始まりは、突然だった。


 部屋にはいると、何か冷たい空気を感じたのだ。今は冬だから外気が寒いのは当たり前なのだが、そうではない。

「――誰、誰かいるの?」

 思わず私はそう口にした。この家には、私は鍵をかけたのだ。今、帰宅しこの室内に入る際にも私は鍵を使った。部屋は閉め切られていたはずだ。
 かた、と音がしたのはその時だった。私は動いていない。何かが、動いた音だった。私は手探りで電気のスイッチを急ぎ探した。

「誰!?居るのはわかってる!名乗りなさい!」

 ガサ、と今度は大きな衣擦れの音がした。床がきしむ音が近づく。この状況では私が確実に不利であろうということが容易に予想できる。私は外から帰ってきたばかり。暗闇に潜んでいた相手の方が、目が慣れているのだ。

「来ないで!何とかいったらどうなんです!」

 私の脳内で、覆面の男が刃物を構えて近づいてくる様子が浮かんだ。ドラマの見過ぎ、それはわかっている。しかしそういう事件が実際に起こったことがあるからああいうドラマができるわけで――

「そっちこそ、僕をこんな穴蔵に閉じこめて何のつもり?」

 男の声がした。若く、それでいて冷たい響きをするその声に、今度は私が黙る番だった。しばらくの沈黙の後、声が言った。

「名を尋ねるなら、自分から名乗るのが常でしょ。……何とか言ったらどうなのさ?」

 軽い口調とは裏腹に刃物のような鋭さを秘めている。あまりの恐怖に、私は考えなしに電気のスイッチに置いた手に力を込めた。

「電気、つけますから!顔、知れちゃいますから!!」

 パチ、という間抜けな音と同時についた電気に、漸く私の視界は晴れた。同時に目に入ったのは、長身の男。男は片手で目を覆いつつも此方を鋭い目つきで睨みつける。

「あなた誰!?」
「……この僕に目つぶしをくらわせるなんて……度胸あるね。…あと、名を尋ねるときは自分から名乗れって言ったの、もう忘れちゃった?」
「名乗るも何も、ここは私の家です!勝手に侵入してきて意味の分からないこと言わないで!」

 私のその言葉に、それまで私を射抜くように捕らえていた男の視線が揺らいだ。私からは目を離そうとしないものの、視線を私の頭からつま先まで、全身に送った。私もそれに合わせて何となく男全体を眺めた。浴衣を着ていて、手には黒い棒状のものを持っていた。私の目に視線が戻って来ると、それまで無表情でいた男は眉間に皺を寄せた。

「……君の家?」
「とぼけても無駄です!猿芝居はやめて!」
「芝居してるつもりはないんだけど。それに、君のその格好、官軍は女の子にまで洋装させるんだ?」

 私には男の言った事の半分以上が分からない。だが、そんなことよりも、見たところ部屋は荒らされていないようなので、この男をこの家から早く追い出すことが先決だった。

「あなたの言うことは全く理解できません。何も盗ってないんだったら、早くここから出て行ってください。通報しないから。」
「僕にも、君の言ってることは分からないな。僕を物取りか何かだと思っているようだけど――」
「それ以外の何だと言うんですか!!盗聴器を仕掛けに来たストーカーですか!?下着泥棒!?それとも――」

 その時、鋭い銀色が輝く。目にもとまらぬ早さで私の鼻先に突きつけられ、ぴたりと止まるそれ。案外、私の想像ははずれていなかったらしい――

「ちょっと黙ってくれないかな。それ以上うるさくすると、殺すよ。」

 動けない。目の前に輝いているのは、日本刀以外の何物でもなかった。初めて見るそれに、場違いにも美しい、という感想を持った。男に目を遣ると、にっこりと無邪気な笑みを返される。

「僕の聞くことに素直に答えてね。」

 こくり、頷くしかない。

「ここは君の家と言ったね。それは本当?」
「はい。」
「君は、新政府の命で動いてるの?」
「しんせいふ……?」

 素直に答えたくとも、何を聞かれているのか分からない。答えられず殺させるのでは、と思うと、体が震えだす。だが、私のその反応を見て、男は眉間に皺を寄せたのみだった。

「分からない?……じゃあ、僕が何物だか知ってる?」
「いいえ。」
「……。」

 男はそれに驚いたらしく目を見開いて、間をおいた後に刀を下ろした。先程から持っていた黒い棒状のものの中に刀を納めた。それは鞘だったらしい。

「嘘はついてないね…本当に官軍じゃないんだ。……名前は?」
「……苗字名前です……」
「………名前ちゃんね。今度は君の話、聞いてあげる。でも、僕はここに意図して入ってきた訳じゃないし、ここがどこだかもわからない。かれこれここに二刻も閉じこめられてた。出方がわかったらとっくに脱出してるから。それを踏まえて、話して。」

