オレに彼女がいたことが、バレていたらしい。
それは予想外だった。久しぶりに会って、どうして飲めなかったのか聞かれたら、「仕事が立て込んでて……」とでも誤魔化すつもりだったのに、目の前の女の子は、久しぶりでもめちゃくちゃにかわいくて、会った瞬間に困ったように眉を下げるから、オレの方がわけわかんなかった。
それから、会ったときからふんわり香る、知らないナマエちゃんの匂い。
「香水つけてる?」
「いつもつけてるけど、最近変えたの」
どう? とでも言いたそうに上目遣いをしてくるこの子は、悪い女だ。割と定番といえば定番っぽい匂いで、けれど正直クる。つーか、ナマエちゃんの匂いならなんでもいい。こんなこと言ったらガチのマジでドン引きされるだろうから、何も言わなかった。
オレが彼女と別れたっていうのは知られてたみたいで、ついには「慰める」なんて言ってきて、それ意味わかってんの? って煽りたくなった。ナマエちゃんは、良い性格をしていて、しかも周りの好意に気がつくくらい敏感で、むしろ自意識過剰じゃね? ってくらいのときもあった。なのにたまに無意識にこっちを煽るようなことを言ってくるから、タチが悪い。
「……ピアス、してないの?」
別れてから三度目か、四度目か。それくらいの飲み会で、ナマエちゃんがオレの耳をじっと見ながらそう言った。
いっちばん初めの飲み会で、ナマエちゃんが本当に何も気にしてないみたいにしてたのに、今更言うとかほんと、タチ悪。なら尚更、外してきて正解だと思った。あの女の子と付き合っている間は、ナマエちゃんとお揃いのピアスをつけていた。別に、言わなかったらオレの趣味って思われるだけだし、まだオレの好きなナマエちゃんを消したくなかったのかもしれない。けれど、それもきっと敗因だったんだ。
だから、徐々にでも忘れられるように、別れた後はピアスを外した。もう穴は塞がらないでしょ、なんて思って、アクセサリーケースにしまい込んだ。
「あー、ちょっと邪魔になるとき多くて」
あのサイズで、あのシンプルさで、邪魔になるはずないだろ。そう思いながら言ったけれど、ナマエちゃんは違う種類のピアスを想像したのか、特に疑問を抱くこともなく、「そう」と相槌を打った。オレにとってのピアスは、アレしかないんだけどなあ。本当に、オレは脈ナシだったってわけか。
いつまでも期待してしまう自分に呆れながら、酒を喉に流し込んでは、オレの耳をじっと見たままのナマエちゃんに、オレをどうにか諦めさせてくれ、と思いながら問いを投げた。いや、もしかしたら、チャンスをくれ、だったのかもしれない。
「ナマエちゃんって、彼氏いんの?」
自分で聞いておいて、喉がドクンと鳴った気がした。いるよ、めちゃくちゃかっこいい彼氏。そんなことを言って、シルバー先輩までとはいかなくてもイケメンの彼氏を出してきたときには、オレは死ぬかもしれない。いや、やっと吹っ切れられる、か。
ナマエちゃんの潤った唇から紡がれる言葉をじっと待った。この年齢になっても、ドキドキするのは変わらない。けれど、彼女が何かを言う気配なんてなくて、駆け引きか? とも思ったけれど、明らかにお箸を持ったまま固まっていたから、何か考え事をしているのだと見た。
「……聞いてる?」
「ごめ、聞いてなかった」
「愚痴なら聞くって」
「ううん、愚痴とかは……ないかな」
はい嘘。愚痴じゃなくても、オレと話してる今違うことを考えて、適当な相槌すら返してくれないなんて、絶対何かしらあるはずだ。これも、自意識過剰か。ナマエちゃんと話す度、しつこくて重い自分が嫌になる。あのとき、女の子は面倒だから嫌、なんて自分で言っておいて、本当に面倒なのはどっちだよ。
「それでさ」
「ん?」
「ナマエちゃんは彼氏とかいねーの」
「うん」
なんて返ってくるだろうか、なんて予想する間もないくらい、彼女にしては食い気味で返ってきた。学生時代ならもうちょっと、「私のこと狙ってるの?」くらいは言ってきただろうけど。まあ、今それを言われたらお互いにシャレにならないことはわかっているんだろうな。
しかし、彼氏がいないという事実に少し喜んでしまったのは事実だ。しかしやはり、まだ恋愛に興味が持てないのかもしれない。頬杖をついたまま、彼女の目をじっと見ると、ふい、と逸らされた。正直、マジで傷ついた。
「……なに、まだ恋愛とかあんまり興味ない感じ?」
「いや……別になかったわけじゃないけど。……今は、いいかな。その気になったら紹介とか……してもらうかも」
歯切れが悪い。はっきり言わずにもにょもにょ言って、しかも紹介、ねえ。これで今度こそはっきりわかった。香水を変えて反応を見てきたり、ピアスについて気にしたり、まだまだ細かいことに期待してしまっていた自分をぶん殴りたい。紹介で付き合う? なんだそれ、その男はどんだけ運が良くて幸福なんだよ。
「……ふーん。告白とかされねーの?」
「あー、うん。されないよ」
