『荼毘の記憶が一部欠落した。』
弔くんからそれを伝えられた瞬間。文字通りガツン、と頭を殴られるような衝撃が走った。
荼毘の、記憶が、欠落?
任務で特殊な個性を持つ者に記憶を消された、怪我はほぼなく、生活に支障をきたすことは無い。
後からも何かを説明しているようだが、それらは上手く頭に入って来ない。ただただ、息が苦しい。まだどこまでの、どんな記憶が無くなかったかすら分からないのに、何故か妙な胸騒ぎがしてならないのだ。私は潰れそうな声を何とか振り絞り、吐き出すように声を出す。
「…わ…たしの…こと、は……?」
「…………」
やめて。待って。言わないで。お願いだからやめて。いや、違う。言って、早く、肯定してよ。いじわるしないで、弔くん。ねぇ。どうして、
「ど、して…そんな…かお…するの……?」
「…………落ち着け」
「ねぇ…早く…頷いてよ…荼毘、流石に私の事は、覚えてる、でしょ?一体、何を忘れちゃったの…?大丈夫、忘れた記憶も、きっと、すぐ、」
刹那、固まりきっていた体に衝撃が訪れる。弔くんが私の両肩を勢いよく掴んだようだ。ギリギリと軋む肩も、今はなぜだか差程痛みを感じない。相変わらず口から零れるのは、ひゅーひゅーという嫌な音だけ。私は突きつけられる真実が怖くて顔を背けようとするも、彼がそれを許さない。そのときの弔くんの表情は見たこともないほど真剣味を帯びていて、これから紡がれる言葉が真であることを物語っていた。
「いいか。一度しか言わない。」
「………… 」
「……荼毘は───」
…その後の事はよく覚えていない。気づいたらベッドの中にいて、堰を切ったように涙を流していた。人間ってこんなに泣けるんだって、この時初めて知った。泣いて、哭いて、ないて。その様子はさながら壊れたおもちゃそのものだった。
なんで、どうして、
「…わたしのことだけ…わすれ、ちゃったの?」
ねぇ、荼毘。あなたが不器用ながらも伝えてくれた言葉は、ようやく形になりつつあった私たちの関係は、寝る間も惜しんで愛し合った時間は。
─────どこに、いっちゃうの?
あれから、3日経った。この数日間は地獄のような苦しみに苛まれた。トガちゃんをはじめ、トゥワイス、スピナー、ミスター、そして弔くん。みんな訪ねてきてくれた。特に弔くんは、あの真実を私に伝えたことに対する罪悪感があるようで、頻繁に様子を見に来てくれた。…でも私は、弔くんが私と荼毘が接触して、直接その真実を知ってしまうのを避けるために、わざわざ汚れ役を買ってくれたであろうことを知っている。弔くんが罪悪感なんて感じる必要ないのに。やっぱり彼は優しい。
…このままじゃいけないだと思った。これじゃ何も進まない。心配してくれる彼等にも、弔くんにも、申し訳が立たない。…そして、“荼毘”にも。いくらか落ち着いてふと思ったのだ。私が今嘆いているこの事実は、“彼”の何もかもを諦めて、私の単なる思い出にしてしまっている証拠ではないか、と。まだ彼が記憶を取り戻さない保証はないのに。ましてや彼自身がが死んでしまった訳では無いのに。私は何もしないで、ただ涙を流すだけ?違う、それじゃダメだ。だって、私は今も変わらず“彼”を愛してる。
私は重い体をゆっくりと持ち上げて、ベッドから体を離す。久しぶりの地面を一歩一歩踏み締めて、少しずつ進んでいく。…真っ暗で静かな部屋。カーテンを開ければ、月の光が眩しかった。今夜は満月のようだ。ふと、視界で何かがキラリと光る。首元にあるそれは、“彼”が贈ってくれたネックレス。贈り物なんて一切くれなかった彼≠ェ、なんの前振りもなく与えてくれた唯一の宝物。今となっては、これだけが“彼”と私を繋ぐたった一つの希望でもあった。“彼”の炎と瞳のように美しい青碧の色をした石をそっと撫でる。
「……ぜったい、また会おうね、“荼毘”」
