駐車場にバックで車を入れ、エンジンを切った。沖田さんは熟睡している。私はジャケットを沖田さんにかけて、静かに車を出た。『藤内科』という看板がかかった表玄関を通り過ぎ、裏の自宅玄関に回る。ドア横のチャイムを押そうとして――急に玄関扉が開いた。
「……こっちのチャイムなんて使わねえで、表から入ってこい。せっかく開けといてやったのに。」
「うわっ!?……こ、こんにちは、ご無沙汰してます!」
「……ふっ、驚き過ぎだ。……で、例の訳ありは?」
「車で寝てます。彼、お昼いっぱい食べたので……。」
私は「随分餓鬼っぽい野郎だな、そいつは」と呟く男――内藤くんを伴って踵を返した。ここから、相変わらず車内で窓ガラスに頭をつけて眠っている沖田さんが見える。
「……で、症状は。」
「本人、労咳って言ってて。偶に咳もしてますし、結核の疑いは確かにあります。一応マスクはしてもらっていますけど私の家では処置できませんし……彼、保険どころか戸籍もないと思われるので……」
「……労咳……無戸籍か。いくつだ。」
「たぶん20代……前半くらいかと。」
「学歴は?……無戸籍者は義務教育も受けてない例があるからな……」
「……それが――」
私は車のロックを解除して静かに運転席の扉を開ける。沖田さんがはっと目を開くのは同時だった。
「……っ、……名前、ちゃん?」
「おはようございます、沖田さん。お休みのところ申し訳ないのですけど、着きました。降りられます?」
たどたどしくドアを開き、のっそりと外に出た彼は、羽織りの袖で額をぬぐう。彼の首筋にはこの季節にはおよそ似つかわしくない汗のしずくが浮かんでいた。
「……こいつは…………なるほど、咳に寝汗に倦怠感。これは結核の疑い濃厚、だな。」
「……?……ですよね……だから、内藤くんにお願いしたいな……と思いまして。」
彼は沖田さんを見た瞬間、小さく息をのんだのが分かった。不思議に思って小首をかしげて彼を見やる。すると私の視線に気づいたらしい彼は瞬時に表情を消し去り、あきらめたようにため息をついた。私のわがままを聞き入れてくれるときのおなじみの表情である。
「…………しょうがねえなあ。わかった、入れ。」
「ありがとうございます!!行きましょう、沖田さん!……沖田さん?」
そこで違和感を覚えた。沖田さんは、こちらを見て大きく目を見開いたまま、じっと固まっていた。――否、“こちらを”ではなくて、“隣の知人を”だった。彼は視線を動かさないままぽつりとつぶやく。
「…………ひじ、かた、さん……?」
「……土方さん…?」
彼のいう“ひじかたさん”はおそらく昨晩の話の、彼に寝ていろと言った土方歳三さんに違いない。
「――似てるんですか、沖田さんの知ってる土方さんに……?」
「………似てる、なんていう問題じゃない……。顔も、声も、口調も、…同じ……。」
「……おい、どうした。……おきた、だったな。お前、立ってんのは辛いって顔してやがる、早く中入れ。」
「……あなたの、名前は?」
「ん?……ああ、内藤隼人だ。一応今日からお前の主治医らしいから、よろしく頼む。おきた――」
「…………沖田総司です。」
その名が音になった瞬間、私の隣の男はまたも微かに反応をしたように見えた。……そうか、彼、京都に住んでたことがあるとか言ってたような…。
「………………、……『結核持ちのおきたそうじ』か。……まあいい、入れ。」
彼は、隣にいた私にも聞き取りにくいような声で小さくそう独り言ちた。「え?」と思わず聞き返すも「なんでもねえ、」とそれまた小さく呟いて彼は踵を返してしまった。
彼に案内されるままに、私たちは表玄関から院内に入った。熱帯魚の住む水槽が置かれたロビーを通り過ぎ、処置室に通される。汚く散らかっているわけでも、綺麗に片付いているわけでもないデスクと回転いす、そして白いシーツのかけられたベッドが置かれていた。
「……ほら、そこ横んなれ。これ、タオル……いや、手ぬぐいだ。汗拭いとけ、冷えるぞ。」
彼はマスクと手袋を着けると、沖田さんにタオルを投げて寄越した。私は沖田さんの事情をどう説明しようかと頭を巡らせた。
「あの…内藤くん、訳ありって言ったけど、この人実はね……」
「……新選組きっての天才剣士が現代に御目見得、なんだろ?」
私は言葉を失った。そして、それはベッドの上の沖田さんも同じらしかった。
「……僕のこと、わかるんですか…!?」
「わかる、とかいう問題じゃねえよ、総司。てめえ、俺には全然言わなかったくせに苗字にはさっさと労咳だとか明かしやがって。」
「え…!?」
「……ふん、やっぱそうか。まんま、だな。」
「……本当に、土方さんなの…?」
「いや、正確にはお前の知ってる土方じゃねえ。夢に見るんだよ、俺にそっくりの男が大声出して怒鳴って、返り血浴びんのがな。」
勿論見たのはそれだけじゃねえが、と彼は呟いて俯いた。そういえば大学時代、講義中に居眠りした彼が飛び起きているのを何回か見たことがある。それはもしかしてその夢を見ていたのかもしれない。
「で、結核だな。……はじめから素直に労咳だって言えばいいものを、お前は…」
「……言ったって言わなくたって、土方さんは僕のことを布団に押し込めたじゃないですか。おんなじですって。」
「……沖田さん、誰にも労咳だって言わなかったんですか…!?」
その疑問に、“土方さん”は溜息混じりに答えた。
「こいつは風邪だってずっと言ってやがった。その時は丁度俺が忙しくてな…気づかなかった俺も迂闊だったんだがな…。」
「僕はもう子供じゃありませんって何度言ったらわかるのかなぁ…。」
「……そうやって何もかも自分の責任だ、って思うのは、今も昔もかわらないんだね、内藤くん。」
「……お前はちっと口閉じてろ、苗字。」
その後もぶつぶつ文句をいいながら彼は診察の準備を進める。私は机の前にあった椅子を引っ張ってベッドの横に移動し、腰かけた。沖田さんはベッドに横になりながらも、とてもやわらかい表情を見せていた。
「内藤くん……土方さんと沖田さんって、仲が良いんですね。」
「……今のどこを見てそういえるの?」
「いや、違うな……可愛がられてる…愛されてるっていうのかな。」
「…………やめてよ、気持ち悪いな。」
車内で語ってくれた近藤さんの話といい、このやりとりといい、彼は本当にみんなに愛されて育った人なんだとわかった。それをきっぱりと気持ち悪いと言い切ってしまうあたり、彼もまだ子供の部分が抜けないだということか。
「……土方さんがいるんだったら、近藤さんは此処にいるかな?土方さん、近藤さんのこと、知らないんですか?」
「いや…、……もし探すなら、大久保って人を探すようにするといいだろうな。」
「大久保さん?どうしてです?」
「……どうしても、だよ。」
ほら、なんだかんだ言って優しい。私は二人に気づかれない程度に小さく笑った。
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