5.1945年某日、ポツダムにて

1945年5月7日。ドイツはソ連を除く連合国に無条件降伏した。
そして、5年間の激しい戦争は慌ただしく駆けるように幕を下ろした。
ベルリンで行われた降伏の調印会場で、欧州戦線の枢軸側と連合側の国達が久しぶりに顔を合わせた。皆ボロボロで、憔悴しきっていた。たった5年の戦争は長き時を生きる国にとっては、刹那的な時間でしかない。しかし、それでも、今までの戦争で一番疲れたと誰もが思っていることだろう。
それでも、一度戦争が終われば、再会の喜びを祝う声があちこちで上がっている。ルートヴィッヒやギルベルトとて例外ではない。
名前はどうしても会場に居ることができなくなって、逃げるようにそっと場を離れた。神は彼の国を攻撃してでも、ドイツを勝たせようとした名前に、いったいどんな顔をして彼に会えと言うのだろうか。
廊下には、多くの人間がいた。笑顔は無く、厳しい顔をしている者ばかりだった。好奇の目に晒されながら、名前は中庭に急いだ。焼けてしまい、かつての緑生い茂る面影は全くないが、慣れ親しんだ場所と言うものはやはり気を落ち着かせるには最適だった。
急増のベンチに腰かけて、名前は胸に蟠る黒い空気を全て吐いてしまおうと深呼吸を繰り返した。それでも、やはり考えることは彼のことだけなので、己の能天気さに愕然となる。これから、ドイツは戦勝国という名のエゴによって割譲されて消えてしまうかもしれないと言うのに、それを行おうとしている相手を思うなど、愚かの極みだった。もう、自嘲的な笑いしか出てこない。
名前は目の奥から熱いものが込み上げてくるのを必死で我慢した。
その後、7月にベルリン南西のポツダムにてドイツの戦後分割統治が取り決められたポツダム協定の締結が行われた。

「こんなこと認められるか!」

「だけど、もう決まったことなんだぞ!」

ルートヴィッヒとアルフレッドが激しく言い合う。普段は冷静なルートヴィッヒが声を荒げるなど尋常ではなかった。なぜなら、アルフレッドが突き付けた条件にはとんでもないことが書かれていたのだ。

「ベルリンを、ドイツを2つに分けるなど……そんなことがあってたまるか!」

「DDDD……何を言っているんだい? 君達は敗者だ。勝者であるおれ達の命令を聞くのは当たり前のことなんだぞ。それにもう、決まったことだしね」

名前は、腕を組んでその言い争いに耳を傾けていた。いくらルートヴィッヒが食らいついても、アルフレッドが言う決定はきっと覆らない。
おそらくは、連合側で一番の影響力を持つのはアルフレッドだ。だがしかし、彼はヨーロッパで続いてきた泥沼の勢力争いを知らない。だから、簡単に定規で線を引けたのだ。ここからここまで、と。
ドイツは、第一次世界大戦後も領有していた東プロイセンやシュレジエン、旧ドイツ帝国の領土であるダンツィヒやポーランド回廊など、オーデル・ナイセ線以東の広大なドイツ領を喪失することになった。
その上、ドイツ本土をアメリカ・イギリス・フランス・ソ連の4か国で分割統治され、連合国がベルリンを西と東にわかれて管理するなど、あまりに横暴極まる決定だった。
負けたのだ、その言葉を聞くたびに名前は胸が痛くなった。ライヒを守るために、死に物狂いで戦ったはずだ。ルートヴィッヒもギルベルトも、親戚たちも、手を抜いたところなどどこにもなかった。あえて言うなら、この幼い国の参戦による戦場の崩壊速度を見誤っていたこと、そして予想以上に使えなかったあの男の慢心だ。

「ルートヴィッヒ、もういいだろう」

「しかし……」

ギルベルトが珍しく、公式の場で声を発した。普段はルートヴィッヒの思うようにさせて、見ているだけ、ということが多いが、今回ばかりはそうもいかないと考えたのだろう。それほどに、ルートヴィッヒとアルフレッドの言い合いは誰かが入らなければ、いつまでも続きそうだった。

