坑道に到着すると、先頭にいたハウルが軽めの魔法を使ってほんの少し道を照らした。それにしたって、仄暗いし頼りない光だけれど。スペードはどうやらツルハシを取りに行ったまま行方不明になったらしく、その例のツルハシが置いてあった場所に、ハウルとセベクを先頭に、次いでトラッポラ、という一年生の波に乗れず私は後ろから二番目でぞろぞろと着いていった。
「――ここから先は、課題で来ていないエリアだ」
昨日の夜、スペードを探しにマジフト部とバスケ部、そしてハウルが来たときに、ツルハシだけが残されていたらしく、それを回収して帰ったらしいのだけれど、そこには目印となりそうな岩が飛び出していた。それより奥は、やっぱり魔法石なしで使う分の魔法では照らしきれないほど暗くて、どんよりとした空気が流れ込んできている。
すると、いつの間にやら私の少し前に出ていたレオナさんが、低音を響かせながら私たちに声をかけた。
「おいテメェら、こっち来い。面白いもんがあるぜ」
「魔法石ッスか!?」
「んん、がめつい……」
「本当に尊敬できない男だ……」
「いや。だが坑道で見つけるとなると、魔法石よりも希少かもな」
そうしてレオナさんが、坑道の中だからかよりいっそう黒くて、骨ばった細くて長い人差し指をぴんと立てると、そこにあったのは、大釜だった。暗い中なのに黒光りしていて、年季はあまり入っていないものだ。セベクが目を細めたかと思いきや、カッと開いてアンティークゴールドをぎら、と光らせて、よく通る大きな声を響き渡らせる。
「あれは……大釜!? どうして大釜が坑道の中にあるんだ!」
「その声……セベクか?」
「ひっ」
セベクのお決まりの大声の後、その大釜の中で声がこもっていて、でも透き通っている、どう考えても人間の声に肩を震わせる。けれど、よく聞かなくても、そもそも大釜から連想できる人なんて、一人しかいない。
「やっぱり! セベク! それにジャックにエースにミョウジ、先輩たち……グリムに監督生も! 皆どうして……」
「どうしてじゃねえだろ! お前を探しに来たんだよ」
まるで魔人みたいに大釜の中から飛び出してきたのは、ピーコックグリーンが印象的なスペードの男で、またしても暗順応してきた目では眩しいくらいだった。それに、弱っているかと思いきや、スペードのマブたちが口々に言う通りピンピンしていて、まさか本当にサボりだったオチだろうか。だとすれば見損なったなあ、と思いつつもレオナさんと一緒に出口へと向かっていると、スペードが緊張した声色で私たちを引き止めた。
「物音を立てるな!」
「え?」
見つかったから早く帰ろうと思っていたのに、その緊迫した様子からどうもつまらない理由でサボっていたわけではないらしい。欠伸をしかけていたレオナさんも足を止めて踵を返し、私も振り返ればセベクの背中にとん、と当たった。それにしても、スペードがこんなに冷や汗ダラダラで、私たちに強く忠告するだなんて、きっと何かある。やっぱり事件だったのでは。
「貴様……僕はわざわざ助けに来てやったのだぞ!!!!! 人間のくせに随分と偉そうな態度だな!!!!!! ――もがっ」
「セベク、静かに! 声張りすぎ!」
「静かにしてくれ……! そんな大声を出したら……」
セベクがスペードの忠告を聞かず、なんなら気が立ってしまったらしくて、ただでさえよく音が反響する坑道内でいつも以上に声を張り上げたので、色々な意味でドキッとして思いきり背伸びをすると口を塞いだ。もがもが動かされる大きな口を覆うには、両手を使ってやっと余裕が生まれるくらいだった。
