"〇〇"だけのヒーロー





カチャリ。無機質な音が寂れた部屋に響き渡る。ジリジリとした痛みを催す箇所へ目を向ければ、鎖で繋がれ、拘束された手足が目に入った。繋ぎ目には鬱血痕と未だ乾き切っていない血が滲み、見るに堪えない状態となっている。

冷たい、寒い、苦しい…。

私は、とある組織に捕虜として捉えられていた。買い物をした帰り道、突如として背中に刃物を宛てがわれ、そのまま呆気なく捕まってしまった。助けを呼ぶことも、抵抗することも、適わなかった。だって、私はヴィランだから。事を荒立てたら、ヒーローに捕まってしまい、それこそ本末転倒というわけだ。まぁ十中八九、私を捕らえた相手もそれを狙ったのだろうが。

「とむら、くん…」

ぽつん、と最愛の人の名前を呟く。届くはずのない声、掠れていて、とても彼には聞かせられない声。特に意味はないけれど、口に出したくなった。もう、会えないのかな。最後にしたのは、どんな話だっけ。ぼんやりとする頭を努めて回転させると、少し不満げな表情をする彼の顔が思い浮かんだ。

…そうだ、初恋。彼と、トガちゃんと、3人で初恋の話をしたんだ。




「弔くんの初恋って、やっぱり名前ちゃんなんですか?」

ふと、トガちゃんはなんの前触れもなく、弔くんにそう尋ねた。

「は?急になんだ」

「少し気になっただけです」

それに対して弔くんは、呆れた顔をする。そしてこの話は終いだ、とでも言うかのようにしっしっと手を払った。

「えー、私も気になるなぁ」

これはトガちゃんに加担した訳ではなく、私自身の本音だった。弔くんのそういう話は、全くと言っていいほど聞いたことがなかったから。というか、好きな人の初恋の話なんて、興味ない人はいないと思う。弔くんはそれを聞くと、眉間に皺を寄せる。そして、はぁ、と軽くため息をつくと、徐に口を開いた。

「…恋なんてした記憶、過去にはない」

ぼそりと呟かれる言葉。かなり遠回しな言い方だけど、十分に意味は伝わるそれ。…そうか、そうなんだ。なんだか少しくすぐったい気持ちになった。

「それはつまり、やっぱり初恋はこの子ってことですね!初恋を成就させるなんてやりますねぇ弔くん」
「…喧しい」

そんな2人のやり取りを見てくすくすと笑っていると、不意にトガちゃんの瞳が私を捉えた。

「じゃあ、名前ちゃんはどうなんですか?」
「え、私?」

まさかこちらに振られるとは思わず、きょとんとする。ちらりと弔くんの方に視線をずらすと、彼はこちらをじっと見つめてきていた。

「…人に言わせて自分だけ逃げるつもりかよ」

それは暗に、言え、ということ。弔くんも興味持ってくれるんだ、と思うとなんだか少し嬉しく思ったり。

「私は、」

もちろん弔くんだよ、と言おうとした、刹那。

…に、…そぼ…

ノイズ混じりの映像が、頭に流れる。これは、一体誰だろう。顔はよく見えないけれど、姿かたちから小さな男の子だということは分かる。私は、この子を知らない。知らないはず、なのに。その子を頭に思い浮かべると、胸がぽかぽかとあたたかくなって、例えようもない幸福感に満たされていった。

「……いた、気がする」

そして、気づいたらそんなことを口にしていた。何もかも曖昧なままだけれど。本当に何となく、その子が初恋だったという気がしたのだ。

「えー!気になります!聞かせてください!」
「うーん…実は初恋の人の事、あまり覚えてないんだ。薄情だよね、私」
「覚えてないのに、初恋の人がいたってことは分かるんですか?」

私は再び、例の男の子に思いを馳せた。すると、驚くほどするするとその子への感情が溢れてきた。

「顔や名前は全く覚えてないんだけど、朧気ながら覚えていることもあって…とっても優しくて、かっこよくて、いつもキラキラしていた気が、する」
「…それ、弔くんとは随分かけ離れたタイプですね」
「おい、何か言ったかトガ」