「しかし、それでは、家族がバラバラになってしまう……」

「平気だ。一生会えないってわけでもねーんだから。そうだろ? 名前」

名前はいきなり話題を振られても困るのだが、とそんな風に考えながらギルベルトを見る。すると、ギルベルトは穏やかに微笑んでいた。
名前にはギルベルトの覚悟の強さ、大きさ、重さがひしひしと伝わって来た。そうだ、ルートヴィッヒさえいれば、ドイツはまた何度でも立ち直る事ができるのだから。

「そうだな。これ以上の議論は時間の無駄だろう」

「姉さん!」

「決まりだね! じゃあ、今日はこれくらいにしよう! 俺はお腹が空いたんだぞ!」

アルフレッドの場違いに明るい声が部屋に響く。カツカツと靴音を鳴らしてアルフレッドが出ていくと、他の連合国側の国達も部屋を出ていった。ドイツ側にもたらされたのは、重い沈黙と焦燥、そして不安だけだった。

「ケセセ、煙草吸ってくるぜ〜」

「……私は散歩してくる」

ギルベルトの言葉を皮切りに、名前も部屋を出た。ガタガタと椅子の音が鳴り、親戚達も次々と部屋から出て行く。後に残されたドイツは一人で一体何を思うだろうか。最善の方法を考えているのだとしたら、それは無駄でしかない。
名前は廊下の途中に、もっとも避けている彼が仁王立ちして名前のことを見ていることに気が付いた。そのまま前進することは躊躇われたので、くるりと踵を返して元来た道を戻る。

「あ、ちょっ、何でだよ! 待てよ、名前!」

彼が懐かしい声で、名前を呼んだ。振り向いてしまいそうだった。いや、振り向いてしまいたかったのだ。どうして、夢にまで見た彼が呼んでいる。
しかし、それに答えることはできなかった。名前は彼を無視して、廊下を大股で歩いていく。それを、彼が追いかけてきた。構わないで欲しいという心と、構って欲しいという心が矛盾してパラドックスを生む。

「何で避けるんだよ、バカァ」

その口癖まで愛おしいと思うのは、もう末期だからだ。彼が好きすぎて、愛し過ぎて、無理やり殺していた心はもう破裂寸前だった。

「君に、会わす顔が無い」

「はあ? 何だよ、それ」

彼は名前の腕を掴んだ。名前は振り払おうと思ったが、彼の腕は万力のように食い込んで離れない。彼の細い身体のどこからこんな力が生まれているのか名前には不思議でならなかった。そのまま、無理やり腕を引っ張られて彼と対面させられた。

「これでもか?」

彼の翡翠に輝く瞳は、名前の大好きな色だ。名前はあまりの恥ずかしさに、俯いた。ここは廊下で、人の目もある。それに、先ほどまで、大切なドイツの分割に加わっていたその手で触れて欲しくはなかった。

「そうだ」

「強情な奴……」

彼はそう言うと、名前の顎を上に向けさせた。名前のスミレの瞳と、彼の翡翠の瞳が見つめ合う。先に目を逸らしたのは名前だった。

「私は、お前の国を攻撃した!」

「それなら、俺だってお前のところに爆弾をいくつも落とした」

「わ、私は……お前を倒そうとした!!」

「俺だって同じさ」

脳を麻痺させるテノールの響き。その甘い響きに、名前は抵抗するのを止めた。
すると、彼は名前腕の戒めを解いた。代わりに、そっと名前を抱きしめた。鼻孔を擽る彼の香りに、名前は涙した。名前は気づいた。求めていたものはこんなに近くに会ったのだ。けれど、手を伸ばすことはできなかった。
もう、いまなら許されるだろうか。

「会いたかった、アーサー」

「名前、俺も会いたかった。お前のことばかり考えていた」

再び、男と女が巡り合う。
それは、戦争が終わったある初夏の日のことだった。


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