八神探偵のひみつ







八神隆之につきまとう女がいる

それは、知る人ぞ知る、とまではいかないが、一部では有名な話だった。

八神=彼女
八神with彼女
八神のいるところに、彼女あり

これが常識であり、実際それが事実で。彼女という人物は、もはや八神を語るには欠かせない存在だった。

これだけ聞くとただのバカップルのように感じるかもしれないが、重要なのは彼女が「八神に“つきまとう”女」として名を馳せていること。そう、彼女は平たく言えば、“八神に猛アタック中の女”なのである。

彼女の執念はとにかく深く、根強かった。たとえどれだけ八神に相手にされなかろうとも、ぞんざいに扱われようとも、冷たくあしらわれようとも、めげずにアピールをし続ける様は、もはや狂気の域だ。

「八神さん、今日もかっこいいですね!好きです!」
「……ねぇ、海藤さん。なんか今日騒音すごくない?どっかで工事でもしてたっけ」
「そ、騒音…!?」
「あぁ、してるみたいだな。ター坊の目の前で」
「海藤さんまでひどい!!」

これが、彼らにとっての日常茶飯事。初めこそ、あまりに脈のない彼女に同情していた海藤も、今では見る影なしである。

そしてそれは、八神を介して彼女と知り合うことになった、杉浦、東にも言えることだった。

「あそこまでいくと同情通り越して、からかいたくなっちゃうよね」
「つうか、怖ぇだろ。あと、シンプルに趣味が悪ィ」

とまあ、このような具合である。

そしてそんな彼女が、所謂いつメンたち――八神、海藤、杉浦、東の4人――と八神探偵事務所で飲むことになった、ある日。

深夜3:30。八神探偵事務所は、真夜中だというのに未だシーリングライトが煌々と光を放っていた。

「─────ッてぇ!」

八神は唸った。腹部に走った衝撃の正体は、睡眠中の海藤からの蹴りだ。

「(……寝てたのか、俺)」

八神は酒を飲んでいる途中で、いつの間にか寝てしまっていたことに気がついた。辺りを見回すと、一緒に飲んでいた皆も狭い事務所内で雑魚寝しているのが目に入る。そして、そこに当然混じっているのは。

「……やっぱり」

長い髪に、女性特有の柔らかな曲線。それを見て、八神は大きくため息をついた。

やってしまった。いくら彼女とはいえ、野郎四人に囲まれて雑魚寝など、普通によろしくない。

八神は痛む頭を抑えながら、立ち上がった。重なりあって眠る男たちと空き缶・空き瓶の間を避けながら、彼女の元へ向かうと、彼女の横に腰を下ろす。

「…なぁ、起きろ」

八神が呼びかけるが、彼女は依然すぅすぅと小さな吐息を漏らし、ぐっすりと眠ったまま。軽く肩を揺らしてみるも、反応はない。どうやらすっかり深い眠りについているようで、簡単には起きそうもなかった。

「(……仕方ない)」

八神は彼女を起こすことを諦めて、照明を消しに向かった。

他の奴らならまだしも、あいつらだし。一般的に考えたらアレだけど、まあ大丈夫だろ。

それに何より、彼らは熟睡している。きっと、間違いなど起こるはずはない。八神はそう考え、彼女をひとまず寝かせてあげることにした。

「…んん…やがみ、さん…」

部屋の電気を消したそのとき、彼女の声が聞こえた。窓から漏れる僅かな光を頼りに、目を凝らして彼女を見るが、目はつむったままだ。今のはどうやら、寝言らしかった。

「(……本当懲りないよな、お前も)」

八神は呆れたように笑うと、自分ももう一度寝ようと先程の位置に戻ろうとした。が、ふと、今しがた海藤の寝相の悪さに起こされたことを思い出した。

「(……別の場所にするか)」

正直ソファーで寝たいところだが、いくら自分の事務所とはいえ、床で眠る皆を差し置いて寝るのは忍びない。八神は、海藤から離れたところで寝床を確保しようと辺りを見渡した。するとちょうど、彼女の横のあたりが少し空いていた。

「(…………)」

椅子で寝るという選択肢もあるが、まぁ。

八神は暫し逡巡した後、ブランケットを手に持つと、再び彼女の元へ向かった。

「……」

八神は頭を腕で支えて、横向き寝をしながら、彼女の寝顔を見つめた。きっと本人は知らないだろうが、よく周囲から「顔はそれなりに良いのに」と言われている彼女。普段だと調子に乗るのでじっくり見つめることなど絶対にしないが、こうして見ると、やはり整った顔立ちをしている。八神は漠然とそう思った。