私は普段より幾分か低い弔くんの声を聞いてハッとした。その顔は、どこからどう見ても不満げな表情。深く考えずに口に出してしまっていたが、初恋の人を過剰に褒めるのは、恋人としてあまり気分のいいものでは無いだろう。

「あの、もちろん今は…というかこれからはずっと弔くん一筋だよ!だからさ、そんなに拗ねないで?ね?」
「別に拗ねてない」

つーんとそっぽを向いてしまう彼はとても可愛らしいけれど、言ったら更に機嫌が悪くなるのは目に見えているので、お口はチャック。未だ少しご機嫌ななめな弔くんに笑って欲しくて、私は彼に料理を振る舞うことに決めた。そして、そのまま買い物に行って、あいつらに、……。


ああ、上手くいかないなぁ。彼を笑顔にしたかったのに、今回の件で更に気分を悪くさせてしまっただろう。今はあれからどのくらい経ったのだろうか?彼らは私が攫われたことに気づいただろうか?…果たして、助けは来るのだろうか。硬いコンクリートの上で横になりながら、そんなことを考える。最悪の可能性が浮かんでは消え、消えてはまた浮かび、心を蝕んでいく。考えて、考えて、考えて。そうしているうちに、だんだんと睡魔が忍び寄ってきた。

「…たす…けて……、」

重く落ちていく瞼と共に漏れたのは、そんな言葉。それは相変わらず誰にも届くことは無く、虚しく部屋に閉じ込められたまま。大好きな彼の姿を思い浮かべたのを境に、私は意識を失った。







辺り一面に真っ暗な空間が広がる。ここは、何処だろう。私の夢の中だろうか。キョロキョロと周りを見渡していると、ある一点から眩い光が射し込んでいることに気がついた。私はそこを目掛けてひた走る。そして、光に飲まれていった。

その先では、先程いた真っ黒な空間の片鱗など一切感じられなかった。ジリジリと照りつける太陽。ざわめく蝉の音色と子供たちのはしゃぐ声。徐々にはっきりしてきた視界に窺えたのは、どこかの公園。知らないはずのその場所に、私はどこか懐かさを覚えた。もしかしてここは、私の過去の記憶から再現されたのだろうか?

ぼう、と立ち尽くしていると、突如駆け出してきた子供に衝突しそうになる。間に合わない、と思い受け止めようとした…が、子供は私の体をすり抜けてそのまま走っていった。やはり夢だからか、私は彼らには感知されていないし、触れることも出来ないらしい。

特にやることもなく、ぶらぶらと公園を歩いていると、ある少女が目に入った。少女は楽しそうに遊び回る子供たちの中に紛れて一人、公園の端で悲しそうな顔をしている子達をぼんやりと見つめていた。そしてその顔を見た瞬間、私の体は鉛のように重くなった。少しも動かせなくなった。

「…」

…間違いない。あれは、幼い頃の私だ。

ーーーーそうだ、思いだした。私はかつて、この公園でよく遊んでいたんだ。それで、友達のグループ内で遊びつつも、仲間外れにされた子達を眺めていた。今思えば、私はただ優越感に浸りたかったのだと思う。誰もが見て見ぬふりをする彼らを公園内でただ一人、私だけが同情し、慮って、勝手に満足していた。私は彼らになんの関心も示さずに遊び回る人たちとは違う。ちゃんと、彼らに気づいてる、心配してる。…そんなこと思ったって、何も解決しやしないのに。

私は過去の私と同じように、公園の端で寂しそうにしている子供をただ見つめていた。すると突如、彼らの前に一人の男の子が現れた。子供達は彼に対して、警戒心を強めた顔をする。と、彼はそれを物ともせずに、彼らに向かって手を差し伸べた。