久しく出していなかった声は嗄れていて、少し格好がつかない。でも、心の底から漲る決意を誓った、確かな宣言だった。
「荼毘!任務、一緒にいこう!」
「……あ?またお前かよ。相変わらず執拗ェ女。」
隣で能天気にニコニコと笑うそいつに、思わず舌打ちを打つ。この女は最近連合に入ったらしい新人だ。なんでも任務経験はあるらしく、それなりの戦力になるので、俺の知らぬ間に即加入に至ったらしい。
正直言って、コイツは苦手だ。どんなに無下に扱おうと、罵詈雑言を投げかけようと、一切表情を崩さずニコニコ笑う女。個性を使って脅したこともあったが、「ほんと荼毘の炎ってきれいだね」…などと気色の悪い事を言われたので二度とやらないと胸に誓った。
そして何より、
「“荼毘”好きだよ」
「…………」
これだ。
この女の、一番苦手な部分。ふざけているのかと思ったときもあったが、どうやら違う。不思議と、一言一言に妙な重みを感じるのだ。
「好き」
言葉を紡ぐ。これ以上ないほど優しく、愛おしげに、そして、ほんの僅か切なげに。毎日、毎日、飽きもせず。これに慣れろという方が無理な話だ。いつからだったか?今となっては最早思い出せない。会った瞬間から言われていたような気もするし、いっそ遙か昔から言われ続けていたような気さえしてくる。それほどまでに思われるほど、自分が何をしたか?答えは幾ら考えても何も見当たらない。
「……何がそんなにいいんだか」
「…え?」
無意識に口から漏れた言葉に、舌打ちしたい気分になる。どうやら思っていたことが口に出てしまったらしい。普段あまり感情を表に出さない為、この行為は自分でもらしくないと思った。
何となく決まりが悪く、視線を逸らす。そして、忘れろ、と訂正しようとした。しかし、それよりも先に女が口を開いていたようで。
「ふふ、好きに理由なんてないよ」
普段とは違い、少し頬を染めながら言うソレ。…やっぱり、理解など到底出来そうもない。出来そうもない、が。
「……そうかよ」
不思議と心から嫌な気分がしないのは何故だろうか。嫌な気がしない?いや、俺は相も変わらずこいつが苦手で。…というかそもそも、自分という人間は本気で嫌いな者なら多少傷つけてでも引き剥がすことに躊躇はないはずだ。しかしそれをしようとは思わない。それが、一体何を意味するのか。
「…………」
分からない。理解できない。こいつも、俺自身も、それを知ってどうしたいのかも……何もかも。
*
女に対する見方が変わったのは、それから間もない事だった。
「ね、聞いてよ弔くん」
ドアノブを握ろうとした手が宙に浮く。死柄木に話がありアジトへ来たが、中から聞こえたそれに思わず顔を顰め、踵を返そうとする。…なんだか碌でもない話を聞く羽目になる気がしたのだ。
「…また荼毘の話かよ」
「え、なんでわかったの?」
予想的中。はぁ、と吐き出したくなる溜め息を喉にしまう。本当に碌でもない話をし始めるようだ。…とは言っても、自分の事を陰で好き勝手話されるのは少し気がかりだ。
…余計なことを言い出したら突入してやるか。壁に寄りかかり、腕を組みながら思案する。
「お前いつもそれだけだから。…で、今日は何」
「ふふー実はこの前、いつも『うぜぇ』『うるせぇ』『執拗い』の一点張りだった荼毘がね、『俺の何がそんなに好きなんだよ』って言ってくれたの!これって脈アリ!?もうここんとこずっと興奮しまくりでね、」
「…いや、それのどこが脈アリだよ」
「……あれ?」
「考えすぎ。単純に疑問に思っただけだろ。というかそもそも、それ本当にアイツが言ったのか?」
「…言った、はず?」
…何だか身に覚えもない台詞を言った体で話が進んでいたようだが、不覚にも死柄木の言葉に救われた気がする。内容的には割と本気でどうでもいい話だった。やっぱ聞くんじゃなかったな、と若干後悔しつつ出直そうとし、壁に預けていた背中を離す。と。
