彼に監禁されました。(獅子堂康生)






「遅うなったわ。ええ子にしとったか」

大きな体躯が、私を見下ろす。

「……はい。獅子堂さんも、大丈夫でしたか?」
「…………。」

彼は私の問いに答えず、ただ私を見つめる。すると突として私の後頭部に手を添え、軽く引き寄せ、がぶりと噛み付くように私に口付けてきて。彼の厚くて熱い舌が、私の舌を絡め取っていく。……あぁ、これは今日もする流れだなと。頭の隅で、そんなことを考える。私をこの部屋に閉じ込めて、夜に帰宅してきて、そういうことをして。まるで情婦にでもなったようだ。

彼とは監禁される以前から名前のない、体だけの関係だったけれど、今はどうなのだろうか。この関係性を、なんと呼べばいい? そんな疑問を抱いても、結局分からないままだと思うけれど。

情事を終えた後は、決まって彼の背中を見る。いや、見るというよりは、彼が私に背中を向けていた。雄々しく力強い唐獅子と、王者の風格を象徴するという紅い牡丹。燃えるような迫力を誇るそれは、彼を表しているようでいて、彼を隠しているようにも感じる。



……初めてこの部屋に連れてこられた日、彼は非常に不安定な状態だった。何も聞くなという雰囲気を醸した彼は、突然私をこの部屋に連れ出して、ベッドへ放り込み、貪るように私を抱いた。最初は当然戸惑った。彼に何があったのか、どういうつもりなのかが分からずに。でも、明らかに様子がおかしい彼の姿を見て、なにも聞かずに、すべてを受け入れることにした。

怒っているようでいて、どこか悲壮感が漂っていて。彼自身も自分の感情をどう処理していいか分からず、途方に暮れているような。そんな彼を拒むことなど、 私にはできなかった。彼とは恋人と呼べる関係ではなかったけれど、私は彼のことが好きだったから。


……その日以来、彼はそれほど感情を乱すようなことはなかったが、その背中は今でもあの日の彼のように泣いているように見えてならなかった。

「名前」

微睡みに沈みかけていたそのとき。私の名を呼ぶ彼の声が聞こえ、耳を澄ませる。

「……お前……俺を……や」

ちゃんと聞きたいのに、よく聞こえない。それが、私がもう眠りかけているからなのか、あなたの声が小さかったからなのかはわからない。だけど、これだけはわかった。あなたの声に、どこか縋るような、切ない感情が宿っていたことが。

私は朧げな視界のまま手を伸ばし、彼の手を包み込んだ。私はあなたの傍にいるよ、たとえあなたに何があったとしても。

そんな気持ちを指先に託して。











獅子堂side



「遅うなったわ。ええ子にしとったか」

己を閉じ込める相手にこないな言葉投げかけられたら、フツー怒るやろ。けど。

「……はい。獅子堂さんも、大丈夫でしたか?」

お前は嫌な顔ひとつせえへんで、ことさら綺麗に笑う。

「…………。」

せやから俺は、なんとも言えん気持ちになる。ただお前を、無茶苦茶に抱きたい衝動に駆られる。ほんで、俺をそのまま受け入れるお前に、また言い表せない感情を抱くんや。



……俺は、ドン底というドン底を掻い潜り、なんとか地獄を生き抜いてきた。そんな中、運に恵まれ、俺は極道という新たな世界で生まれ変わることができた。俺にその機会を与えたのは、鶴野のカシラ。延いては渡瀬組組長、渡瀬の親父。俺はそのとき、人生で初めてヒトに感銘を受けた。感謝の念を抱いた。力のある者が、強く在れる世界。まさに、力で生き抜いてきた俺に相応しい場所やった。

そして、俺は夢を見た。渡瀬の親父を支え、近江連合を誰一人として逆らえん組織として強く、大きくし。もしも。何十年後の話かも分からない、叶うかもわからない。それでも、いつか。俺が、その頂点に立てたら──────。ドン底にいた頃には抱くことすら許されへんかった夢が、俺を強く突き動かした。そんな思いで、俺はこの世界に引き入れてくれたカシラと親父のために働いた。

……なぁ、鶴野のカシラ。渡瀬の親父。そんな俺の姿は、あんたらにどう写っとったんや?馬鹿か阿呆か道化にでも見えとったんか?俺が、どんな気持ちであんたらの下について、あんたらの背中を追って、あんたらのために戦ったのか、ホンマに分かっとらんかったんか?

あんたらが実は解散を計画していただ何だという話を持ち出されたとき。俺は親に捨てられた15のあの日のことを思い出しましたわ。ただ、何も言えんかった。何も考えられへんで、その場を凌ぐしかなかった。そこにあったのはただの、喪失感やった。

……話を終えて、時間を置いて。やっとはっきり理解した。あんたらは俺らを、俺を、捨てたんやと。俺がどこで生きてきたかも知っといて、俺にはこの世界しかないことも分かってて、“解散する計画やから協力しろ” ? それを、どう理解しろっちゅうねん。こちとら聖人君子とちゃうんやぞ? そう、その場で啖呵切れればよかったんやけどな。……俺は、そうすぐには冷静にはなれんかった。どこかで、カシラが嘘だと言うてくれることを信じとった。またこうなるのかと、この世界に、他でもないあんたらに、絶望したくなかったんや。

けど、俺にはまだ喪ってないもんがあった。言い表せない感情に苛まれていたその日、ふと頭に浮かんだのが、お前の顔やった。俺がもう少し偉うなったとき、隣にいて欲しいと思うた唯一の女。

……俺は、その日のうちにお前を攫い、どこにも行かへんように部屋に閉じ込めた。やり切れん思いのまま俺はお前を抱いたが、お前は戸惑いつつもなんも言わず、なんも聞かず、俺を受け止めた。それに俺がどんな気持ちになったか、お前には一生分からへんのやろな。



俺はお前の顔を見て寝ることが出来ひんかった。もしそないなことをしたら、みっともない姿を晒してしまいそうな気がしてならんかった。だからお前が寝た後、お前を見ることにしていた。

「名前」

俺は、俺を産んだ奴らにも、拾うてくれた奴らにも、裏切られてもうた。 もう俺には、 お前しかおらんのや。 せやから。

「……お前だけは、俺を捨てんといてや」

無意識に俺の包み込んだであろうお前の手を、俺は絶対に離さへん。一生、互いが果てる、その日まで。




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