞き飽きた。何を迷っているのか分からないが……まさか君に選択肢があるとでも思っているのか?」
どく、どく、どく。全身を穿つように震え続ける鼓動。いつもいつも、分からなかった。これはいったい、どういう感情からくるものなのか。私は、彼が怖いの? それとも、もしかして私は、彼のことが、
「では、分かりやすくいこう。これは、最初で最後の問いかけだ。────俺を、選ぶだろう?」
ぐるり。やっとなにかが分かりかけたところで、視界が歪む。ぼう、とする頭の中、理解できるのは彼の姿だけ。ゆっくりと首を縦に動かせば、彼は恍惚とした笑みを見せて。
「……ああ、それでいい」
引き寄せられ、こめかみから脳へと響くリップ音。
ああ、震えている。尚も忙しなく、心臓が震え続けている。
なぜだろう、やっぱり分からない。私は今日も、その理由を探し続けている。……そしてそれはきっと、これからも。