「やっぱり私、“荼毘”が好きだなぁ」
「……そう」
「うん。ずーっと好き。たとえ何があっても、好きなものは好き。これまでも、これからも」
いつもの、なんら変わりもない、その女の言葉。優しく、愛おしげで、切なさを滲ませた声。変わりないはず、なのに。
…何だ、この違和感は。例えようもないこの異様な空気。不自然なほど温かみを帯びた声を出す死柄木。自分の名を呼ぶ、そいつ。何もかも、不審に思えた。…気味が悪い。これ以上、この場にいたくない。そして俺は今度こそ、逃げるようにその場を後にした。
「……邪魔じゃねェの、それ」
「え?」
夕方。アジトのソファの上で寛いでいたら、突然荼毘に話しかけられた。位置的に、立っている荼毘に見下ろされる形になる。わぁ、この角度でも相変わらずかっこいいな。
「それ。首にあるヤツ」
「あ、ネックレスのことか」
彼が私に対して何か興味を持つなんて珍しい。…まぁ、正確には私のネックレスに、だけど。でも何だかんだで少しは進歩してきている気がする。気持ちを弾ませながら、服にしまってあったチャームの部分まで取り出してみる。これを見て、思い出してくれてたりしないかな?ほんの少し、淡い期待を込めて。
「…これ、見覚えのある?」
「お前の首についてんのは見えてた」
「……そっか」
最初からさほど期待はしていなかったが、少し肩を落とす。だがそれも一瞬の内。すぐに切り替えて、ネックレスを見つめる。
「邪魔ではないよ。これ、私の宝物なんだ。青い宝石が綺麗でしょ?…これがあるだけで、何でもできる気がするの」
「……タカラモノ、ね。道理でよく触ってるワケだ」
「え、触ってる?そうなの?」
「そーだよ」
完全に無意識だった。あまり私の方を見ない荼毘にも知られていたということは、相当頻繁に触れていたのだろうか…?そう思うと、なんだか少し擽ったい。
「…貰いモンか?」
「あ、分かっちゃう?…これくれた人がね、言ったんだ。『これはご主人様から離れないための首輪だ』って。ふふ、笑っちゃうよね」
「……」
まぁ、それを言った張本人は今目の前にいるのだが。そう考えると可笑しくて、更に頬が緩む。すると、黙ったままだった荼毘が口を開いた。
「……誰だ」
「ん?」
「誰に貰ったんだよ」
彼の言葉にズキ、と胸が痛む。この質問に答えるのは、案外きついものがあった。これを贈ってくれたのは“荼毘”なのに、本人が誰に貰ったのか訊ねるなんて。…やっぱり、私との記憶がないんだな。改めてそう感じて、俯きそうになる。…でも、大丈夫。
「…いつか、わかる時がくるよ」
「…………は?意味分かんねェ」
「ふふ」
暗く考えるのはなしだ。それよりも、やっぱりこれは面白い。ネックレスをあげて、これ誰に貰ったんだ?って訊くなんて。“彼”が記憶を取り戻したら思いっきり笑ってやろう。ちょっとした意地悪を考えてクスクスと笑った。
「…………………」
しかしこの時、私は気づくべきだった。彼がどんな表情で私を見ていたか。もっと考えるべきだった。どんな思いでこの話を聞いていたのかを。
気づいてしまった。あいつの、違和感の正体に。
あの首飾りの話で、全てを悟った。結論からいえば、あいつは俺を好きなんじゃない。あいつは、俺に重ねた別の“誰か”が好きなのだ。
『誰かさんからの贈り物か?』
『あ、分かっちゃう?…これくれた人がね、言ったんだ。『これはご主人様から離れないための首輪だ』って。ふふ、笑っちゃうよね』
『…いつか、わかる時がくるよ』
『…………は?意味分かんねェ』
『ふふ』
あのときのあいつの笑顔は、間違いなく首飾りの持ち主に向けたもの。そして、その笑顔は────間違いなく、普段から自分に好きだと言って笑うときの顔と同じものだった。これがどういうことか。…そう、あいつは俺が好きなのではなく、俺に首飾りの持ち主を重ねて好きだと伝えているに過ぎない、という訳だ。