半ば諦めていたとき、そういえば彼女は告白されたら付き合うだの言っていたのを思い出して、なのにオレの一世一代の告白には応じてくれなかったなって思って、今でもそうなのか確かめたくてそう聞くと、少しだけ気まずそうにそう言った。まあ、唯一告白された相手にそれを聞かれるのはきついか。
彼女は、「あの人、私のこと好きだよね」なんて何気なく言っては、「告白はしてくれないんだよね」と笑っていた。当たり前じゃん。三年生以降はオレがナマエちゃんの近くにいて、牽制してきたんだから。セベクにエペルは、ナマエちゃんとはオレなんかよりよっぽど近いからどうだろうと思ってたけど、特に何もなかったみたいだ。
「お互い頑張ろーぜ」
今度こそ、今度こそナマエちゃんとは「今まで通り」の関係に戻る。そう心の中で誓っては、まあ、無理なんだろうなって思った。
◈◈◈
「なんなの、もう別れる!」
また駄目だった。今度は、二個上の先輩。落ち着いていて、前の彼女みたいにやたら細かい記念日とかもなくて、オレも前よりは合ってる、なんて思っていた。前とは違うお揃いのシンプルなマグカップを置いて、部屋は多少散らかしても先輩がやってくれて、甘えて、甘えられて、良好な関係だと思っていたのに。
どこで怒らせたのだろう。実のところ、思い当たる節はたくさんあった。自分から好きだと言わないところ、自分から彼女を求めないところ、それから――
「わかった。別れよ」
こういうところだ。きっと前の彼女もこの先輩も、オレに別れたい理由を聞いてほしい。それで、止めてほしい。そうなんだろうなとは思ったけれど、オレにはそれができなかった。今回の彼女は結構好きだと思ったんだけどなあ。
そう言うと、間髪入れずにオレの頬にピリピリ痛みが走った。ビンタされたんだな、なんて思って、そのまま視線だけを動かして彼女を見ると、わなわな震えて、もう一発入れてから、バッグを持って部屋を出ていった。
「全部、捨ててくれてかまわないから」
前回は一ヶ月足らず、今回は二ヶ月。じゃあ、次は三ヶ月か? そんな腐った考えをしているなんて知ったら、世の女の子たちから大批判を食らうだろう。
ナマエちゃんともし付き合えて、もし振られても、同じような対応をするんだろうか。そう思いながら、また前回と同じように、手際よくゴミを分別して、写真を消していく。
オレは彼女たちとはナマエちゃんみたいに、別れるなら円満に別れたいのに、あの子たちは聞く耳も持ってくれない。まあ、当然か。
『明日会える?』
こうしてまた、ずっと溜まっていたみたいに、別れた瞬間ナマエちゃんに会いたくなる。これで『無理』なんて返ってきたらどうしよう。そのときは、ナマエちゃんに彼氏ができたことになるのかもしれない。あの子はそのあたりはちゃんとしてると思うから、付き合っているのに他の男とほいほいサシ飲みするようなことはしないだろうし。
てか、恋愛ってめんどくさいな。少しも過去のことは消えないし、好きになれない。好きだと思っていても、あの子が消えない。舌打ちが、部屋の中に響いた。
振られたのは一緒なはずなのに。お揃いのものも、ツーショットも捨てられずにずっと残っているのは、ナマエちゃんだけだ。
それでも、彼女への恋心は消さないといけない。恋心は三年で消えるだのなんだのっていうのをテレビで見たことあるけど、その倍くらい経ちそうな今でも消えてないの、異常でしょ。三年で消えるなんていうのが研究成果なら、それは間違ってるって申し立てたい。
けれど、本当に、もう叶わないことはわかってる。わかってるから、ナマエちゃんは前に進んでるんだから、オレばっかりこんなに子供のままじゃ駄目だ。ナマエちゃんのことを忘れるまで、不適合な恋愛を続けていくしかないんだ。そう考えると、初めてあの子のことで涙が零れそうになった。
◈◈◈
「トラッポラ、さん?」
「はは、めちゃくちゃ他人行儀っすね」
三人目も、かわいい子だった。一つ歳下で、隣の会社の子。よく行きつけのカフェで見かけるなあって思ってたら、そのまま割と話が合って、流れで付き合うことになった。今までで、一番手応えがあった。
それだけでなくて、今度こそ完全にナマエちゃんの存在を遮断しようって思って、ホーム画面は恒例ともいえるツーショット。いや、ツーショットにしたのは初めてか。ナマエちゃんとのメッセージは非表示にした。デートはオレから誘ったし、全部全部マジカメに上げた。今までそういう雰囲気になるか、あっちから誘われないとしなかったキスやセックスも、全部オレから行動した。「好き」だけでなく、「愛してる」なんて臭いセリフも全部オレから囁いた。
「エース、好き」
「オレも好き」
会えばいつだってこの会話をして、結構大人しい子かと思ったら積極的な子で、この子となら長続きするって思った。ナマエちゃんを忘れて、新しい恋をするなら最高の相手だって思った。
おかげで、最近は悪い夢を見なくなった。毎日のようにナマエちゃんのことをどこかで考えていたのに、その時間すらもほとんどなくなった。幸せだったと思う。