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4.1943年某日、東部戦線にて
東部の激戦地区に居た名前は、気心の知れた戦闘機乗り達と禁じられている賭けポーカーに興じている最中、突然のめまいと激しい頭痛により、その場で意識を失った。 次に名前が目を覚ますと、すぐに染みのある天井が目に入った。鈍痛がする頭を手で押さえながら重だるい身体を起こして周りを窺うが、そこは病室ではなかった。病院でもないのに、名前はとても、とても清潔な白いシーツに包まれていた。 名前は驚き、状況把握に努めようとした。名前が一人で悩んでいると、部屋の扉がノックも無しに開いた。警戒して睨むと、そこにはよく知った人物が立っていた。しかし、絶対にそこには居ないはずの人物だったので名前は驚いてしまった。 「ギルベルト!」 「よう、ようやくお目覚めかよ」 妙な言い方だが、国防陸軍将官の軍服を着崩すことなくかっちりと着こなしている姿は、いつものギルベルトからは想像できないくらい、妙な言い方だが軍人らしかった。戦うために生まれた国なのに、ギルベルトには軍服が似合わない、と名前は常々考えていたのだ。 名前の驚きとは別に、ギルベルトは扉を閉めて鍵をかけるとベッドの側まで近づき、備え付けの椅子にドカリと乱暴に腰かけた。そして、軍帽を脱いだ。名前はいつもとは違ってにやりとも笑わないギルベルトを不思議に思った。 「どうしてギルがここに?」 「……」 無言のままギルベルトはじっと名前を見た。赤い鋭い瞳で見つめられて息を詰まらせた名前は、そんなギルベルトの行動を疑問に思いながらも、ギルベルトが話し出すのを根気よく待った。 「名前……お前、体調はどうだ?」 「何だ、いきなり……良好だがそれがどうかしたのか?」 実際は倒れてしまったのだから、良好とは言えない。だが、ギルベルトを前にして弱っているところは見せたくなかった。そんな名前の虚栄を見透かしたのか、ギルベルトは彼ではないようなスマートなやり方で笑った。しかし、すぐに顔を引き締めて、とても真面目な顔になった。これは、何かあったのだと名前も感じた。 ギルベルトの口を割って出てきた言葉は、名前の想像をはるかに超えるものだった。いや、しかし、心のどこかで予想しながらも、なるべく考えないようにしていたことだった。 「昨日、ミュンヘンがイギリス軍から爆撃を受けた」 「ミュンヘン、が?」 「ああ、瓦礫の山だ……倒れたのは、そのせいだろうな」 戦慄く名前を余所に、ギルベルトは淡々と事務的に話を続けた。名前は、両手で顔を覆った。名前にはミュンヘンの美しい光景が、まるで目の前に広がっているかのように見えた。力強く輝く太陽、陽光を反射して光る川、生き生きと生える草、街中を踊る風、優しい月の光。そして、誇り高い人々。すべてが、今は遠い。 美しい煉瓦の町並みが破壊されたなど信じることができなかった。ましてや、爆撃をイギリスが行ったなど信じられるはずもなかった。 ミュンヘンには彼が「綺麗だ」「美しい」と褒めた物がたくさんある。彼は、そのことを忘れてしまったのか?どんどん、名前の頭の中を困惑が占めていく。 「もう1つ、お前は狼の砦に戻る事が決定した」 「……そんな、勝手な」 「もう決定したことだ……明日の朝には、俺とここを発つ」 ギルベルトは椅子から立ち上がり、軍帽を被りなおした。 「仲良い奴に、別れでも告げとけ」 ギルベルトの顔は軍帽に隠れて見えなかった。そして、さみしい背中を名前に見せながら部屋から出て行った。 一人になった部屋で、名前は絶望していた。 彼がミュンヘンを攻撃するなんて、考えもしなかった。 そんな自分を、名前は何て甘い事を考えていたのだろうと、律した。 だってそうだろ? 今は戦争をしているのだ。勝たなければ意味がない。愛だ、なんだのと情に絆されているようでは負けてしまう。 彼は敵。敵なのだ。それは、代わることのない真実で、名前が何度否定しても変わらない真実で、真理なのだ。 敵には攻撃を!報復を!殲滅を!確実に!徹底的に! 雷よりも速く、音よりも、光よりも速い進軍でもっての進撃を! 「ドイツに勝利を!」 そう、そのために敵は打たなければならない。 しかしそんな名前の願いは空しく、ドイツはだんだんと追い詰められていく。 ソ連にレニングラードの包囲網を突破され、クリミア・ウクライナ地方のドイツ軍は撃破された。その上、バグラチオン作戦で、ドイツ中央軍集団は壊滅的な被害を受け後退を余儀なくされる。また、連合軍に多数の死者を出しながらもフランスのノルマンディーに上陸するオーバーロード作戦を成功されてしまう。 国内ではあの男への暗殺計画関与を疑われ、国民的英雄が服毒自殺。 ノルマンディーのドイツ軍は必死の防戦で何とか連合軍の進出を食い止めていたが、コブラ作戦でついに戦線は突破され、ファレーズ付近で包囲されたドイツ軍は壊滅的状態。連合軍がパリ方面へ進撃を開始した。 名前は狼の砦の中で、ここ数カ月の情勢が書かれた報告書を持つ手が震えるのを止めることができなかった。酷い劣勢だ。どう考えても、完全に敗勢に陥っている。 ジェット戦闘機Me262やジェット爆撃機Ar234、V1飛行弾頭、V2ロケットなど世界初の新兵器を実用化させ、イギリス本土及びヨーロッパ大陸各地の連合軍に対し実戦投入するものの、圧倒的な物量を背景にした連合軍の勢いを止めることはできない。 しかも、日に日に連合軍はドイツに、ベルリンに近づいて来ている。 「このままでは……」 名前のため息は増えるばかりだった。名前の正面には、煙草の煙を燻らせているギルベルトがいた。煙草など、いったいどこから得たのだろうか。 「辛気臭ェ面だな……」 「ギルベルト!」 「ホントの話だろ?お前、かなり酷い顔してるぜ? 休んでるのか?」 「こんな状況下で休んでいる暇などない」 「バーカ」 ギルベルトが吐き出した煙草の白い煙が名前を襲う。名前は眉間を寄せた。煙を手で払う。ギルベルトはいつものようにケセセと笑っている。真剣な話をしているこの場にはあまりにもそぐわない笑みだった。 「俺達には何も決められねーんだ。すべて、決めるのは人間だ」 「まだ、わからない」 「もう無駄さ。この勢いは止まらねーよ」 名前にもドイツの勝利がいかに難しいことかは分かっている。神の奇跡でも起こらない限り、大逆転の勝ち目はない。それに、たとえ参謀本部がどんなに素晴らしい作戦を考えても、実行する兵がいなくては、戦えない。どうすればいいのだろう。どうすればいい!? 「暗殺さえ成功していれば……」 「はっ、そんなんじゃ根本的な解決にはならないぜ。それに、プロイセンの軍人は忠誠を誓った相手を絶対に裏切らねー……そういや、もうすぐラインの守りが発動されるが、作戦書読んだか?」 「読んだよ。しかし、無謀過ぎる。あれでは、実行しない方がいいというものだ」 「まあ、電撃戦を再現して西部戦線北方の連合国軍を壊滅、なんてぜってー無理だな」 あの男は夢を見ているのだろう。無理な作戦を通して、勝てると思い込んでいる。 人の命は駒ではないし、土地はパズルではない。 このままでは、本当に負けてしまう。このままでは、全てがバラバラになってしまう。 |