その考えに至ってから、女から与えられる言葉や笑顔は、明らかに全く知らない誰かへ向けられているように思えた。いや、実際そうなのだ。そうであれば、あのアジトでの一件の異様な空気感や、死柄木の不自然さにも説明がつく。死柄木は、誰かを重ねてしまう女を哀れんでいたのだろう。
…全てを悟って、初めに訪れた感情は『苛立ち』だった。そして、何故か悪い気がしなかった女の言葉も、今となっては自分を腹立たせる要因でしかない。
『“荼毘”大好き』
「…………るせェ」
いつもいつもいつも。お前は誰見てそれを言ってやがんだ?腹の内にぐるぐると名状し難い感情が燻る。考えれば考えるほど、すべて無茶苦茶に燃やし尽くしてしまいたい衝動に駆られた。一体何が、自分をこれほどまでに掻き乱しているのか?…その答えは、まだ出なかった。
「“荼毘”!今日も好きだよ」
日課となった、この告白。これをしないと一日が始まらないし、終われない。これが、“彼”を諦めていないという絶対的な証明だから。その存在を確かめるかのように、服の上からネックレスを撫でる。
「…………」
そういえばここ最近、荼毘の様子が少し変化したように思える。好きと伝えた後、こちらをよく見つめてくるのだ。まるで、真意を探るかのように。…この気持ちに嘘なんてないのにな。この期に及んで信じて貰えてないのなら、少し寂しい気持ちになる。
「…お前、俺が好きなんだよな?」
「え?…う、うん、もちろん…」
突然聞き返してきて、少し動揺する。このように言ってくるということは、やはり信じて貰えていないのだろうか?一人で悶々と思案していると、彼が俯いているのに気がついた。「荼毘?」心配して呼びかけてみる。
「…じゃあ、こうされても文句ねェよな?」
「……え?」
刹那、背中にドン、という衝撃が走った。彼が、私を壁に押さえ付けたのだ。そのまま流れるような動きで、服の中に荼毘の手が侵入してくる。「ひっ…」思わず、情けない声が零れる。やだ、なんでいきなりこんなこと。抵抗しようにも、両手は纏めて頭の上で固定され、股の間には荼毘の片足が挟み込まれているため、全く身動き出来ない。
「やだ、やめて」
つぅ、と荼毘の人差し指が背中を滑らせる。下から、上へ。やがて下着に辿り着いたところでその手を止め、次にはその指が下着の下から、
「ッやめてったら!!」
ついに悲鳴にも似た声で叫べば、ピタ、と動きか止まった。突然のことで必死になっていたが、冷静になれば彼を強く拒んでしまったということに気付き愕然とした。そんな、彼を拒むだなんて。早く、はやく、何か言わないと。
「あ…ちが、違うの、違う…私、ちゃんと“荼毘”が好きだよ。ただ、荼毘はまだ分かってないから…」
「……ハ、何言ってンのか分かんねェな」
こちらを見つめる青碧はあまりにも冷たい。しかし、その瞳の奥には憎悪にも近い、強い熱情が込められているように見えて。私は、その熱に当てられてこちらまで沸騰してしまいそうな気分になった。荼毘はグッと私の顎を掴んで、無理矢理上を向かせる。
「誰だ。お前は誰を見てる?」
「…え?そ、そんなの荼毘に決まって、」
「違ェな。…言い方変えてやろうか。お前、俺を通して誰を見てる?お前が見てるのは、本当に俺か?」
その言葉に、文字通り頭が真っ白になった。このときの自分の感情を端的に言えば、図星。自分でも理解していなかった事実を突きつけられ、まるで処刑台にでも立たされたような気分だ。
「なに、いって」
「言え」
「…………」
…何も口に出せなかった。全く頭が回らない。『俺を通して誰をみてる?』彼のその問い掛けだけが脳内をループする。違う。私は、確かに荼毘≠見てる。いつもヘラヘラ笑って揶揄ってきて、素っ気ないと思ったらたまに優しいところもあって、夜は強引に、時に気遣って抱いてくれる、大好きな“荼毘”…じゃあ、今の荼毘は?
