Sun.

人も疎らな雨の夜の繁華街。光が水溜まりに反射し、町を鈍く照らし出している。

ビルの地下に位置するバー……カクテルを作る音と僅かに聞こえるクラシックの中に、重苦しいため息がひとつ混じる。


「どうしたんです?」


初めて来た利発そうな女のため息に興味をそそられたらしいバーのマスターが、カウンターに座る女に声をかけた。彼女の三杯目のオーダーのためにパイナップルリキュールとジンをブレンドしながら、ため息の理由を訪ねる。


「え、ああ…もう休みが終わりだなぁと思いまして。……まぁ、そんなこと言っても私にはあんまり休みはなかったんですけどね。」


そしてもう一度ため息をつく女は、どうやらこういった所にはあまり慣れていないらしい、と男にはわかった。


「ほう?やはり先生ともなると大変ですか。休みでも日直やら部活動の顧問やら、あるんでしょう?……ああ、この時期だとテストの採点ですかね…」

「そうそう、この土日に急いで採点したのを明日の月曜日に返却なんですけど…………」

視線を落としたまま、マスターの言葉にこくこくと頷いていた女は、ふとその動きをとめた。

「私、教員だっていいましたっけ…?」

「いいえ、あなたのカバンと肩、粉がついてる。白と黄色とピンク色の粉。その量は恐らく中学か高校の先生だ。違います?」


彼女は慌てて肩をパタパタとはたきながらカバンを見る。そこにはたしかに、三色の粉が散っていた。
一見すると冷静沈着そうな女教師のあわてふためきように、マスターは小さく笑みを浮かべた。酒とは、良くも悪くも人を変えるものだ。



「よくわかりますね。お店をやってるとやっぱり人を観察する目は養われるもんですか。」

「まぁ元来推理ってのは好きなんですがね。…店には色んな方がいらっしゃる。ここで場数踏んでるのは事実ですな。」


そう言い笑うと、彼女もつられて笑った。


「いいですね、私もその目が欲しいですよ。」

「ここは店員さん随時募集中ですよ?」

「考えときます。」


ホントに考えようかなぁ、と伏せた目で呟く女の横顔には陰りが見え隠れする。


「あなたを待ってる子たちがいらっしゃるでしょう。」

「待ってる……か……。」


その表情を見て、マスターはますます興味を抱いた。女の浮かべた表情が、若く見える女の年齢にはそぐわない、哀愁のようなものを漂わせていたからだ。


「もうね…あいつらは私の事を舐めてかかるんですよ。みんな生意気でね。日の本高校って知ってます?あそこなんですけど。」
「へぇ、日の本ですか!知り合いが通ってますよ。…彼らも相当生意気だ。」
「あれ、マスター、高校生の知り合いなんているんですね。」
「ええ、三年に二人ばかし。何がきっかけかは忘れましたが、そのうちの一人はよく此処に来て、カクテルを頼んで……だべるって言うんですか。よく相談に乗ったりなんかします。……勿論ノンアルコールですがね」


三年、と呟いた女の顔が少し引きつったのを、男は見逃さない。

「三年にクラスをお持ちで?」

「い、いえ、担任では無いんですけどね、文系の子たちに数学を教えてるんです。」



「……石田くんが相談…。確かに、あの子は妙に繊細そうだしなぁ。……あの子、私の作るテストで全部100点取るんですよ。ホント、馬鹿にされ方が半端ないです。」

「生意気ですからね。…あとは一年の幸村なんかも知ってますが……こんな美人先生に愛されて、生徒さんも幸せですなぁ。」

「いやだなぁ美人なんて。」


そこまで笑っていた彼女は、またため息一つ零した。


「……生徒さんのことで何かお悩みのようで?」

「やっぱりわかりますか、流石。……今日ね、ちょっとまずいことがあって。」

「ほう?」

「あああもう考えるだけで胃がきりきりする!……今日ね…





その、石田くんにまさかの告白されちゃって。」





男には思い当たる節があった。


『なぁ左近。相談があるのだが…』

『へえ、あなたが相談なんて…今日は雹が降りますか。』

『茶化すな!俺は真剣なのだ!』

『はいはいすみませんね。で、どうされました?』

『………………女を振り向かせるにはどうしたら良い?』




この子もついに大人になったかと喜びながら、親しくないうちは相手の喜びそうなことをさり気なくしてやればいいんじゃないですか、と言ってやったのを良く覚えている。


やはりか、と男は思った。




「そんなのありえます!?高校生から見たら私なんてババアじゃないんですかね!?」

「そんなことありませんよ。一度好きになった女ってのはどんな年齢でもどんどん美しく見えてくるもんですよ。…男にとっちゃね。」

「そんな馬鹿な…」


溜息と同時に「最近の子供は本当にませてるんですね、」と心底困った表情の彼女を見て、男は同情の念が湧いた。


「…実はね、三成さんに『相手を喜ばせろ』って恋愛指南したの、私なんですよ。」

「…はい?」

「三成さんのテストの100点、あなたはそれで喜びましたか?」

「……え、……そりゃ、ね、教員ですから。良く出来てるなって。テスト返却の時にみんなの前で誉めてやったりしました…。」

「なら事態は……深刻ですな。」


彼は次の段階に踏み出したんでしょう、と呟いて、グラスを女に差し出した。


「そう、ですかね……」

一息に煽った女は、「もう一杯、おんなじの。」と言葉を吐き出した。




 




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