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今日に限って、ツナに害をなす者は誰であろうとダイナマイトで蹴散らす獄寺はいない。今日に限って、男女共に人望が厚く先輩からも一目置かれている山本は部活でいない。今日に限って、なんだかんだとツナのピンチ時に助言をしてくれる――余計に事態を悪化させることの方が多いが――家庭教師のリボーンもいない。昨晩徹夜をしただとかなんとかで、昼過ぎに家に帰った。
だから、殴られた。通り過ぎざまに、まだ多数の生徒が残る放課後の廊下で、前触れもなく。
突然の衝撃にツナは訳がわからないまま尻餅をつき、ホロリと一つ涙を溢した。顔面に無遠慮に叩き込まれた拳の主は、ニヤニヤと笑ってツナを見下ろしていた。
「お〜、悪い悪い。蚊が止まってたからさぁ!」
あからさまな嘘であるのに、それを咎める者はツナの周りにいなかった。だからこそ殴られた。何度も言うが、ツナはこの時一人だったのだ。
「あ゛? なんだその目は、なんか文句あんのかよ」
「な、ないれす……」
「だよなぁ? ま、蚊に刺されなくて良かったな!」
ギャハハ、と下品な笑い声をあげて男子生徒が去っていく。取り巻きの不良たちもニヤニヤゲラゲラ、座り込むツナにわざと蹴りを入れた。
確か彼らは先日獄寺にボコされたらしい、三年の不良たち。鬱憤が溜まっていても獄寺に拳を向けるわけにはいかなかったのだろう。
一人でトボトボ歩いていたツナは、彼らにとって格好の餌食となってしまった。
あんまりだと思った。けれど、元来ツナはそういった損な役回りばかりであったから、特に騒ぎ立てることもなく静かに立ち上がった。
なんだなんだと集まっていた野次馬も、なんだまたダメツナかとすぐに散っていく。リボーンが来る前はずっとそうだった。惨めな気持ちにはなったが、これが自分の人生なのだと言い聞かせた。
「まぁ、鼻血」
放課後のいっとう賑やかな廊下で、その声だけをすんなりと耳が拾う。
次いで目の前にハンカチが差し出され、ツナが行動するよりも先にそれが鼻に押し当てられた。
血と、柔らかな柔軟剤の匂いが混じる。
沢田さん、と口だけが動く。エマは心配したような口ぶりでも表情でもなかったが、ツナの顔を覗き込み空いた手でするりとほおを撫でた。
「保健室に行きましょう。冷やさないと」
背に手が添えられ自然と歩が進む。抑えて、と言われるがままに、赤く染まってしまった白いハンカチを鼻にあてる。
「ご、めん、はんかち」
「ティッシュがなくて。こちらこそ手を拭いたものですみません」
「そんなこと……」
ない、と言い切る前に階段に差し掛かって、エマがゆっくりと降りるように促した。そこまでしなくてもただの鼻血なのに、ツナに寄り添って手を差し伸べる。
どうしてオレなんかに、と思ったが、先月の体育祭を思い出した。保健委員だから、目の前の怪我人を放って置けなかったのだろう。
ひとり納得する頃には保健室に着いた。部屋の主は不在のようだが不用心にも鍵は開いていて、エマは遠慮なく入室するとテキパキと棚を漁り始めた。
「そこに座ってください。下を向いて、そう、そのまま。鼻を摘んでください」
ツナの手からハンカチを抜き取るとそう指示し、大人しく従ったツナを見てタオルで巻かれた保冷剤を差し出した。
摘んだ鼻の上から抑えておけ、ということらしい。血がつかないように気を遣いながら当ててみると、冷たさのせいか気分も落ち着いてきた。
「他に怪我を、口の中を切ったりはしていませんか?」
エマの問いかけには首を横に振った。綺麗に鼻っ面に叩き込まれたらしく、とにかく顔の中心が痛い以外は異常は見当たらない。
ツナの答えにエマはどこかほっとした様子をみせた。表情こそ変わっていないが、なんとなく、雰囲気が。
「先生を呼んできます。養護教諭ではなく、担任の先生を。しばらくそのままにしていてくださいね」
ご丁寧に一礼をして保健室を去ったエマは、どうやらそのまま帰宅したらしい。しばらくしてやってきた担任がそう言っていた。
お礼を言いそびれた。ツナは気付くが時既に遅し。
ツナの鼻血が止まって、後処理をして。教室に置き去りの鞄を取りに戻って校門を潜る頃にはもう、部活動以外の生徒はほとんどいなくなっていた。
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