 正直に話さなければ殺される。男はいつでも私を簡単に殺せる。

「あの、あなたの名前は……?」
「迂闊に名前を教えるほど僕はお人好しじゃない。……っていつもなら言うところだけど、今回はどうも様子がおかしいから特別に教えてあげる。僕は沖田総司です。お見知りおきを。」

 瞬間、私の思考は止まった。

「……おきた、そうじさん?」
「知ってる顔だね、それは。」
「一応…」
「君の知ってる沖田総司を、詳しく話して。」

 私は戸惑いながら言った。『確か幕末の人で、結核で亡くなった…ってことくらいしか……』と言うと、男は苦笑した。

「亡くなった、ね。僕はここにいるんだけどな。」
「だって!私の知ってる沖田総司を話してって言ったじゃないですか!幕末って明治よりも前の話でしょう!?」
「…………なるほど?……他に、その人について知っていることは?」

 私は沈黙した。歴史には詳しくないのだ。

「……ごめんなさい、歴史、苦手なんです。」
「歴史、ねぇ…。」

 男は、そう呟いて黙った。眉間には皺が刻まれている。自分の部屋に知らない男と二人。その不安と沈黙に耐えられず、私は口を開いた。

「あ、あの……なんだったらネットで調べましょうか…?」
「ねっと?」
「……し、調べます!私の知識じゃ何の役にも立ちませんから!」

 私は急いでパソコンを立ち上げた。…といっても、我が家のパソコンは動作が遅く、完全に立ち上がるのに5分は要するので、その間男の話を聞くことにする。男の方に向き直ると、男は怪訝そうな表情をしていた。

「ちょっと待っててください。用意出来るまで時間がかかるので。」
「……それは、なに?」
「何って…パソコンですけど。」
「ぱそこん?」
「…………知らない……?」

 食い入るように、動くパソコンの画面を見つめる男は、本当にそれを見たことがないようだった。私はまさか、と思い、男をほったらかし、リビングから自室に行き、高校時代のものが一式はいったタイヤ付きケースを取り出し、それをゴロゴロと転がしてリビングに戻った。

「確かパンフレットが……っと、あった!」

 私が取り出したのは、自主研修で京都旅行へ行ったときにもらったパンフレット類の束だ。

「……それは?」
「レポートです。この時の京都は歴史のことばっかり見た気がしたんだけど……あ、これ、」

 私の班の書いたレポートを冊子にしたものを開いて、パラパラと捲った。私は歴史に興味がなかったために食文化についてのレポートにしたのだが、確か歴史が好きで、京都で起こった事件やらなにやらを詳しく調べていた人がいたはずだ。

「この項目、なんかわかりそうですかね。」
「……『幕末期京都の動揺』?」
「私の友達が書いたものですけど…」

 私は急いでそれに目を通しながら話を進める。

「えっと…沖田さんは気づいたらここにいた、と?」
「そう。部屋で大人しく寝てたはずだったんだけど。」
「寝てた?」
「……風邪で、ね。」

 その言い方が気になってレポート集から顔をあげて男を見上げると、にっこりと笑顔を返された。

「でも土方さんが休めってうるさいし、大人しくしないと見張りをつけるなんていうから…仕方なく。」
「……ひじかたさん…」

 読んでいたレポート内にその名前を見つけた。ご丁寧にふりがなまでふってある。

「ひじかた、としぞうさん?」
「そう、それそれ。」

 今の私に、そのふりがなはとてもありがたかった。私には『さいぞう』さんにしか読めなかったからだ。その人物が出てくる項目をずっと読んでいくと――

「ああ、五稜郭の人!」
「……ごりょうかく?」

 私は以前、札幌に引っ越した高校の同級生を訪ねる目的で北海道旅行をしたことがあった。そのとき、函館の夜景が綺麗だという評判を聞いたので、当初は行く予定もなかった函館へと足を運んだのだった。とても城郭とは思えないような可愛い形は、歴史に興味のない私でもはっきり覚えている。

