「ちょっと屈んで?」からのキス逃げしてみた(郷田龍司)





「龍司さん、ちょっとお願いがあるんですけど…」

今、大丈夫ですか? そう尋ねると、先ほどまでしていた作業をやめ、こちらに歩み寄ってきてくれる彼。

「名前がそないなこと言うなんて珍しいのう。…ま、ええわ。なんや? なんでも言うてみい」

こちらを見下ろしながら甘やかすような優しい目をした彼はそのまま自然な流れでこちらの肩に手を回してくる。

…相変わらず、 新婚か?と突っ込んでしまいそうな彼の対応。少し慣れつつもあるけれど、やっぱり恥ずかしくて。でも、それ以上に、大切にされているんだと分かるから、嬉しいという感情の方が勝っていたりする。

ただし、今回に限っては “キス逃げ”というミッションが最優先。完全に肩をホールドされてしまったこの状況では“逃げ”を達成することが危うく、さっそく前途多難になってしまった。やっぱり日を改めようかな、なんて考え込んでいると。

「…どないしたんや。遠慮せんと、なんでも言い」

黙ったままのこちらに疑問を抱いた彼が、声をかけてきて。…今さら代替案なんてないし、先延ばしにしても仕方ない。そう思い覚悟を決めると、「少しだけ屈んでもらえますか?」とついに伝える。

すると、こちらの言葉が意外だったのか、「…なんやそれだけでええんか?」 不思議そうな顔をしてくる彼。それに対してこくりと頷けば、彼は未だ頭に疑問符を浮かべながらも、こちらの目線に合わせて屈んでくれる。

まっすぐに見つめてくるその視線に胸を高鳴らせながらも、何をしようとしているかを悟られないために、そこまで間を置くことなく唇を重ねる。

…あとは、上手く逃げるだけ。そう思い、未だ肩に回された手から逃れようと僅かに身を攀じる。しかし次の瞬間、肩に添えてあったはずの手のひらはこちらの後頭部に移動してしまって。抵抗する隙も与えられず、再び彼と唇が重なる。それも、 先ほどよりももっと深く。

乱れる呼吸、停止する思考。無意識に彼の背へと手を回せばそれは激しさを増していき。やがてこちらの息も絶え絶えになると、彼はそれを察してゆっくりと唇を離した。

「…どこで覚えたんや、 そないな誘い方。ワシは教えてないで」

吐息混じりの声が、唇に降りかかる。彼の放つ鋭い眼光は、傍から見たらきっと恐れられるものなのだろうけれど、その奥に燻らせた情欲に気づいてしまえば、別の意味でぞくりと背筋が粟立ってしまう。…そしてそのまま、 “逃げ” は果たされることなく、彼の腕の中に閉じ込められてしまった…。




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