「あの、これ…峯さんのお口に合うか分かりませんが、よければ召し上がってください」
渡して早々、『なんですかこれは』って顔をしてくる彼。峯さんって分かりづらそうで実はめちゃくちゃわかりやすいのでは…? なんて思いながら、
「チョコレートです。今日はバレンタインデーなので」
と言えば、あぁ、と納得した様子。彼はその場で袋の中身を取り出し、チョコの入ったボックスを手に取る。
「…………」
そして、なぜかそれを凝視したまま、ぴくりとも動かなくなる。
「…? 峯さん、どうしましたか?」
不思議に思って彼の視線を追ってみると、その先には、『ずっと好きでした。』と書かれたメッセージカード。…まさか、間違えて峯さんに本命チョコ渡しちゃった…!? いや、正確に言えば間違ってないんだけれども!でも、今回の場合は間違いであって…!
「み、峯さん、すみません…!間違えました!」
「……は?」
「それはその、違う人用ので…!峯さんのはこっちです!」
状況が掴めていないようにも見える彼を無視し、彼の手から本命チョコを取り上げると、本来渡すはずだった義理チョコを無理やり押し付ける。すると、みるみるうちに彼の眉間の皺が深く刻まれていって。
青ざめながら「すみません! お邪魔しました…!」全力で謝り、彼の元を立ち去った…。
それから、バレンタインデーも終わりかかってきている午後11時頃。
今年は最悪だ。峯さんに本命チョコは渡せなかったし、 他に本命がいると勘違いまでされてしまった。あのとき、そのまま思いを伝えていれば良かったのでは…? なんて、いまさら後悔しても、もう全部が遅すぎる。
はぁ、と大きなため息をついていると、やがてそれは、バイブ音と優雅なクラシックによって掻き消される。
…この着メロ、峯さんだ。こんな時間になぜ…? と思いながらも、急いで携帯を開く。
「…こんばんは、峯さん。どうされました?」
『……今、一人ですか?』
「え?…はい、一人です」
『……そうか』
「……?」
それきり、しばらくノイズ音しか聞こえなくなってしまう。
「…あの、峯さん…?」 促すように尋ねれば、『…今日、』彼がやっと言葉を発する。
『実は一日中、あなたに見張りをつけていました』
……。
「…えっ!?」
唐突なその宣言に、今世紀最大級の、え、が口から飛び出す。
「…よく分かりませんけど、…とりあえず分かりました。それで…?」
『…俺に渡し間違えた物、誰にも渡してなかったようですが』
そんなところも見られていたのか。妙に感心してしまいながら「はい、確かに今手元にありますね」と本命チョコを見ながら話す。
『…つまり、渡すつもりが渡せなかったと』
「…はい。そうなりますね」
『…で、結局誰にあげるつもりだったんです』
「え、」
なんでそんなことを…、と一瞬考えるけれど、それはすぐに一掃される。それよりも、今は。今、言うべきことは…。
「…相手は、峯さんです」
『、……』
「嘘をついてすみません。自信がなくなってしまって…渡せなかったんです」
『………』
一言も発さない彼に、胸が苦しくなる。どうしよう、もしも嫌われてしまったら…。誤解されたままも嫌だったけれど、会えないよりはその方がマシだったかもしれない。どくどくと流れる血の巡りを感じながら、彼の言葉を待っていること約数十秒。
『20分…いや、15分待っていてください』
「…え?」
『今からそちらへ向かいます』
「!?」
今の数十秒間に一体なにが起こったというのか。驚く間もなく、携帯越しに車の発進音が聞こえてくる。
「そんな、どうして…、」
『名前』
それは、初めて彼の口から放たれた、 こちらの名前。
『…今度は、逃げるなよ』
ぷつり。それきり規則的に無機質な音しか出さなくなったそれを、漠然と見つめる。耳の奥には、さきほどの彼の声が木霊していて。ドアのチャイムが鳴るそのときまでずっと、放心状態で座り込むことしかできなかった…。