「………」
「……ソレが消えたら言う気になるか?」
「……え?」
ブチ。……今の音は、何?その音は、人間が出すにはあまりにも無機質だった。「警戒心無さすぎだろ。本当に大事なのかよ」シャラ。また、無機質な音。そして眼前にぶら下がるのは、その音の正体。それは、私が身に着けていたネックレスによく似ていた。荼毘の目がらスッと細められる。その瞬間、ハッと我に返った。
「っ!返して!お願い、それは、私の…!」
「……ハハ、随分必死なこった」
尚更、燃やしたくなったな。
彼の言葉が、死刑宣告のように感じられた。ダメ、口に出る前に炎に包まれてゆく私の宝物。私の希望。彼≠ニの愛しい思い出。青い炎がどんどんそれを覆い尽くして、ついに何も見えなくなった。
「う、そ……」
黒焦げになったそれは、美しい銀色のチェーンの面影もなくなっていた。キラキラ輝いていた青碧の宝石も、煤だらけでくすんでいる。彼≠ェいたという、唯一無二の証拠が、燃えてしまった。圧倒的な絶望感。そこから湧き出たのは、彼に対する強い憤りだった。
「酷い!何でこんなことするの!?荼毘なんて……荼毘なんてもう大嫌い!」
勢いで出た言葉だった。失言だとわかっていた。でも、止まらなかった。何より、彼があのネックレスを燃やしたということが悲しくて、苦しくて、仕方なかった。何か言わないと、このやりようのない気持ちをどうしていいか分からなかった。あとから思えば、これはきっと八つ当たりでもあったのだろう。なんで私を忘れてしまったの、どうしていつまでも思い出さないの。普段から押し殺してきた気持ちたちが全て爆発してしまったのだ。
しばらく、静寂が続いた。やがて彼が身を引くと、押さえつけられていた体がふっと軽くなる。
「……お前が好きなのは、結局そいつだけかよ」
「……え?」
今、なんて。耳を澄まさなければ聞こえないほど酷く小さいのに、やけに重みを持ったその呟き。無感情のようでいて、少し自嘲気味な声色。そのまま彼は振り返ることなく去っていった。私の心に壮大な傷と、仄かな蟠りを残して。
燃やして、燃やして、燃やして。いくら燃やしても燃やし足りない。燃やしても燃やしても社会のゴミは無尽蔵に湧き出るし、あいつのムカつく顔が、声が、無くならない。…そして、あいつの中にいる誰かは、いつまで経っても消えてくれない。
『荼毘=A今日も好きだよ』
…俺は────
そこまで考えて、やめた。考えたってどうせ無駄に終わるだけなのだから。それより今はただ、あいつが他の誰かを思い続けるのが気に食わない=Bそれだけ理解していればいい。
『あ、分かっちゃう?…これくれた人がね、言ったんだ。『これはご主人様から離れないための首輪だ』って。ふふ、笑っちゃうよね』
…思い返す度、ふつふつと内から湧き上がる激情。何もかも、目障りだ。
「ひぃ…も、もうやめてくれぇ…」
「悪かった!俺達が悪かった…だから、命だけは…!」
「────消えろ」
燃える。醜い断末魔と共に、ウジ虫のように湧く薪どもが。それはもう、いとも簡単に。やがてどんどん小さくなって、跡形もなく真っ新な灰になる。本当に、呆気ない。…なのに。
「………消えろっつってんだよ」
消えない。胸の内のコレが、消えてくれない。燃やそうとすればするほど、消えるどころか逆に身を焦がし、己が焼き爛れていくだけだ。じゅぅ、という聞き慣れた音を立て、皮膚が焼ける。あつい。沸騰しそうなくらい、あつくて。
「………………」
……嗚呼、そろそろ限界だ。それならもう、いっそ。
「……殺っちまうかァ」
そうだ。最初から、そうすれば良かった。何故今まで思い至らなかったのか。ツギハギだらけの己の頬が吊り上がる。そして、嗤う。愉悦を隠さず、思うがまま、狂喜的に。ぱちぱちと断続的に鳴り続ける黒焦げのそれが、俺の思考を肯定しているように感じられた。
