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俺の家に着くと名前はうまく回らない舌でもう大丈夫です、と一言口にした。心なしか顔が蒼白く大丈夫なようには見えなかったが、敢えて『大丈夫か』なんて訊くのも野暮だと思い、口を閉ざしたまま、前と同じように靴を脱がせた。


名前と花京院の関係が一体どういうものなのか気になりはするが、一先ず名前を落ち着かせるのが最優先かと思い、風呂に浸からせることにした。幸い今日はお袋もいない。俺は脱衣場まで名前を担ぎ込むと、リボンを外しブレザーとカッターシャツを脱がせた。スカートの左脇のホックとチャックに手をかけると、名前は俺の手を掴んだ。

「じ、自分でできますッ」

そう言う名前は頬を赤らめる。漸く普段の調子を取り戻してきたか、と思いふっと笑みを溢すと、その俺の反応に対し名前はじとりと睨みつけてきた。下着は自分で脱ぐんだな、と名前に伝え、脱衣場を出ようと、戸に手をかけた。

「あ、あの……承太郎さん」
「どうした」
「今日も助けてくれて……ありがとうございました」
「……おう」


そう呟いて脱衣場を後にした。一人湯を沸かし茶を入れ、新聞を手に取りダイニングの椅子に腰掛ける。そして今日のニュースを一通り眺めた後、最後に相撲欄を確認した。

今日も千代の富士は勝ったらしい。5月場所ではヒヤッさせられたが、これなら9月場所は問題なく優勝できそうだな。



星取表を横目で見つつ茶を啜ると、脱衣場の方から物音が聞こえた。名前が風呂からあがったらしい。
……そういえば名前が着る服、用意してなかったなと思い、脱衣場へ向かった。

「服用意してなかったな」
「え?!!!、やだ承太郎さん、?!」

突然入ってきた俺に驚き身体を捻って隠そうとする名前。顔が紅いのは風呂に入ったから、というだけじゃなさそうだ。……何度も身体を重ねているのにも関わらず、そんなに恥ずかしがることもねえだろうに、と思いながら自分のTシャツを引っ張り出し、手渡す。

「……おふくろがいねえから、俺の服で悪ィが」
「!……ありがとう承太郎さん」

いつものような緩んだ微笑みを俺に向けると、名前はTシャツを受けとり、後ろを向いたまま手早く着た。案の定ぶかぶかだったが、名前が動く度に制服では見えない太腿が顔を覗かせる程度には丈が短かった。こういうのは中々にそそるもんだな…と思いながら、フェイスタオルを取り出し、まだ濡れている名前の髪を遠慮なく拭いた。髪の毛絡まっちゃいます!と少し怒りながらも、名前は笑みを溢していた。その後、ドライヤーで髪を乾かしてやり、二人でダイニングに戻った。



新しい茶葉に換えてから二つの湯呑みに茶を注ぎ、片方の湯呑みを名前に手渡した。

「何から何まですみません……」
「謝る必要はねえ」
「! …こういうときは、ありがとうございます、ですね」

にこ、と微笑みながら礼を言う名前の頭を撫でると、シャンプーの香りがふわりと漂い、俺の鼻孔をくすぐった。


「…落ち着いたか?」
「……はい、」
「花京院とは知り合いなんだな。……ああ、別にどういう関係なのか、訊いてるつもりはねえ。ただ、今後も名前が奴に接触されたくねえってなら、俺から伝えておくが」
「……お気遣い、ありがとうございます」

花京院、という名前を出した途端、名前の身体が強張ったのが分かった。何かトラウマでもあるのだろうか。

「あの……もしかしたら承太郎さんを不快にさせてしまうかもしれないんですが……聞いてもらえますか?」
「ああ」




「典明は昔私とお隣同士で、学区が一緒なので当然同じ小学校に通っていました。私の両親は仕事で家にいないことが多くて、低学年の頃はよく典明の家に遊びに行ったりしていました。……その頃は仲がよかったんです。


高学年に上がる頃、私は親に言われてよく分からないまま中学受験をすることになり、学習塾に通うようになりました。……その頃から、親の期待が私を苦しめるようになりました」


名前は自分を落ち着かせるように湯呑みに口をつけ、茶を嚥下した。そしてふぅ、と軽く息を吐いた。


「……承太郎さんはカイン・コンプレックスって分かりますか?
「ああ。兄弟間の嫉妬とか敵対感情みてえなもんだろ?」
「ええ。……あれって親の関心とか承認を独占したいが故に起こるそうなんです。私は一人っ子なので関係のない話だと思っていたんですけど……

……身内に比較対象がいないと逆に、隣人や親戚、職場の同僚の子供全てが比較対象になるんですよ。
勿論、私の親に限った話です」


自嘲気味な笑みを浮かべながら名前は茶に映った自分を眺めながら話を続けた。


「塾に通い始めた頃は分からない問題があれば典明を訪ねて一緒に解いていました。典明は昔から優秀で、教え方も上手だったんで。……でもそれを家で言うと『典明くんは凄いわね。あんたも頑張んなさいよ』って言われるんです。

どんなに私がテストでいい点を取っても、典明を追い越すことはできなくて。ずっとずっと比較され続けて。……それがいつしかコンプレックスになっていました」


名前は話を聞いてる内にぬるくなった茶を啜った。空になった湯呑みに茶を注ぐと、名前はありがとうございます、と声にしながら軽く頭を下げた。湯呑みに満たされた茶の温かさで気分が和らいだのか、名前はまた話し始めた。


「典明は……そんな私の様子に気付いたようで、向こうから声をかけてくることはふつとなくなりました。昔から人の機微に敏感で優しい子だったから……気遣ってくれていたんだと思います。

そのうちに典明が引っ越して転校してしまったので、今日まで顔を合わせることはなかったんですが……

………7年もの間、会っていなくても覚えているものですね」
「それほど、刷り込まれていたんだろうな」


「……すみません、承太郎さん。面白い話ではないのに……最後まで聞いてくださってありがとうございます」
「……話づれえ内容だろうに…こちらこそありがとうな」

名前の頭に触れると、さらりとした髪が指の間をを優しく撫でた。名前は一瞬驚いたような顔を覗かせた後、今にも泣きそうな顔をくしゃりと歪ませながら微笑んだ。




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