「…ねぇ、僕と一緒に遊ぼう?」

どくん。刹那、一際大きく鼓動が跳ねた。世界が輝いて見えた。彼を見つめていると、心にじわじわと仄かな暖かさが宿っていった。先程まで重くて仕方がなかった体は、今ではまるで雲の上を歩いているかのようにふわふわとしていて、何だか落ち着かない。

ああ、なんで忘れていたんだろう。こんなにも強くてあたたかくて、幸せな感情。私の、初恋。

「…へぇ、転弧っていうんだ〜じゃあ、ちゃんって呼ぶね!」
「よろしくな、ちゃん!」
「わかったよ!みっちゃん、ともくん」
「ねぇねぇちゃん、ヒーローごっこしようよ!」
「じゃあ、ちゃんはオールマイトだな!」
「えっ…!僕が、オールマイトで…いいの?」
「当たり前だろ?だってちゃん、仲間外れのおれたちとも遊んでくれて、すっげぇやさしいから!」
「そうそう!やさしいちゃんは、オールマイト役しかないよ!」
「っ…!うんっ、じゃあ僕は…オールマイトだ!」

彼はすぐに仲間外れにされていた2人と打ち解けた。少女に出来なかった事を、いとも簡単にやってのけた。…いや、違うのかもしれない。もしかしたら、とても勇気を振り絞って彼らに、……。

「っわたしも入れて!」

私はその声にハッとした。先程まで過去の私がいた場所にはもうその姿はなく、いつの間にか彼らの元へ行き、そんなことを言っていた。

「だめ…かな」

少女わたしは後ろめたいような顔をし、3人の子供たちの顔色を伺う。子供たちはお互いに顔を合わせるとにっこりと微笑む。

「そんなことないよ!みんなで遊んだ方がもっと楽しいから!」

おいで。

差し伸べられる手に、少女わたしはゆっくりと自らの手を重ねた。

「あなた…名前、なんていうの…?」

「僕?僕の名前は、───」

そうだ。彼の…私の初恋の人の名前は、






ーーーーーードオオォォン

「っ……!?」

耳を劈くような轟音に、目を顰める。次に目を開いたときにはもう、子供たちも、公園も、私も、彼も…どこにもその姿は見られなかった。あるのは味気ない灰のコンクリートの壁と、鎖と、

「え、…」

いつの間にか消えていたドア付近に立っているのは、何より求めていた最愛の彼。とむらくん、そう口に出す前に彼は私の元へ駆け寄り、鎖を崩壊させると、中指を軽く浮かせながら、4本の指で私をきつく抱きしめた。

「………ごめん、遅れた」

そう呟いた声は少し掠れていて、細々としていて、でも心から安堵したような優しい声、大好きな声。よかった。また、聞けた。

「……そんなことない、助けに来てくれてありがとう。あなたはいつでも私の身も心も救ってくれる…私のヒーローだね」
「…お前、それって嫌がらせか何かか?」
「え、ごめん…そんなつもりはなかったんだけど…」
「…まぁいい。お前に言われるのは、なんかそんなに悪い気しないかもな。……仕方ないからなってやるよ、特別に。お前だけのヒーロー≠チてヤツにさ」

──────ああ。
どうして今まで気づかなかったんだろう。
聞きたいことが山ほどある。でも、今それを尋ねるのは違う気がする。大丈夫。私たちは、昔もこれからもずっとずっと、繋がっていくはずだから。ゆっくりと、向き合っていこう。

「……うん。ありがとう」

私は、差し伸べてくれた手をとった。いつかの、あの日みたいに。大好きな、私だけのヒーローの手を。この先も、何度だって掴んでいこう。たとえそれが、どんなにつらい道だったとしても。彼と一緒なら、大丈夫だから。

大好きだよ。
今も昔もこれからも。

死柄木弔くん。

…………志村転弧くん。

私はあの時から変わらない、やさしくてあたたかい彼の美しい朱の瞳を、愛おしげに見つめた。






……そして。彼が、幼少期によく公園で遊んでいた初恋の女の子のことを思い出すのは、もう少し先のお話。




あなたは、私だけのヒーロー

ぼくは、きみだけのヒーロー





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