そうこうしていると、坑道の入口の方から、何かが地に足を引きずるみたいな音を鳴らして近づいてきた。私の察しはやっぱり悪くないし、このスペードの焦りようを鑑みて、それはやっぱりただ事じゃないらしい。
「ヤバい……アイツが来たぞ!」
ザッ、ザッ、という音が近くなり、それは地面に足裏が擦れるというよりは、金属を引きずっている音に近いようだった。ラギーさんの「なんか来るッス!」という声とともに、入口の方に近かった私とレオナさんとセベクが順に振り向くと、仄暗い光がなくたってわかる。
『オデ……オデノ……モノ……』
「なんスか……コイツ……」
全員が目を見開き、ただフロイド先輩からは場違いに楽しそうな「あはっ」という笑い声が聞こえてきて、いや、どこに楽しむ余裕があるというのだろう。地を這うような、呻き声にも近い音は確実に私たち人間と同じ言葉を発していて、それでいて、大きい。頭がなくて、代わりにインクみたいなどろどろ。人間じゃないのに、衣服は纏っていて、そのとてつもない気味悪さに身を引けば、レオナさんがさり気なく私の前に被さってくれた。私は知らなかったけれど、トラッポラたちは以前にこの化け物と戦ったことがある、らしい。
「ここまで来る途中にはいなかったのに……どこかの脇道に隠れてたみてえだ」
「ダメだ……退路は完全に塞がれている……戦うしかないのか……」
確かに、狭い坑道は私たちも二列になって収まるくらいの横幅なのに、目の前のインクの化け物は二人分くらいの大きさがあって、隙間を縫おうものならツルハシで一撃だろう。確かに、戦うしかない。けれど、魔法を使うなら魔法石の採掘をしなければならないし、絶体絶命の状態で呑気にそんなことはしていられない。記録係の監督生に、「スマホ持ってないの?」と聞けば、「記録係も回収されちゃった」なんて言った。あの脳筋。
仕方なし。戦うしかないなあ、と思っているも、不思議となかなか近寄って来ない化け物をいいことに、何やら楽しそうにこちらを振り向いたのはレオナさんで、綺麗なサマーグリーンが挑発するように光った。それに続くように、オリーブとゴールドも。
「なーに『もう終わりだ』みたいな顔してんだ? バルガスにうるせえこと言われて鬱憤が溜まってたんだ。ちょうどいい相手が見つかったぜ」
「あはっ。オレも〜! さっきはコバンザメちゃんにしてやられたし、強いヤツ思いっきりぶっ飛ばしてー気分」
レオナさんとフロイド先輩は、まあ、らしいといえばらしいのだけれど、この状況を楽しんでいるというか、楽しもうとしているというか。それに対して、今まで大釜の中で頑張って耐えていたスペードは、「これ以上は魔法石なしじゃ……」と抗議の声を立ると、レオナさんが舌打ちを鳴らした。けれど、魔法石なしで苦しいのには同意だ。バルガス先生、せめてマジカルペンを返してくれれば良かったのに。
「草食動物どもが。この俺がついてるって言ってんだろうが」
「でも、呑気に採掘はしてられないですよ」
「俺を信用してねえな?」
「ラギーさんが信用する方が馬鹿って言ったんで……」
む、と眉をひそめてそう言えば、レオナさんは私以上に眉間に皺を寄せて、心地が悪くない低音ボイスで「一年が生意気言うな」と言った。レオナさんだってそのタイプだと思っているのだろうけれど、この表情を見るに、今回はその逆なのかもしれない。新しい彫刻作品ができあがりそうなお顔。
レオナさんはまた舌打ちをすると、溜息をついて、鋭い目でラギーさんの方を見た。
「おいラギー」
「ん?」
「そのまま両手をあげて飛び跳ねろ」
レオナさんが何をしてくれるかと思いきや、まさかのラギーさんへのカツアゲだ。きっとカツアゲではないのだろうけれど、よく小銭の音がポケットから鳴るそれだ。ポケットの中から、小銭の音? まさか!
