もしものお話







かさり。布の擦れる音が耳を掠める。彼の匂いが香る掛け布団に包まれているのを感じながら、うっすらと目を開けてゆく。ぼやけた視界の先に、予期していた彼の寝顔はなくて。そのまま目線で彼を探せば、上体を起こし、座っている姿が目に入った。

…あぁ、今日も彼は起きてしまったんだな、と。ぼんやりその横顔を捉えながら、そんなことを思う。状況が状況だというのもあるだろうが、最近の彼は夜中に目を覚ますことが多い。彼が起きていることがわかると、真横で寝ている私もつられて起きてしまうのだが、私が起き上がることはなかった。起きて話し相手になろうか、と考えたことは何度かあるけれど。彼の背負うものがあまりにも大きすぎるから、どんなに苦しくても大丈夫と言って笑ってくれるひとだから。私が何を言っても彼には届かないし、むしろ余計なことを言ってしまうんじゃないかって不安で、それで。寝たフリをしつつどうしようかと悩んでいるうちに、優しく髪を撫でられてしまえば、実行に移すことは出来なかった。

薄暗い部屋の中、窓から漏れる僅かな光が彼を照らし出す。傷のついたの手のひらを真剣な眼差しで見つめる彼は、何を思っているのだろうか。しばらくその横顔を眺めていれば、ふと彼がこちらの視線に気づいて。

「....あれ、起こしちゃった?」

ごめんね、と。先程とは打って変わって慈愛に満ちた瞳を向けてくる彼。なんだか泣いてしまいそうになると同時に、普段より少し低く耳に届く声にどきりともさせられた。

「ううん、大丈夫」

少し掠れた声で微笑み返せば、そっか、と零し、おもむろに私の体の方へ手を伸ばしてくる彼。

「疲れてるよね?覚醒する前にちゃんと寝た方がいいよ」

そう言い腕のあたりをポンポンと軽く触れられたら、思わずが紅潮してしまった。その疲れてる、にはきっと、先ほど彼と愛し合ったことに対しての労りの意味も込められているから。付き合ったばかりの頃、こういうことをしどろもどろ口にしていた彼が、今では懐しい。

「どうしたの?…もしかして、これからどうなっていくか不安、とか?」
「……」
「大丈夫だよ。必ず僕が…僕たちが、何とかしてみせるから。大切な君と、守りたい人達がいてくれるから、僕はどこまでも強くなれるんだ」

彼は私の手を両手で包み込んで、有めるように、言い聞かせるように、そう言った。誰よりも優しくて、かっこよくて、大好きなひと。そんな素敵な貴方に、私は一体なにをしてあげられているんだろう。貴方は私がいてくれるからというけれど、きっと私が居なくても。

「...出久くん」
「うん?」
「......もしも出久くんが、コミックの中に出てくるヒーローでさ。私はそのコミックの一読者で、出久くんとは別の世界の人で、…ありえないことなんだけど、とにかく、私たちが別の世界線に生きてたら。…出久くんはきっと、今と何も変わらず、笑ってみんなを助けちゃうかっこいいヒーロー、なんだろうね」

……なんだか我ながら突拍子もないこと言ってしまったな、なんて少し反省する。でも彼は笑いもせず、真面目に私の言葉を受け止めているようで。うーん、と頭に手を当てていた彼だけど、しばらくするとその仕草のまま口を開いた。

「……多分、だけど。もし僕が君とは別次元にいたとして、君がいるか否か以外の条件だけが今の僕と共通していたとしたら……君の言う通り僕は同じようにみんなを救おうと動くと思うし、別の行動をするっていうのはないと思うんだよね。……だけど、それはあくまで別次元の話だよね?僕は今もう君と出会ってるし、こうして触れ合って、同じ時を生きている。君と出会わないことで僕に大きな影響が出るとは言えないのかもしれないけど、君と出逢った僕は、君がいないともうダメだと思うんだ。いや、思うんじゃなくて、実際君がいないとダメだ」

彼の言の葉ひとつひとつが心に染みて、奥底にしまい込んでいた鉛のようなものを溶かしてゆく。あんな変なこと訊ねても、こんなにも素敵な言葉を返してくれる人が、他にいるだろうか。こんなに素敵な人と同じ世界で生まれて、出逢って、結ばれて。私は本当に幸せ者だ。滲む涙を堪えながら、私も出久くんがいないとダメだよ、ありがとう、と精一杯伝えたら、君が笑ってくれて安心した、と額に柔い口付けが降ってきた。

緑谷出久くん。
この世に生まれてきてくれてありがとう。
たとえ貴方と住む世界が違ったとしても。
ずっと、ずっと、大好き。

私は愛しい温もりに包まれるのを感じながら、ゆっくりと瞳を閉じる。今度夜中に彼が起きているのに気がついたら、きっと話かけようと、そう思いながら。





2022.07.15 緑谷出久HPB記念



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