翌日。ろくに寝られなかった私は、早めに起きて朝食の準備を始めた。二人分の朝食を作るなどというのは初めてで、いつもとさほど変わらないはずなのに、何をしたらいいのかわからなくなってしまった。
彼が昔の人であるというのが確実となった今、私には大きな課題が出来てしまった。それは、
和食を作ることだ。
朝は腹に何かおさめておきさえすれば何でも良いという考えで今まで生きてきた私には、朝食=パンという考え方しかなかった。パンは買ってきて袋を開ければそれで食べられる。だがご飯は――
「まさか生の硬い米をそのままってわけにもいかないよね……でも今から炊くのは…」
「僕にまずいもの食べさせたらどうなるか、わかってるよね?」
「――ぎゃっ!」
背後には沖田さんが立っていた。全く気づかなかった。
「おはよう、名前ちゃん。」
「起きてたなら声かけてくださいよ!吃驚したじゃないですか!」
「だって、気づいてるとおもってたから。」
彼は楽しそうに言った。驚かせることが目的だったに違いない、と私は直感した。ただでさえ自宅に自分以外の人がいる状況に慣れていないというのに、これでは私の心臓が持たない。
「沖田さんは……やっぱり、朝食はお米がいいですよね?」
「他に何かあるの?」
「えっと…私は普段、このパンっていうのを朝食に食べてるんですけど……」
私は食パンの入った袋を彼の前に掲げた。彼は袋を手にとって中に手を入れ、パンをちぎる。パンが彼の口に運ばれる様を、私は緊張して見つめる。もしこれが嫌だといわれたら近所のコンビニにひとっ走りして何か買わなければ――
「……そんなに見つめられても困っちゃうなー。でもこれ、なにかのお菓子みたいで良いんじゃないの?」
彼はもぐもぐしながらそう言った。意外なほどに好印象だ。私は胸をなで下ろし、卵焼きの準備を始めた。冷蔵庫から卵を出して、油をひいた小さいフライパンに落とす。沖田さんはというと、キッチンの入り口で、私のすることをじっと見ていた。……正直、非常にやりにくい。さっきの仕返しなのだろうかと勘ぐってしまうけれども、そのまま無言で見つめられるのも気まずいので、何か言葉を探す。
「お昼はお米にしますね。」
「…………それ、何?」
いつの間にか彼が注視する対象は、私を通り越してガス台に移っていた。今はフライパンの上で目玉焼きがぱちぱちと音を立てている。私はガスを止め目玉焼きを皿の上に置いた。
「卵焼きですけど…?」
「……違う。その下のそれ。」
「……ガス台ですか?」
彼がこちらに歩み寄ってガス台を指さしたので、私はもう一度火を付けた。少しのガス臭と同時に点った炎に、彼は目を丸くした。
「……火、だよね。」
「そうです。」
そうか、彼がガス焜炉なんて知っているはずがない。けれども、仕組みを説明しようにもどうしたら良いかさっぱりだ。私は身振り手振りもつけて必死に説明する。
「えっと……ガスって言う、燃えやすい気体…空気みたいなのに火花を飛ばして、こう、ボッ!っていくんですよ。」
「……へえ。」
自分の語彙と説明力の無さにがっかりした。彼の顔を見たら、伝わっていないのは一目瞭然だし、怪しい動きをする私の事を変に思っていることだろう。思わず出そうになった溜息をむりやり押しとどめて、私は二個目の目玉焼きを作りにかかった。
「……沖田さんは、料理はされないんですか?」
「料理?」
沈黙を埋めるために紡いだ質問にしては陳腐すぎたと、私は口にしてから後悔した。昔の男、それも武士が料理なんて。
「一応、食事当番はみんなで分担してやることになってたけど。」
「……食事当番ですか…。」
食事当番という響きと、笑顔で「うん」と言う彼は、私の中ではとても刀を持って戦う時代とは結びつかない。
「でも正直、全然駄目。みんな適当だから。たまに、とても食べられないのが出てきたりしてた。特に、むかし土方さんが作ったのなんか顔を近づけるのも嫌だった。」
「そんなに…。新選組って、男の人しかいらっしゃらなかったんですか?」
「うん。屯所は狭いしお金もないから、料理を作るだけの人を雇うのは無理だし。」
一時期本当に食べるものに余裕がなくて、庭に畑を作ろうかなんて言ってたときもあったよ、という彼の言葉を聞くと、武士といえども威張り腐っているだけではなかったんだ、と感心した。
その後も沖田さんの話を聞きながら、私は千切ったレタスの上にきゅうりとブロッコリースプラウトをのせただけのサラダを作って、朝食を完成させた。
「はい、できました。……お口に合うかどうかは分かりませんけど。」
「どうかなー?不味かったら斬るから覚悟しといてね。」
固まる私をよそに、彼はサラダの皿をテーブルまで運んでくれた。
「あれ?本気にした?」
「……」
「冗談通じないなあ。一宿一飯の恩、とか言うでしょ。不味くてもそんなことしないよ……とりあえずは、だけどね。」
「もう。……でも、私のこと斬ったら警察行きですからね!」
「けいさつ?」
「はい。人を殺したら、警察っていう国の組織に捕まります。下手したら死刑です。」
彼は至極楽しそうに私の話を聞いていたが、笑みはそのままにふと視線を鋭くして「捕まえに来た奴らも斬っちゃえばいいんでしょ。」と縁起でもないことを言う。私は思わず持っていた食パンを皿の上に落とした。
「ますます罪を重くしてどうするんです…!」
「あはは!ほんと冗談通じないね、君。」
「そもそも、刀を持ってたら捕まるんです!」
今度は彼が動きを止める番だった。パンを静かに皿の上に置いた彼は、私の方をじっと見つめて口を開いた。目つきがますます鋭くなる。