私が連想して、あっという間に推測できてしまったことをさらに確信に迫らせてくれたのは、ラギーさんの反応だ。素直に跳べばいいものの、なんなら後退してまでそれをやんわり拒否する。それもあっという間にレオナ・キングスカラーの圧に制されていた。
「……くううううう!!!!!!」
ぎゅっと目を瞑って、今日一番悔しそうに叫んだラギーさんは、ばっ! と両手を思いきり上げると二回、三回飛び跳ねた。
思ったみたいに、小銭……魔法石がポケットの中でカラカラと鳴ることはなかったけれど、代わりにひと粒、ふた粒と、ラギーさんの上着のポケットから紫色をした欠片が、コロンと落ちた。ほら、やっぱり!
「魔法石!!???」
ラギーさんは悔しそうに顔を歪めて、セベクはもちろんそれを許さないようで、間髪入れずに声を張り上げた。
「き、き、貴様アアァァァァ!!! この期に及んで、まぁーだ魔法石を隠し持っていたのか!!!」
「しかも沼で使ったときの石より何倍もでけぇ……」
「こればかりは……駄目ですよラギーさん」
「ううう……オレの虎の子の魔法石がぁ!」
ラギーさんは本当に、心底悔しそうに膝に手をついて屈むと、レオナさんに思いきり文句を言った。この危機的状態で、ほぼ課題のサイズの魔法石を隠し持っていただなんて、この学園の者を信用してはいけない、の信憑性が、忠告してくれたラギーさんのおかげで高まった。フロイド先輩もこのがめつさには呆れるというか、むしろ感心している始末。私はやっぱりラギーさんと仲間意識を持ったことを間違っていた。
「それにしてもさ……これならあのバケモノと思いっきり戦えんね。ワクワクしてきた。やっぱ陸のキャンプっておもしれーじゃん!」
「いや、陸のキャンプとかは関係ないと思うっすよ?」
「おいナマエ」
「? なんですか?」
コロコロと転がった魔法石をフロイド先輩が拾って、フロイド先輩が陸のキャンプに感動をしているのにトラッポラがツッコミを入れる。その間にレオナさんはラギーさんの上着から無慈悲にもガバッと魔法石を一掴みすると、私に顎で手を出すように合図して、そこにコロコロとそれを落としてくれた。
「お前のユニーク魔法は人間以外にも使えんだろうな?」
「どうだろう……グリムには使えたんですけど」
「やってみる価値はなくはない、か。ラギーが俺たちのためにせっかく集めてくれたんだ。存分に使え」
「オレ様はあんなバケモノじゃねー!」
「オレだってこんなことのために集めたんじゃないッスよ!!」
ワーワー騒ぐ猫ちゃんとハイエナ先輩から耳を塞ぐみたいに険しい表情をしたレオナさんは、私の開いたままの手をぎゅっと握らせるようなかたちにしてくれると、トン、と軽く肩を押してインクの化け物の前に出した。いや、責任重大だし、効かなかったらまずいのでは? だって、バルガス先生にもものの数十秒持ったかどうか、だったし。
「あの、」
「うるせえな。とりあえずやってみろ」
「そーそ。案外効くかもよ?」
バルガス先生にあれだけしかかからなかったのに、人外、それもモンスターとは違う得体の知れないものが相手だなんて不安しか募らないけれど、名誉挽回のチャンスがここに来たのだろう。期待の目と、さっさとやってみろ、の目を向けられているのを感じながら、一歩近づくと深呼吸をした。静かな中で、私の呼吸音と、それから、
『イシハ、オデノダアアアアアア!!』
「……『果てまで落ちて、
「ナマエちゃん、危ない!」
ラギーさんが忠告する声と、目の前の化け物がツルハシを大きく振りかぶったのなんて知らない。そんなことより、いかに成功率を上げるか、だ。手の中で血が出るほど欠片を強く握ると、治りかけていた手からぽたぽたと血が落ちる。大丈夫、成功する。息苦しいほどの集中力を指先にかけて、さっきよりも近くにいる化け物に狙いを定める。いけ。
「『
