二連休が被ったから、今日も彼女はオレの家に泊まりにきた。いつも通りご飯は彼女が作ってくれて、先に彼女にお風呂に入ってもらってから、オレがお風呂に入って、そのまま1LDKの狭い部屋のベッドに向かうのがオレたちの休日の過ごし方だ。だったのに。
「お待たせ、上がった――」
「ねえ、なにこれ」
ベッドに腰かけた彼女が、顔を青ざめさせて、ふるふると震えていた。タオルで髪を拭きながら部屋に戻ってきたオレは、それを見て、すべてを察しては目を細めた。ベッドに座る彼女の両手には、最新機種のオレのスマホが握られていて、当然スマホを見られてしまったことがわかった。何を見てそんな反応をしているのかは、わからないけど。
「なに、オレのスマホ勝手に見たの?」
「仕方ないじゃん! 不安なんだもん!」
「は? ……オレ、お前のこといつの間にか不安にさせてた?」
へえ。不安、ねえ。こんなに愛してるのに、毎日お前のこと最優先に考えてきたのに、どこに不安になる要素があったんだよ。そう思いながら、みし、と軋む音を立てながら彼女のもとに近づいて、あくまでも責めないように。顔を下から覗き込んで、優しく尋ねれば、オレの質問にも答えないまま、ぎゅっと手に力を込めてから、オレのスマホの画面をオレに向かって提示してきた。
「……この子、誰」
そこに写っていたのは、オレとナマエちゃんのツーショット。スクロールされると、ノリでナマエちゃんのことを撮っては、「消してよ」なんて笑われて、「後でね」なんて言っては消せないまま残ったナマエちゃん単体の写真が何枚か。久しぶりに、見た。いや、いつまで遡ってんだよ。三年以上前じゃん。バックアップでも取ればよかったかと思ったけれど、たまに見返すのが好きだったんだ。彼女のことしか考えないように、とスマホのパスワードを彼女の誕生日にしたのは、失敗だったようだ。
「誰って……高校の友達だけど」
「嘘! エース、男子校だって。……ナイトレイブンカレッジ出身だって言ってた!」
「あー、うん。言ったね。そうだよ」
「じゃあ誰なの!! 元カノ? なに? 消してよ、私の目の前で今すぐ!」
トン、とオレの胸にスマホを突きつけられて、わかったよ、と言いながらそのスマホを受け取れば、彼女からの視線が痛かった。なんだよ、今までめちゃくちゃいい感じだったじゃん、オレら。てか、ナマエちゃんのことを遮断するなら、もっと徹底的に写真も消さなきゃいけなかったんだ。確かに、それはオレが悪い。
ナマエちゃん単体の写真を、彼女が見てる前で、一つずつ消去していく。そしたらキリが来て、次はツーショットだ。イベントごとに撮ったりしてたから、まばらに散りばめられたツーショット写真。彼女の方をちらっと見ると、早くと言わんばかりの視線を向けていて、正直なところ、めんどくさ、なんて思いながら消去する。そのまま作業のように指を滑らせ、ある一枚にたどりついたときだった。
ナマエちゃんとの、二年目の文化祭で撮ったツーショット。一緒に回ったんだよな、なんて思って、あのときのナマエちゃんがめちゃくちゃ楽しそうで、オレも見てるだけで最高に楽しかった。一度目、シャッターを押したら動画になってたから、二人でつい顔を見合わせて笑って、その余韻が残ったまま撮った写真だ。
「……なにしてんの。早く消して」
めちゃくちゃ、いい笑顔なんだよな。最高にかわいくて、楽しそうで、ほら、オレも見たことないくらい笑ってんの。この笑顔が、また見たい。けれどオレにはそんな資格なんてなくて、それでもこの写真だけは、思い出の中に残しておきたかった。
「……ごめん。消せねーわ」
ほんとは、他のやつも全部消したくない。でもそれって、結局何も進めてなくて、全部消さなくちゃいけない。消したらすっきりするんだろうなって思いつつ、せめてこの写真だけでも残しときたいんだよ。
スマホを持った腕をだらんと下ろすと、それを見た彼女が「はあ?」と言った。悲しさと怒りを含んだ声だ。
「なんでよ、消せるでしょ。なに、そんなに大事な子なの?」
「だから友達だって言ってんじゃん。言っとくけど元カノじゃないし」
「ただの友達なら消せるよね? ねえ、なんなの、私のこと好きって言ったくせに」