*
「死柄木」
「おい見てわかんだろ。今取り込み中」
「話がある。あの女について」
ゲーム中に邪魔されて苛立っていた死柄木だったが、それを言えばピクリと動きを止めた。画面に移る、GAME OVERの表示。死柄木は、何も言わずにゲーム機を置いた。
「……」
「単刀直入に言う。あいつは俺に別の誰かを重ねて、お前はそれを哀れみ、上手く合わせている。違うか?」
唐突過ぎだろ、と文句を零し、死柄木は軽く首を掻く。
「……半分正解、半分間違いってとこだな」
「へぇ?何がどう違うんだよ」
「…別の誰かってとこ」
別の誰かではない?そうなると、選択肢はだいぶ絞られる。
「んじゃ何に、」
「お前」
……は?到頭、死柄木の頭はイッちまったのか?この時は本気でそう思った。感情の読めない目でこちらを見る死柄木を、怪訝な目つきで見つめ返す。
「……ハ、何言ってやがンだよ」
「だからお前。正確に言えば、記憶を無くす前のお前」
記憶を、無くす?予想もしなかった言葉に唖然とする。死柄木はこちらの様子も気にせずに続ける。
「…お前は記憶を失う前、記憶操作系の個性の奴にその時点で最も繋がりが深かった人間の記憶を消された。今のお前は消された後の状態。…そんで、あいつとお前は所謂そういう関係だった。ここまで言えば分かんだろ」
あいつとの記憶が消された。なら、あいつが向けていた笑顔も言葉も感情も全て、俺≠ノ対してだったということか。
……成程な。
「…で、望んだ結果は得られたか?荼毘」
「…あぁ、十分すぎる程にな」
「…………泣かすなよ」
「くく…安心しろよ、“泣かしは”しねェ」
鋭い視線を向ける死柄木を背に、その場を後にする。
お前は、誰かを重ねてなんていなかった。最初からずっと、“俺”だけを見てた。この腹の内に燻らせていた言いようもない感情の正体は、“俺”自身か。…そうだよなァ?お前は“俺”を思ってくれてたんだよなァ?そりゃ悪ィことしたなァ?
─────だがな、それは俺じゃねェ。
「…くく…ッハハハ」
まさか、憎むべき相手がこんなに近くにいたなんて。緩む口許は止まることを知らない。
舞台は整った。諸悪の根源を断つ。これで、ようやくプロローグが終わるのだ。
待ってろ。
今
ある日の夕刻。とある辺鄙なバーで、とある組織の新人歓迎会が行われていた。…ところが、どうやらそれは建前のようで。何でもその組織のメンバーの女性が、予期せぬ“事故”で記憶を失ってしまったらしい。組織のメンバーはそれを哀れに思い、組織の新人として改めて女性を迎える事にしたのだ。
…ああ、なんとも完璧な導入だ。
緩む口角を抑え、問い質すような視線を浴びせる死柄木を無視し、哀れな女に近づいてゆく。
「“ハジメマシテ”かな?新人」
「え…はい。はじめ、まして」
「荼毘だ。同じ仲間同士、仲良くしようぜ」
「えっと、よろしくお願いします…?」
そして流れで女の手を握る。
やっと、捕まえた。これでお前の顔も、声も、心も、身体も。全部、“俺”のだけのものだ。…いずれ、“首輪”も贈ってやらないとな。それで言うんだ。“これはご主人様から離れないための首輪だ”、と。それが嬉しいんだろ?お前は。これは最大の名シーンになるだろう。泣けちまうな。
そう。過去の俺など、それを愛したお前など、そんなものはハナからシナリオに載ってないのだ。言うなれば、それはただの舞台裏のプロローグ。客に見せるまでもない、陳腐な茶番劇。
―――さぁ、はじめよう。これが、俺とお前の、本当のモノガタリの開幕だ。
胸の燻りはもうすっかり、どこかへ消えていた。