見えるか見えないかの光が散ると、ユニーク魔法を使った合図。使った私にも見えるかどうか、だ。けれど手の中の、ほんのり赤で濡れている魔法石は心なしか黒いインクを垂らしたみたいに見えて、化け物のインク、かもしれないけれど。これが効いていないならば、私の命の危機だ。薄目を開けて恐る恐る見上げると、インクの化け物はツルハシを振り上げたままで硬直している。これはこれから攻撃する体勢なのか、それとも、
「よし、効いたな」
「っぷは、……はあ、……効い、てる?」
「ああ」
どうやら無意識に息を止めていたらしく、手早く酸素を取り込もうと息が荒くなる。私の魔法の効果は無気力になる、だけれど、これがレオナさんから見て効いているとするならば、人間や自我を持つモンスター以外が相手だと、そのまま固まってしまう、に近くなるのだろうか。気のせいか、ランタンを持っている方の腕はぶらんと下がっていて、確かに、効いている、のかも。
「今のうちだ。これでちょっとの間はやりやすくなるだろ」
「やっぱナマエちゃんのユニーク魔法なかなかだね……」
「レオナさん、フロイド先輩。余った魔法石です」
「やるじゃんナマエちゃん。じゃあお言葉に甘えてちょっとだけもらうわ」
見るからに、完全に黒く染まったものはそのへんに捨てて、少し濁っただけのものとか、まだ綺麗で価値のありそうなものはラギーさんじゃなくてフロイド先輩とレオナさんに渡した。まさか、こういうのにも効くなんて。それも一瞬だろうから、とレオナさんがまずは一発風魔法をお見舞いすれば、化け物の腹に直撃して、風圧だかで入口の方に少し押し出される。私は、とりあえずは回復するまで下がって見ているだけ。とりあえず役割はまあ、全うできただろうから。
もちろん化け物に対する私の魔法は三十秒もしないうちにとけてしまったけれど、それでも最初の一撃が大きかった。レオナさんはやっぱり三年生だからか、誰よりも無駄な魔力の消費なく化け物に的確かつ細かな攻撃をして、フロイド先輩も珍しく、イソギンチャクのときぶりに楽しそうに攻撃を繰り出して、ラギーさんも小さな攻撃をぶつけてはかわす。チームワークとかでいうと、言うまでもなく最悪だけれど、各々の動きがよくできている。
「レオナ先輩の魔法は、誰より圧倒的だし……ラギー先輩は、バケモノの攻撃をギリギリまで引き寄せて、うまくかわしてる」
「フロイド先輩も今日は楽しそうで良かったあ」
「フロイド先輩?」
どうやらトラッポラたちはフロイド先輩の動きや表情に着目していなかったようで、やっぱりオクタヴィネル寮生の私の勝ちだ。ちょうどタイミングよく、フロイド先輩な大きな魔法を何発も、腹の部分を狙って撃ち込んでいく。思った以上の威力に私も驚いたけれど、それ以上に驚きを隠せない一年生にマウントをとりたい気持ちが抑えきれない。
「フロイド先輩もエグすぎる」
「ふふん」
「どうしてミョウジが得意げなんだ?」
「当たり前でしょ」
「お前たち! 歳上だからと活躍を譲ってばかりで良いのか! 軟弱者どもが。戦う気がないのなら、怪我をする前に下がっていろ! 僕がやつを仕留める!」
セベクが私たち一年生を挑発すると、瞬く間にそれに乗るトラッポラとスペード。私も、といえば、万全じゃないなら休んでおけ、と言われるかと思いきや、流石セベク。当然のように笑って、敵の方を向き直した。
◈◈◈
私たち一年生が参戦したうえで、やっぱり活躍が大きいのはレオナさんと、それからフロイド先輩。決着は、案外一瞬でついてしまった。レオナさんにフロイド先輩に、息切れをまったくといっていいほどしていないのは、流石といったところだ。魔法石は、おそらく全部がブロットを吸収して、真っ黒になってしまった。
「…………限界……だ…………」
