そんなに寒くないからか、学校の自販機に暖かい飲み物は無かった。けれど今日はそんな寒いと思わずにカーディガンを脱いで来てしまって、日が暮れかけている今、寒さを感じているのだ。
皆いっせいにコーンポタージュを買うが、私は決まってココアだ。
しかしそれも「あったかい」の話で、「つめたい」と青色しか見えない自動販売機の中から選んだのはただのミルクティー。
女子らしさなんて、狙ってなんかいない。
狙っていなけれど、しかも温かくないけれど、少しかわいこぶって袖を伸ばした両手で缶を包み込む。しかしそれが案外冷たくて、すぐに手を離してしまった。それからは手で転がすようにする。
「…おわりましたか〜〜…」
教室の扉を頭一つ分くらい開け、少し覗き込む。
しかしどの席にも彼の姿が見当たらず、狼狽えながら何度もきょろきょろする。
「誰探してるの?」
「うわあぁぁ!」
帰っちゃったのかな、とひどく落胆していると、その声と共に後ろから抱き締められる。私の腕の下から身体をガッチリホールドされ、驚いて可愛げのない声を出してしまったことにパニックになって首だけ必死に後ろに向けようとする。「誰、誰」なんて意図せず口をついてしまったが、本当は声だけで誰か分かっていた。
「…さあね。」
片手だけホールドを解いた、その手で後ろから肩を掴まれて身体を少しだけ捻らせられる。はた、と彼の顔をちゃんと見た次の瞬間にはまたキスをされる。
「ちょ…あ、かあしく…」
私が途切れ途切れになりながらも彼を呼んだにも関わらずそれを無視し、器用に大きくドアを開けて身体の重みで教室内に押し込められる。
乱暴にしめられたドアを背中に押し付けられる。振動で後頭部が痛い。
「ごめんね。日誌出してきて、帰ってきたら苗字さんが俺のこと探してるって思ったら…」
「赤葦くんが待っててって…言ったから…」
驚いて手から飛んでいってしまった缶がゆっくり転がって止まるまでを目で追う。プルタブ起こしていなかったのが幸いか。
そんなことはどうでもよくて、ただ私が缶のことを考えていたのは縋りたかったからだ。
恥ずかしすぎて、目の前の男とちゃんと向き合うのには無理がある。
彼は私を壁に縫い付けたまま、私の頭が肩口にすっぽり収まるように抱きしめられる。頭を優しく撫でられる。
「帰ろうか。」
そう言ってぱっと離れると自分の席の横から引っ掛けていた鞄を取って、ついでに私の鞄も剥ぎ取る。
いいのに、返して、持つよ、慌てふためいた私の抗議はきっちり無視される。赤葦京治はよく無視する男だった。
文化祭前だからか、私たちのクラスのように計画的に終らせて早々と解散したクラスはむしろ少数で、だいたいの教室の蛍光灯が夕暮れのすぐそばで光って眩しい。
当然人もいる訳で、ほんの少しだけ隙間を開けて歩く私達をすれ違いざまに凝視しては小声で話す人も勿論いた。私は俯いてしまった。声をかけられないのが救いだが、横でなんの表情もしてない赤葦くんは何を思っているのだろう。
校門をやっと出ると、力が一気に抜けてしまった。
穴の開けられた風船のように溜息を吐き出す。
「すごいね、誰にも話しかけられなかった。」
「たぶんそれは赤葦くんが真顔だったからじゃ…」
学校からだいぶ離れても、誰かに見られているような気がして何度も振り返って人影を確認する。
誰もいないのを確認して胸を撫で下ろし、また数メートル先で振り返る。それの繰り返しに、黙っていた赤葦くんもさすがに突っ込む。
「見られたら嫌なの。」
「いや、じゃ、…わかんない。…じゃ、じゃあ、その、理由を聞こうか…」
「なにその口調。うん、そうだね、まず、苗字さんが破壊神って呼ばれてるの聞いて。」
カッと頬が熱くなる。破壊神だという自覚はあるし悪意ある呼び方じゃないから今までさして気にせず、寧ろ自分の唯一のキャラだと思っていたがたった今、赤葦くんの前で呼んだ人を呪う。
「それから苗字さんが本当に破壊神なのか見てたら、ラーメンひっくり返すし、教室のカーテン外れるし、水道についてたホース爆発して廊下びしょ濡れだし、本当に破壊神なんだなって。」
「…忘れてください…!」
「忘れないよ。それで俺、思ったんだよね。このまま全部壊してくれたらいいのにって。」
「赤葦くんって…厨二?あっいや、特に偏見とかは無いんだけど意外というか現実主義だと思ってたから…」
「怒っていい?…苗字さんの醜態、ちゃんと覚えてるからそれでチャラにして。俺も恥を偲んで言ってるから。」
大きい片手で下から顔を掴まれる。
「せめてラーメンは忘れてください…」それだけ言わせてもらうと、赤葦くんに笑われてしまった。やっと彼の年相応な目を見た。
「あの時部活の先輩と食べてたんだけど」
「うわ…最悪…」
「すごい心配してた。同じクラスの子ですって言ったら、大丈夫かって聞いといてって言われたから今聞くね。大丈夫だった?」
「赤葦くん遊んでるでしょ…!じゃなくて、その、壊してくれたらいいのにっていうくだりはどうゆう事でございましょうか…」
そっちに戻るんだ、と口だけ笑う。
「一時期さ、部活がすごいスランプで。さっき言ってた先輩、すごい癖強くて、テンションの上がり下がりが激しくてさ、その先輩は尊敬してるんだけど自分の事に苛ついてて。…誰だってあるものなんだろうけど、もう何もかも嫌な時期って。
自分思ってた以上にめんどくさくて、それで。
ドジして笑ってる苗字さんが泣いてて、なんかいいなって。
なんで泣いてたの?」
心臓が驚くほどに跳ね上がる。私が学校泣いた記憶があるのは、戦争ものの映画を授業内で見た時と、大事なものを壊してしまった時だけだ。
きっと後者のことを知りたいのだろう。なんとなくそんな予感がした。
大事なもの、というのは中学時代の親友にもらった、ガラスのキーホルダーだ。小樽に行ったんだ〜、ともらった、ただそれだけだが私の好みを熟知している親友が選んだものをとても気に入っていた。
ガラスだから学校になんて持っていけば割れても仕方ないものだが、付け外そうとストラップを解いたら手から滑り落ちてしまったのだ。
手から机へ。
それだけで真ん中からぱきりと割れてしまった。
その時にあまりにも訳が分からなくて泣いてしまったのだ。
タオルで包み持って帰りボンドで接着し、今も不格好だがちゃんと残っている。
「だ、大事なものを壊しました…」
「ふぅん…」
意外なことにあまり深くは掘り返されなかった。
そんなところに好感度がうなぎ登りで、さっきまでの距離感ゼロが恋しくなる。
まだ好きとは言いきれない、けれど好きはそう遠くはない気がする。
だから言って欲しい、彼はもう辿り着いたんだと。
こんなの、自惚れるなっていう方が無理な話だから。