01


体育館だけの雰囲気、シューズの擦れる音、ボールが叩きつけられる音、部員の掛け声に時々笑い声。
微かに届く呼吸音。
暑くなってきたそこにいた私の全身にもじんわりと汗を感じるが、目の前で全身全霊動いている彼らは比ではない程に汗をかいている。
それがまだ明るい外の光を吸い込んで、実に眩しく光った。

ああ、青春だ。ここの熱気は、青春を具象化したものだ。私はゆっくりと肺を満たす。


「せんぱーい!今日の俺のスパイク見ました!?エースに向けて着々と成長してますよね!」

「ごめん今日芝山くん見てた。レシーブ上手くなったね!夜久さんのおかげかな?」

「はい!ありがとうございます!夜久さんが真摯に指導してくださって、とても分かりやすいんです!」

「うんうん、これこそ後輩の鏡…!がんばってね!」

部活帰りに偶然合流するような形で一年生の三人と校門を出る。
嬉しそうに笑う芝山くんと、それをまた輝かしい笑顔で喜びを共有する犬岡くん。
まさに音駒バレー部の中でも、いや、この学校の中でも随一のかわいい男子だ。
男子をかわいいと評するのもどうかとは思うが、同じバレー部の仲間は頷くだろう。

心が温かくなる光景を見守っていると、後ろにいた巨神兵の彼は少し拗ねたように目の前に来た。

「名前さん!!!俺も!!!俺も今日猛虎さんのスパイク止めましたよ!!褒めてください!!」

194センチもの身長を持つ彼がこう目の前にずいずいとくると、圧倒されるものがある。
それ故かは分からないが、二人と同様にかわいく思っているはずが彼に対してだけはなぜか褒め言葉というものがするりと口を素直に出てくれない。

名前は言葉を詰まらせた。
その上、ハーフの、彫りが深めの端正な顔からきらきらと輝くエメラルドの瞳を向けられては、距離が近くなくとも心臓は跳ね上がってしまう。

目を逸らし、すごいすごいとあしらうフリをする。
彼はほっぺを膨らませて芝山にずるいずるいと飛びつくのだ。

その後ろで不本意ながら少し熱を持ってしまった頬に手を当てて隠す。それを犬岡が見てるとは知らずに。

彼が無自覚なのもまた、彼女を悩ませる原因である。

本当は少し手厳しく教育する三年生の練習を終え、それで成果をあげた今日は褒めてあげたい一心だが、彼を見ていると言葉が口を出るのを躊躇する。

「こら、道端で騒がない。」

ぐい、と背の高い彼の襟を引っ張る。彼は存外素直に芝山から離れ、名前の隣へと歩く。

暑くなってきましたねー、なんて呑気に空を見上げる彼にそうだねと適当に返す。初夏の気温よりも、何よりも今あついのは自分の顔だろう。
火照ってしまうの原因がそれだけでないのは自分が一番分かっている。

「そういえば名前さんって、バレー部の二年生の中では誰と仲いいんですか?」

不意にそんな質問をされる。
タイミングがタイミングで、彼に他意はない純粋な疑問であるのに間違いない筈なのに、また心臓がうるさくなる。

驚いた彼女の口から間抜けた声が漏れた。しっかり目を合わせてしまった彼女の顔が赤くなっていることは流石のリエーフにも分かってしまうが、彼は少し痛んだ胸の小さな傷を無視する。

「ど、どうだろ…招平は喋りこそしないけど面白いし、山本は…あっちがまあ見ての通りで。…研磨は…。……楽しいとかよりは、隣にいて落ち着くというか…まあ静かだから。特に煩くもしてなければ普通に会話することもあるし。」

これはもしかして、と話を聞いた彼の心に靄がかかる。誤魔化すように目を逸らしている彼女の頬は赤い。
分かりやすくむっと拗ねるリエーフに彼女は少し首を傾げる。見事なすれ違いだな、と後ろを歩いていた二人は顔を見合わせて小さく笑った。



次の日からリエーフは彼と彼女の接点を注視するように努めた。
唯一のマネージャーである名前は勿論全員と話を交わす。

しかし特にバレー以外の話はしていないのか、彼とも真面目な顔をして一言二言交わしただけのように見える。

彼が練習に戻った後の彼女の様子を見ても、気を張って練習を見守っているだけだ。
そこに彼と話せた喜びだとか、照れたしぐさだとかは、見受けられなかったのだ。

よそ見すんなとリエーフを小突く黒尾にリエーフは聞いてみることにした。

「名前さんって、研磨さんが好きなんですかね…」

ドリンクを飲んでいた黒尾は見事に吹き出した。激しく咳をしてから、口元を拭う。

「は?なに?お前…は…?」

心なしか嬉しそうで心の底から面白がっている表情をした黒尾にリエーフはむっと頬を膨らませる。
リエーフは昨日のことを黒尾に言った。
だから彼女は研磨のことが好きなのでは、とリエーフは悶々としている。