誰よりふらふらしていたのはスペードで、トラッポラに体重を預けるかたちになった。昨日から化け物に怯えて隠れていたのだとすれば、まともに眠れていないだろうし、何よりお腹も空いているだろう。眠れていないのは私たちも、だけれど、ずっと同じ体勢でいただろうことが何より疲労として大きい。
大丈夫かと顔を覗き込むと、大きなお腹の音が鳴り響いて、数秒後にどっと笑いが起こった。
「き、昨日から何も食べてないんだ! 仕方ないだろう!」
「ふふ、スペード。学校帰っていっぱい美味しいもの食べようね」
「ああ……今すぐ美味しい卵焼きをたくさん食べたい……」
「トレイ先輩のタルトもひっさしぶりに食いてえわ」
無事に助かった安心感とか解放感から伸びをして、私もスモアが食べたいんだった、と考えていると、だるそうな声が少し遠く、入口に一番近い方から飛んできた。
「おいテメェら、いつまで騒いでるつもりだ。廃部が嫌ならさっさと帰るぞ」
「ハッ!! すっかり忘れていた!」
「私もお腹空いたあ。セベクもその泥取らなきゃだし、早く帰りたい」
「本当だ。セベク、すごく泥だらけじゃないか」
時計がないから時間はわからないけれど、確実に一時間そこらはかかっているだろう。だとすれば、今戻ればギリギリだろうか。私とレオナさんとセベク、それから一年生たちも続いて入口に向かう中、二年生二人が歩いて来る気配がなかったので、気になって振り返ると、これだ。
「ここまで来て魔法石を採掘せずに帰るなんて、絶対に嫌ッス!!」
「呆れた」
「――たとえ廃部になったとしても、ここで採取した十分な量の魔法石を売りさばくことができれば……うん、かなりのお釣りがくるッス!」
正直、その場にいた全員が呆れていたし、廃部の危機や褒賞より魔法石を優先するラギーさんはどうしようもなさすぎて早く帰りたくて仕方なかったけれど、ここで痺れを切らした我らがオクタヴィネルのフロイド・最高・リーチ先輩は、ラギーさんにこう提案してくれたのだ。
「あの『一つだけお願いごと聞いてくれる』ってやつ、今使うわ。さっさと帰りたい。だから魔法石は諦めろ」
「うわあ、最高」
――というわけで、自分から言ったものは仕方ない、と唾を呑んだラギーさんがそのお願いごとを素直に聞けば、がめついオブがめついラギーさんの「せめて坑道の奥に続く道は岩で隠しておこう」という頼みを聞いて、呆れながらもせっせと岩を運んだのだった。
◈◈◈
小走りで集合場所まで戻ると、バルガス先生と学園長が真ん中に、各部活は整列を始めているようだった。ギリギリ、間に合っただろうか。私だけ息を切らしながらリドル先輩の方に並ぶと、「何をしていたんだい?」と聞かれ、私たちが答える前にラギーさんがバルガス先生にこう言った。
「実は……バケモノが出たんス!」
「バケモノぉ?」
その主張に、坑道組はその通りだと頷き、後片付け組はざわつき始めた。大半は、疑り深い声で、私たちはそれよりバルガス先生を説得しようと、口々に状況説明を始める。いやあ、でも、この説得にレオナさんは参加してこないし、私もこの筋肉バカには通用しないと思うんだよねえ。するとどうやら私のバルガス先生の解像度は高かったらしい。
「そんなふざけた理由がまかり通るか!!」
「あっっっの筋肉バカ……」
バルガス先生は、私たちのことを完全に信じておらず、教師がこれでいいのか。クルーウェル先生だったら信じなくてももう少し言い分くらいは聞いてくれたかもしれないのに! はあ、と頭を押さえて溜息をついている間にも説得は続くけれど、バルガス先生は大きな声で「嘘をつくなんて筋肉も泣いている」とか訳の分からないことを言われて、もう呆れるしかなかった。
「まあまあ、バルガス先生。生徒たちのついた嘘はともかく……彼らの目を見てあげてください。まるで命がけの戦いを経てきたかのような、そんな鋭い目をしています。――次の『バルガスキャンプ』も、期待していますよ?」
「えっ、またあるの?」
「はっはっは! 気が早いですな!」