「タワーから見ると星になってるやつですよね?」

 そう男に聞いても、怪訝そうな顔をするばかりだった。それどころか、少し怒っているようだ。

「……ねえ、まともに話す気ある?」
「え、だってこの土方歳三さんは五稜郭で戦っ――」

――戦って亡くなったんでしょう、と言いかけて、私は口を噤んだ。そうだ、もしこの人に寝ていろと言った“ひじかたさん”がこの土方歳三さんなのだとしたら、五稜郭で戦って死んだ、などということは、知らないはずなのだ。

「す、すみません。で、その土方さんがあなたに寝てろって言ったんですね。」
「…………そう。あの人は過保護だから。熱も下がったし、ただの風邪なのにさ。」

 病気と聞いて気になるのが医者の気質というもの。私はその言葉に反応して、男ににじりよった。

「症状は?」
「……熱が出てたけど下がった。…なんで君がそんなこと気にするのさ。」
「私は医者ですから。…寝込むほどの高熱ですか?」

 医者と聞いて、男がめんどうだなぁ、とつぶやいたのが聞こえたのだが、無視する。

「……別に、そんなに高熱じゃないよ。ただ、ちょっと長引いてたってだけで。」
「…期間はどのくらいです?」
「覚えてないよ、そんなの。」
「そうですか……。では、覚えてるかぎり詳しく、症状を教えてください。」
「……なんで君にそこまで言わなきゃいけないの。」
「私は医者ですから。タダで病院だなんて得した、って思って素直に答えて下さい。正しい診断ができませんから。」

 訝しげな雰囲気を隠そうともせず、男は私を見ている。

「……これでも一応、私は医大の首席だったんですが。」
「いだい…?」
「医学を学ぶ学校…寺子屋的な感じですかね…。そこで私は一応、一番頭が良かったんです。」
「へえ。人は見かけによらないってほんとだね。」

 なんて失礼なやつ、と思ったが口にはしない。患者はお客様の精神が染み付いている。

「……では、症状を詳しく教えていただけますか。…江戸時代では不治の病、なんていわれてても、現代医療では嘘みたいに簡単に直せる場合もありますから。」

 男は途端に私に向き直って、私につかみかからん勢いで尋ねた。

「それ、ほんと!?」
「……ほ、本当ですよ。ほら、土方歳三さんの生まれた年は1835年ってここに書いてありますよね、でも今は2011年ですから。200年近くも違うんですよ。医療も進歩してなきゃおかしいでしょう。」
「じゃあ、僕も治せる!?」
「……絶対、とは言い切れないかもしれないですが…多分、症状を和らげてあげることくらいなら出来ると思います。」

 先ほどとは打って変わって真剣な男の様子に、私は少したじろいだ。話の流れからして、彼は不治の病なのかもしれないからだ。

「で、まず…病名はご存知ですか?」
「……誰にも言わないって、約束してくれる?」
「はい、個人情報は絶対漏らしません。」
「……松本先生…新選組掛かり付けのお医者にね……労咳だって言われたんだ…。」

 労咳と聞いて、私は急いで立ち上がって窓際に行って網戸にし、戸棚からマスクの入ったボックスを取り出した。

「わかりました。私の指示にちゃんと従ってくだされば、絶対に治ります。」
「……本当…?」
「はい。労咳は…現代では結核といいますが、薬を、止めないでちゃんと飲めば治せます。」

 今じゃ余程のことが無い限り死ぬなんてことはありません、と言うと、彼は意地の悪げな笑みを浮かべた。

「へえ。……薬は、苦い?」
「いいえ。錠剤ですから、噛み砕かなければ。」
「……そう。なら、不本意だけど、……治療、してくれるかな?」

 口調は仕方なく、というのを装っているが、やや上目遣いぎみになった彼の表情は真剣そのものだ。

「勿論です。患者さんにはできる限りの施しをして差し上げるのが、医者の義務ですから。」
「……ありがとう。」

 私は手に持った箱からマスクを2つ取り出し、顔につけた。彼が途端に変なものを見るような顔をしたが、気にしないことにする。

「……何それ。」
「周りの人に結核を移さないためです。私と同じように、ここを耳に引っ掛けて口と鼻を覆ってください。」

 渡そうとしても受け取ってくれず、私は無理やり彼の顔に引っ掛けようとするも、流石に侍と言うべきか、彼は素早く簡単にはいかなかった。

「そんな紙切れ一枚で防げるはずないじゃないか!」
「現代科学をなめないでください!9割以上の確率で防げることが証明されてるんです!」
「残りの1割はどうなのさ!」
「それも防ぐ為に窓を開けて手を消毒するんですよ!」


……



 そんなこんなで、彼が素直に言うことを聞いてくれるようになるまで数時間かかったのであった…

 




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