「うん、お前のこと好きだよ」
好きだって言ってんじゃん。なんでわかってくれないわけ? 目の前の彼女は、発言する度涙声になる。まあ、全部オレが悪いっていうのはわかってる。わかってるけど、ここまで落ちたらもうどうしようもない。つい乾いた笑いが洩れて、何笑ってんのよ、なんて言いたげな目を向けられる。
もしナマエちゃんと付き合えてても、こんなふうに喧嘩したのかな。それで「別れる」なんて言われたら、いつもみたいにあっさり「別れよう」って言って――いや、そんなの嫌に決まってんだろ。
ようやく吹っ切れられそうってときに、なんてことしてくれんだよこの子は。もう少しで美化されただけかもしれない初恋を消せそうだったのに。
「……なにそれ。その子のこと好きなの?」
「なんで? オレそんなこと言ってないじゃん。お前のこと好きだって、」
「嘘。嘘、私そんなエースの顔知らない。知らない、知らない」
そんな顔? どんな顔してんだ、オレ。答えを探すように、手を頬に置いてみても、何もわからなかった。どんな表情をしてるのかわからないオレを見て、彼女は歯をぎり、と鳴らすと、下唇を噛んで、潤んだ目でこちらを見た。あんなにかわいいって思ってた表情も、今はなんとも思わない。ナマエ・ミョウジが約四年かけて残した呪いは大きかった。大きすぎた。
「もういい。……そんなに何も言ってくれないなら別れる」
好きだって言ってんじゃん。今までの彼女で一番好きだって伝えてきた。なのに、やっぱり女の子ってのはわからない。どうすれば満足だったんだよ。
でも、今回は今までみたいに引き止めてほしい素振りはない。ああ、苦しめるとこまで苦しめたんだなって思って、別れる、なんて言われたからにはもう止めようがない。どうしようもない。本当はオレにあの子のことを忘れさせてほしい。この呪いから解放してほしい。けれど、また駄目だった。
「――わかった。別れよう」
「っ……今までありがとう。荷物まとめるから」
「うん。オレちょっと飲み物買いに出てるから、合鍵ポストに入れといて」
それでも、今回の子は前までの二人とは違って、まあ、あんな感情的になる子だとは思わなかったけど、いきなり出ていったりしないところはちゃんとした子だ。感情的にさせたのも、全部ナマエちゃんのせいだ。いや、このしがらみから逃れられないオレのせいだ。
神様は三回もチャンスを与えてくれたのに、全部オレの自業自得のせいでめちゃくちゃにして、結局ナマエちゃんへの恋心は忘れるどころか変に拗れて、やっぱり駄目だ。もう、恋愛なんてやめた方がいい。無理して忘れようとしなくても、彼女へのこの想いを一生抱えたまま、生きるしかないんだ。
◈◈◈
「は〜……オレ、キモ」
部屋空けてる間、あの子に部屋荒らされてたりしたらたまったもんじゃねぇけど、流石にそこまではしないでしょ、なんて思いながら飲み物を買いにコンビニに向かう。結構、好きだと思ったんだけどなあ。結局三ヶ月というふざけた予想は当たってしまった。別れたらまた、前と同じ。感慨深さなんてない。
あの子の目の前で消した写真を復元させるべきか、ゴミ箱を見ては、いや、流石に重すぎでしょって、やっぱりやめた。ナマエちゃんを飲みに誘うなんてできなかった。それは、三ヶ月前。最後の飲み会でナマエちゃんが言っていたことだ。
『また振られたの?』
『うん。慰めてよ、オレのこと』
『話は聞くけど何も言わないじゃん』
『まーね。で、ナマエちゃんは?』
『あー……そろそろ紹介してもらおうって思ってる。評判もいいし、多分いい人だよ』
あの日、珍しくナマエちゃんの耳にはオレとお揃いのピアスがあったのに、浮かれたのが馬鹿みたいだった。ほんっと、悪い女。あのナマエちゃんが憶測でも「いい人」って言うくらいだし、さぞイケメンのいい男なんだろう。これがシルバー先輩とか、なんならクルーウェル先生とかなら「はい、負けました」なんていっそ諦められたのかもしれないけど、最近知り合ったばっかの、しかも運で巡り会っただけの男っていうのが余計に腹が立つ。
オレだって、優しいって言わせたのに、何が駄目だったんだよ。タイミングが悪かっただけ?