うげえ、と項垂れる私と、「もうしばらくはいいかな」といったリドル先輩。シルバー先輩はまた一年後くらいだろうか、と推測を立てていたけれど、そもそもこれは毎年の行事ではなく思いつきだそうなので、またすぐにあるかもしれないという事実が嫌だなあ。
バルガス先生の指示のもと、セベクが馬術部の列の方に戻って私の横に並ぶと、それに合わせてリドル先輩がこちらを向いて、先にシルバー先輩が口を開く。
「セベクにナマエ。バケモノとは大変だったな」
「フン! ちっとも大変ではない。余裕だ、余裕」
「なるほど、余裕だったのか。ということは……」
「やはり『バケモノ』というのは誇大表現だね?」
「もう、バカセベク」
「バカとはなんだ!」
シルバー先輩がこんな手を使ってくるとは思わなかったけれど、リドル先輩と私たちを引っかけるつもりだったんだ。私もたった今まで気がつかなかったけれど、素直に苦労した、とでも言っておけば良かったのに。シルバー先輩が絡むと本当、こういうところ。
「実際にはなにがあったんだい? イノシシに襲われたとか? それでも、退治をしたならすごいことじゃないか。誇るべきだ」
「いや、そういうわけでは……」
「ふふ、ありがとうございます」
「なっ! このバカナマエ!!」
「バカだなんて失礼な!」
イノシシ相手でも褒めてくれるリドル先輩って、めちゃくちゃにいい人だなあ、と思いながら、これ以上話してもきっと誇大表現というかたちで片付けられるだろうから、素直にお礼を言えばリドル先輩もシルバー先輩も賞賛するみたいに笑ってくれた。それにどこか思うところもありそうなセベクだけれど、私と同じ考えに至ったのか、眉を八の字に変えて、反論するのをやめたようだった。この顔をしているときは大体若様たちのことを考えているの、知ってるんだよ。
間もなく学園に戻る、といった中で、こんなことをあらためて言うのはどこか恥ずかしいけれど、リドル先輩とシルバー先輩がこちらを向いてくれている間に、息を小さく吸い込んだ。
「先輩方に、セベク。このキャンプでは本当にお世話になりました」
「どうしたんだい、急にあらたまって……」
私はこのキャンプで、馬術部のメンバーの良いところの再発見もできたし、もちろん体力だってついた。何より親交が今までより深まった。大変だったけれど、筋肉よりも色々なものを得られて、貴重な経験になった。特に二日目から三日目は波乱万丈だったし、また来たいかといわれればそうではないけれど、すごく楽しかったのは事実だ。
「リドル先輩、次会うときにはハンカチ返しますね」
「うん。ありがとう」
「シルバー先輩も、助けてくださって、特にお話できて楽しかった」
「ああ。俺の方こそお礼を言いたいことばかりだ」
せっかく治りかけていた傷にはまた赤い模様かできているけれど、さっきのは止まったみたい。私がお礼を言っているのに、どうしてだか私が返されてばかりだ。本当に、馬術部の皆さんにはお世話になった。私、馬術部選んで本当に良かったなあ。
最後にセベクの方を向くと、こうして直接言うのはやっぱり恥ずかしいけれど、きっと私よりセベクの方が恥ずかしいだろうな、と思って、あくまで平静を装った。
「セベクも、ずっとかっこよかった。助けてくれたり、励ましてくれたり、本当にありがとう」
「若様の護衛として、当然だろう。……ナマエも、なかなか良かったぞ」
恥ずかしがるかと思いきや、少し目を逸らしてからこう言ったので、やっぱり私の方が恥ずかしい。それを誤魔化すみたいに、昨晩の騒動もあり崩れかけた髪型をさらに崩すみたいに……なんてすれば怒られるだろうから、整えるみたいに頭を撫でると、やっぱりセベクの方が赤くなった。うん、やっぱりこっちだ。このあらたまった雰囲気とか、私の馬鹿みたいな行動とかが全部おかしくなって笑えば、リドル先輩とシルバー先輩も息をわずかに洩らして、セベクも呆れるみたいに笑った。