「……やが、みさん……」

彼女のは再び寝言を口にした。そしてそのまま、もぞりと体を動かし。

「(……あ。)」

彼女は八神とは反対側の横で寝ていた杉浦の腕に、しがみついてしまった。

「、……」

八神は、開きかけた口を噤んだ。無言で彼女の手首を軽く掴み、それを解こうとするが、彼女はなかなか手を離してはくれない。むしろ、離すまいと、力を強めているような…。

八神の視線は、彼女の寝顔から、完全にソレに移っていた。そして八神がソレを離そうとすればするほど、彼女は杉浦の方へと身を寄せていった。そしてついに、ぎゅうと絡みつく彼女の胸元が、杉浦の腕に強く押し付けられたとき。

げし、と。

海藤から八神へ与えられたものと同等か、それ以上の蹴りが、杉浦の体にお見舞された。もちろんそれは、八神によって。

「っ、……ん……すぅ……」

杉浦はそれによって一瞬唸ったものの、やはり同じく眠りが深かったのか、幸い起きることはなく。彼女の逆側に寝返りをうつと、自然と彼女の腕からも解放された。

対して彼女の方は、相変わらず「やがみさん…」と零しながら、再び擦り寄るものを求め、杉浦の方へ腕を彷徨わせていて。それが杉浦の背中に触れると、ぴくりと八神の眉が反応した。

「……なぁ、」

八神は上体を起こして、杉浦に触れていた彼女の腕をとった。

「それ、俺じゃないんだけど」

未だ寝ている彼女に、八神は語りかける。その声色には、どこか苛立ちのようなものが滲んでいた。

「……俺は、こっち」

八神は、掴んでいた腕を自身の方へと引き寄せた。その勢いで、彼女の体躯は杉浦の方から、ころり、八神の方へと向く。すると彼女は、再び手探りで抱きしめるものを探し始めた。

そういや、いつも毛布とかぬいぐるみ抱いて寝てるって言ってたっけ。…いや、子供か。

八神がそんなことを思っている内に、彼女の手のひらは八神の腕に辿り着いた。八神はそれを特に拒むことはなく、ただ黙って彼女の行動を見つめた。

ふと、八神は何を思ったのか、空いている方の手を彼女の方へと伸ばした。八神は彼女の顔に掛かっていた髪を払い、彼女の顔をあらわにする。

八神がそうしている内に、彼女は杉浦のときのように、徐々に八神の方へと身を寄せていった。そして、終いには腕に絡みついていき。

「……やがみさん、すき……」

すり、と頬擦りをしながら、彼女はそう呟いた。

ぴたり。

八神の動きが止まる。そのまま、穏やかに、幸せそうに眠る彼女の顔を、じっと見つめる。やがて、彼女の髪に触れていた八神の手は、彼女の口元へと移動する。八神の親指が、彼女の柔らかな唇の上を滑る。八神が、ゆっくりと首を下げる。同時に、八神の手のひらは彼女の頬に流れていく。八神はさらに、彼女の方へと顔を沈めていく。そして。

ふわり、静かに、優しく、そっと。

八神は彼女の唇に、自身のそれを重ねた。

それは、実に一瞬の出来事。瞬きの間の後、八神は彼女から唇を離し、彼女の頬をひと撫でする。それから、彼女に向かって、ふっと笑みを零した。その瞳は、どこまでも優しく、柔らかく、慈しむような感情を孕んでいた。

八神は彼女にブランケットをかけると、まるで何も起こらなかったかのように、横になった。次いで、未だぴたりとくっついている彼女を数秒見つめた後、目を瞑った。そうして、その瞳の裏に、朝目覚めたら彼女がどのような反応をするのかを思い浮かべながら、眠りについたのだった。








……一方。

場所は同じく、八神探偵事務所内。そこに、冒頭からずっと、必死に息を殺し続ける男が、一人。

「(……おいおい……マジかよ……!!)」



副題【 東徹は見た 】

八神が起きた時点で同じく目を覚ましており、一部始終を見てしまった東。彼が目を疑うような光景を目の当たりにし、言葉を失っていたことは、誰も知らない…。

さらに後日、東から「…お前、そのままでいろ。多分いけるぞ」という謎の激励(?)を貰い、不意打ちでときめいてしまう彼女、それを見て面白くない顔をする八神がいたのは、また別の話。




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