「……」
また捨てられないツーショットを見て、溜息をついた。その男と上手くいってたら、今頃そいつはこのかわいいかわいいナマエちゃんの国宝級の笑顔を独り占めってわけだ。それで、「ナマエ」なんて軽々しく呼んで、抱き寄せて、ナマエちゃんはオレに見せたこともない知らない表情を簡単に見せるんだ。普通呼ばれて嬉しいのは「エース」で、「トラッポラ」なんてファミリーネーム、嬉しさも何も感じないはずだし、そういう呼び方したのは先生とあの子くらいなのに、どんな子の「エース」よりもナマエちゃんの声で呼ばれる「トラッポラ」が嬉しかったんだよな。
「……クソッ」
今更どう足掻いても遅い。ナマエちゃんはいい男と幸せになってて、そんなのオレも喜ぶべきだろ。けれどそんなに聖人みてぇな性格してないし、ナマエちゃんが選んだ相手でも、どんなに良いやつでも祝えたもんじゃない。
コンビニまであと少し。あえてゆっくり歩いてんのは、元カノが部屋を出る時間を作ってやってるからだ。あの子も、今までの二人も、オレみたいなクズよりもっといい男がいる。ナマエちゃんなんて尚更だ。
そんなことを思いながら、だらだら歩いていたら、いつか元カノと来た高級レストランが目に入った。美味しかったけど、量は当然少ないし、ワインは不味い。いや、多分美味しいんだろうけど、オレにはそんな高級品は合わなかったってだけ。居酒屋の簡易的なサワーの方がよっぽど美味い。
ぼーっと、ガラス張りになった店内を見て、あれは子連れ、あれは熟年夫婦、なんて順に目を追っていると、息が詰まった。オレの会いたくて仕方なかった、一番見たくなかった姿が、あった。
「……うわ」
オレと会うときより、ずっとかわいい。いつもかわいいって思っていたけど、初恋フィルターなしでも贔屓目なしでも、男が百人いたら百人が振り返るくらい綺麗な、ナマエ・ミョウジがいた。もっと見ていたかった。
でも、そうさせてくれなかったのは、向かいにいた男のせいだ。あちらを向いていて顔は見えないけれど、勘が当たればあの男はナマエちゃんと紹介で会った男で、もしかすると、いや、もしかしなくても「ナマエ・ミョウジの彼氏」という最高の肩書きを手にした男かもしれない。
「……確定じゃん」
あんなに綺麗に着飾って、恋人でもないやつと来るようなレストランでもない。その時点で、もう確信した。オレの方がかっこいいだろ、なんて言いたくなるけど、今更オレはナマエちゃんにどうすることもできない。こんなに他の女の子のとこフラフラして、吹っ切れたように見せかけて、それで今更また「好きです」なんて言っても軽くてキモいだけだ。
ようやく、諦められる。次に会うのは同窓会だろうか。ナマエちゃんはあの男と幸せに生きて、オレはいつまでもこの想いをひっそり抱いたままいるだけだ。
早くこの場から去ろう。そう思って、早足になったとき、見てしまった。つい、不思議な引力に従うみたいにまた見ても辛いだけの二人に視線を向けると、なんだよ、あれ。
「……なんて顔させてんだよ」
いくら綺麗に着飾っていても、あの頃の方がかわいい。ずっとかわいい。それは、ナマエちゃんのあのオクタヴィネル寮生らしいといえばらしい、それでも下手な作り笑顔のせいだ。オレだったら、あんな顔させない。今更そんなの無理なのに、むくむく溜め込んでいた欲望が湧き出てきて、どこか泣きそうになってるナマエちゃんを見れば、もう駄目だった。
「……ぜってー勝つ」
相手がどれだけ良いやつでも、どれだけイケメンでも、どれだけナマエちゃんに好かれてても知るかよ。嫉妬はしたけど、クルーウェル先生やフロイド先輩、セベクやシルバー先輩やエペル。それに寮長……リドル先輩が大事にしてきたナマエちゃんにあんな顔させるやつに、ナマエちゃんなんて譲ってやらない。
飲み物を買いに行くなんて目的はおいて、ただあの二人が出てくるのを待った。ナマエちゃんがあの男と別れなくても、オレなしではいられないくらい依存させてやる。浮気? 不誠実? 上等。好きな子に幸せになってほしいなんて綺麗事、反吐が出る。欲しいものは全部もらう。オレはナイトレイブンカレッジ生らしく、ナイトレイブンカレッジ流でやらせてもらうよ。