「いや…多分名前は…研磨は喋らない友達ぐらいに思ってんじゃねーのか。それより…」

黒尾も視線を向けている先の彼女は夜久と話している。
彼は気さくな性格で、部活では鬼のような面も見せるが一方で、それ以外では優しい。

勿論女子に対して男子と同じ当たりをすることは無く、男前だとか紳士だとかよく評されている。
現に名前もとても柔らかく笑っている。

「研磨より夜久のが仲良くはしてるよな。」

「…俺、夜久さんのあんな笑顔も名前さんのあんな笑顔も向けられたことないです…」

「そうか?あいつ結構ツボ浅いと思うけどな。」

「黒尾さんは愛想笑い…いでっ!」

ふくらはぎを強く蹴られ、体勢を崩したリエーフは練習に戻れという喝を背中で受け取る。

ぶつくされながら、足元のボールを拾い上げ、体育館の照明に合わせるように高く掲げる。
ふと、また彼女の方を見た。まだ喋っている。こんどは何かの紙を二人で見ていて、名前が持つノートを夜久が横から覗き込んでいる。

必然と、彼らの顔が近くなる。身長もあまり変わらない二人がそこから顔を上げれば、事故でも起きそうだ。

夜久の名前を呼ぶことも考えるが、そうなれば彼女も顔を上げて余計なことになるかもしれない、とリエーフはうんうん悩む。

そして、ふと手に持ったボールを見つめる。それを、彼らの方へ転がした。



いつも通りの部活、名前はずっとコートの中を見つめる。
そして時折、その発見を手元のノートへ書き、また視線を戻す。

マネージャーとなれば雑務が主体だが、当然全ての時間を費やす訳でなく、こうして選手の練習を見る時間もある。名前は瞬きも忘れ、彼らの様子や変化をひとつもこぼさずに見つめる。

しかし今日は、やけに視線を感じていた。その主は恐らく今、黒尾に声をかけられていた彼だ。

別に特別でもない、ただかわいい後輩の一人だった。それが昨日からやけに、ずれてきている。
視線を気にしないそぶりをしても、繰り返し繰り返し刺さる

。部活に集中しろと心の中で叱咤する反面、その執着に一種の恐怖さえ覚える。

彼は甘いマスクの甘え上手なひよっこな普段の姿の下に、猛獣を飼っている。それこそ彼の名前通り、ライオンだろう。

だから注意する前に黒尾が彼の頭を叩くのを見、安心する。するとその油断の隙間に夜久がするりと入り込んでくる。
名前は先輩を前にして、ぴしっと背筋を伸ばす。

「芝山どう?やっぱ練習しながらだとずっと見てるわけに行かなくてさ。」

「はい。芝山くん、前より確実に拾える数増えてきてますよ!芝山くん自身、その自覚もあるようで。」

「そ。よかった。リエーフは?ちゃんとやってるか?」

「あー…今は黒尾さんが話してくださってるんですけど、今日はやけに気が散ってるような気がして…」

確かに今日は彼の視線はこちらへ向くことが多いことを確信する。今だって、ずっとこっちを見ているのだ。

夜久は、またしばきなおしだな、とはにかむ。それに釣られるように、名前もまた破顔した。名前は思う。さすが夜久さんだ、と。

彼はひょっこり手元のノートを覗き込む。あまりにも汚い殴り書きを見られ、彼女は恥ずかしさに紅潮する。字が汚くてすいません、と言うが、夜久は否定するだけだ。

「あー…確かに。山本も注意しねーとな…。」

「ちょっと最近拍車かかってますよね…お願いします…話しかけたら逃げられるので…」

ぶはっと夜久は吹き出した。名前よりも少しだけ、背が高い夜久の無邪気な表情は彼女に安らぎを与える。

ふとその二人のもとへ、ボールが転がってくる。サーブ練習の支持が出されて激しくボールが打たれている中、ただころころと、転がって名前のつま先に申し訳なさそうに当たる。

夜久も一瞬そちらを見たが、それを皮切りに彼は練習に戻る。
名前はしゃがんでボールを持ち上げた。

「スイマセン!」

そこへ駆けつけたのがちょうど先程話に出てきた背の高い彼で、ボールを転がしてしまったのだろう、名前の投げたボールを受け取った。

彼はお礼を言って、それから、その場を去らなかった。少したってから漸くその事に不思議に思った名前が首を傾げる。

何か言いたげだが、名前はそれを敢えて聞かない。
否、聞けなかった。彼女は黙ってじっと彼を見続ける。彼はたどたどしかった。しおらしくボールを両手で持ち、視線をあっちへこっちへ、時々彼女へ彷徨わせる。

「…あの、今日、二人、で。」

そろそろ話しかけた方が彼の身に先輩らの制裁が下されるのではないか、と何を言おうか考えているときだった。
彼にしては気味の悪いくらいに弱々しい声色だ。

今日、二人で。その先には何が紡がれる野だろう。彼女を無自覚の期待が満たす。

「…あの、先輩今日備品補充の買い物に行くって聞いて…。
…その、……荷物持ちで良かったら!!二人で一緒に行きましょう!!!」

最後はいつも以上にうるさい声が体育館にこだまする。誰もがこっちを見ているのが見ずとも分かってしまう。また身体が熱を持ったように火照ってしまっていた。



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