「…………それ、どういうこと?」
「あ…。刀だけじゃなくて、ちょっと刃渡りが広い物は全般的に持ち歩くことが駄目って事になっているんです。」
「じゃあ、今外を歩いている人は武士でも刀は持っていないんだ。」
「そうですね。あと、武士とか農民とかの身分の区別も、もうないです。」
「……」
彼は黙したまま、隣の椅子の上に置かれた刀を眺めている。黒い鞘に収まってはいるが、抜き身のそれよりも一層冷たい雰囲気を醸し出しているように思えた。
「じゃあ、これを今こうして持ってても、捕まるのかな?」
「そんなことはないです。綺麗だからって美術品として飾るために持ってる人もたくさんいると思いますけど…。」
「綺麗、ね。」
意地悪げな笑みを浮かべた彼は、手にとってそれを鞘から抜き放つ。その形と輝きには見覚えがある。私の祖父母の家にも刀が飾ってあったが、祖父から、絶対に触れてはいけないと言われていたのを思い出した。しかし、子供というのは禁止されればされる程やりたがるもので、私も例外ではなかった。隙を盗んで刀を手に取る当時の私を見かねた祖母がプラスチックで出来たおもちゃの刀を買ってくれたのをよく覚えている。
「誰も刀を持っていない、と言うことは、これで死ぬ人もいないんだね。――名前ちゃんは、これ、綺麗だと思う?」
「はい。本物を見る機会って全然なかったし…重厚感があって…。祖父も本物を持っていたんですけど…触らせて貰えなくて。」
「……触りたかったんだ。いいよ、持ってみる?」
彼は一度刃をしまうと、私の目の前にそれを差し出した。
「え……いいんですか?」
「いいよ。だって触りたかったんでしょ?」
私はサラダとパンの皿を脇に押しやり、身を乗り出した。
初めて手に取ったそれは、とても重かった。沖田さんが我が家に現れたあの日、彼はこれともう一本を腰にさしていた。私がそんなことをして歩いたら、どちらかに寄っていってしまうに違いないと、自分の間抜けな姿を想像して笑ってしまった。
「楽しそうだね。そんなに触りたかったんだ。」
「それもそうですけど……こんなに重いのを二本も、しかも片側だけに身につけたら、私だったらよろよろしちゃうな、と思いまして。」
私がやるなら、両方に一本ずつじゃないと駄目です、と言ったら、彼は腹をかかえて笑い出した。
「あはははは!その発想はなかったな。…でも、二本は同じ長さじゃないから、結局どっちかが重くなっちゃうと思うけど?」
「そ、そうなんですか!?」
「そうだよ。脇差しも打刀と同じ長さだったら、僕でも辛いかな。……君、利き手は左だよね?」
「はい……そうですけど…」
「じゃあ、左に刀をさしたら使いにくいでしょ?上手く抜けなくて、もたもたしてる間にバッサリ、とかね。」
だから君は、左側によろけるの決定だね、と、笑いすぎてひいひい言っている彼にそう指摘されて、私は恥ずかしさに黙るしかなくなった。
「…そもそも、こんな重いの、上手く振れないです…。私が上から思いっきり振ったら、途中で止まらないどころか地面に深く刺さって抜けなくなっちゃうかも…」
彼に刀をゆっくりと返して、私がそう自嘲すると、彼はまた派手に笑い出した。
「君、ほんと面白いや。でも、そんなにしょぼくれることでもないんじゃない?これは、普通の女の子が持つものじゃないから。」
残っていたパンのかけらを口にいれながら、彼は意外にも優しくそう言う。私もつられて笑いながら、パンを全部口に押し込んだ。
「……ところで名前ちゃん、この、生の草を盛ったの、このまま食べるの?」
私がちょうどドレッシングのボトルを手に取ったところで、彼はレタスとブロッコリースプラウトの乗ったサラダを指差した。
「……生の草って…まあ確かに草ですけどね…。」
……レタスは間違いなく生の草なのだが、はっきりとそう言われると食べる気が失せてしまいそうになる。でも確かに、その辺に生えている雑草とレタスの何が違うのか、どこが食用と食用でないものの境なのか、と言われても答えられない。
「このドレッシングっていうので葉っぱに味をつけて食べます。胡麻味と、この醤油味と、シーザー…って言ってもわかんないですよね…がありますけど、どれがいいですか?」
「味つけても、生の草には変わりないと思うけどな。…じゃあその、しーざーってのににしてみようかな」
「シーザー行っちゃうんですか…。…もし食べてみて駄目だったら、私の何もかけてないのと交換できますから。」
彼は少しむっとしたような表情でシーザードレッシングのボトルに手をのばす。『言ってもわからない』と言ったのがお気に召さなかったらしい。沖田さんって結構意地っ張りですね、という言葉は飲み込んで、彼にシーザードレッシングのボトルを手渡した。彼はボトルを開けて、顔を近づけ――顔をしかめた。
「……。」
「どうです?ちょっと独特ですけど…」
「……まあ、食べられなくはないと思うけど…。」
彼はボトルを傾け、やや多めにドレッシングをかけた。白く染まったサラダを眺めゆっくりと箸をつける彼は、新しいおもちゃを与えられたら子供のように楽しそうだ。
彼の口の中に消えたレタスがシャリシャリと音を立てるのを、私は何故か緊張しながら見つめる。
「……結構いけるかも。」
「ほんとですか?」
洋食はだいたい平気そうですね、と言うと彼は「自分で言うのもあれだけど…僕、結構偏食だから、よろしく」と笑った。
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