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「悪い風見、そろそろ帰るが何かあるか」
「いえ、急ぎの案件はありません」
「そうか。なにかあったら電話してくれ。こっちには来れないかもしれないが電話になら出れるだろうから」
そういって俺は立ち上がる。椅子に乱雑にひっかけていたジャケットを手に取り、スーツパンツのポケットから車のキーを取り出したところでじっと俺を見続けていた風見へと再度目線を戻した。
「……なにかあるのか」
「あっいえ、すみません。降谷さんが家に帰るようになったので、我々部下一同安心しておりまして」
「鬼の上司がいないもんな」
「そっ!んなことは決して…」
「わかってるよ。ありがとう」
部下が俺を心配してくれていたのはわかっていた。
ずっと追っていた大きな世界規模の組織を解体までやり遂げ、俺を包んだのは達成感だった。ずっと身体も精神も追いつめてやってきた。部下やまわりの人間にもむちゃくちゃな巻き込み方をした。それでも救えたものはあったと思った。
―そしてすぐに襲ってきたのは、大きな喪失感だった。喪った友人、仲間の墓参りもできない。人のつながりがあった安室透も組織が壊滅したのと同時に存在は消えた。家族や恋人などという存在を作る暇も気持ちもなかった。
俺は胃からこみあげてくるなにかを飲み込んだ。俺には何が残っているのだろう。
その喪失感から組織壊滅後も俺は仕事に打ち込んだ。残党や後処理のような仕事から細かい書類作業まで、家にも帰らずまともに食事もとらずにずっと自分のデスクにかじりつくようにパソコンに向かっていた。もうそこしか自分の居場所がないように感じた。
俺は白い愛車を走らせる。助手席には愛おしい恋人―などはいないが、愛しい人のための食事の材料が入ったスーパーの袋が積まれている。
駐車場に車を停め、俺は部屋にむかう。手の中でキーがちゃりちゃりと金属音を立てていた。
「ただいま」
「れえくん!おかえりなさい!」
カギをまわしてドアを開けると、小さな影がリビングから飛び出してきた、しゃがみこんで靴を脱いでいた背中に小さな衝撃とともにぬくもりが広がる。
「いい子にしてたか?」
「うん、きょうはね、れぇくんを描いてたよ!うまくかけたからあとでみせてあげる」
「たのしみだ」
小さな頭をなでると、彼女は嬉しそうに笑う。
彼女は組織の残党狩りをしていた際に、小さな研究所をつぶして回っていたときに見つけた少女だった。戸籍もなく、正式な名前や年齢もわからなかった。彼女自身が何も覚えていなかったから。
身体的には10歳前後だろう。だがずっと外にいなかったせいか、しゃべり方や知識はもっと幼い。外の世界のことなどほとんど知らなかったので、ずっと研究所の中にいたのだろう。
俺はその子供を保護することにした。名前がなかったので、その子のことをしおと呼ぶことにして今はこうしてともに俺の家で過ごしている。
しおが、俺が家に帰るようになった理由だ。俺がいないとなにもできない小さな存在。俺はしおをぎゅっと抱きしめる。暖かい、しおはその小さな手で俺の頭をせわしなくなでる。
「れえくん、おつかれさま。いつもありがとう」
これはいつもの儀式だ。帰ってきたと実感できる。
しおを抱きしめ、俺はしおの首筋(体が小さすぎて首筋に顔をうずめても胸や腹に顔をうずめているようにもなってしまうが)に顔をうずめて大きく深呼吸をする。
あまい、やさしいにおいがする。もものような甘い匂い。わたがしのような柔らかいものに包まれている気持ち。俺はそのまましおを抱きしめ、リビングにむかうとしおをそっとソファに下した。
「今日はオムライスつくるから」
「おむらいす!ねこちゃん!かいて!」
しおはぱっと顔を輝かせて俺を見上げる。かいてあげるよ、と答えるとしおは嬉しそうにソファで足をぷらぷらさせている。俺がいないと生きられない。小さくてあまい、いつまでもこのままでいたらいいのに。
「しお、そろそろねよう」
「はーい」
「歯を磨くからこっちにおいで」
洗面所でしおを呼ぶと、小さな足音を立ててしおが洗面所へとやってくる。しお用の歯ブラシを手に、しゃがみこむ。するとしおは俺にむかってぱかりと口を開く。しおは一人でお風呂に入れない。歯磨きもできない。しいてできることといえばごはんは食べれるが、作ることなどもちろんできない。
しおを小さな口に歯ブラシをいれ、細かく動かす。しおはくすぐったそうに時折体を揺らしていた。
「しおが今日書いてくれた絵は壁に飾ろう。あと持ち歩くのもほしいから、小さい紙にもまた俺の似顔絵描いてくれないか?」
「うー!」
「あぁ、ほら、動かないで。そうか、描いてくれるか。うれしいなぁ」
しばらくそうしてしおの歯を磨き、最後は抱き上げて洗面台で口を漱がせる。キッチンや洗面台が高くてしお一人では届かないのもこの家のいいところだ。
そのまましおを抱いたまま、ベットまで運ぶ。ベットにころんとふたりで横になると、しおが嬉しそうに笑っている。
「れえくん、あったかいね。一緒にねよう」
「あぁ、そうだな」
ぎゅっとしおを抱きしめる。しおは俺のパジャマを握りしめながら俺を見上げる。
「ね、れえくん。いつものやる?」
「……そうだな、御願いしようかな」
俺がそういうとしおは元気よく頷いてくれるので、俺はしおのお腹に顔をうずめる。しおがゆっくりゆっくり俺の頭をなでる。
健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?
しおの言葉がゆっくりと沁みていく。あぁ、誓う、誓うよ。
だからしおも―ずっと、
あぁ、どうして。
どうしてしおがいないんだ
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