食事も終え、落ち着いた音楽とコーヒーを啜る音が響くリビング。唐突に、分厚い封筒が差し出された。

「‥賄賂?」
「なんの?」

きょとんとした表情のあと、手紙だよと微笑むなまえ。手紙だとしたら尚更分厚くないか?そんな僕の胸中を読み取ったかのようなタイミングで、スケッチブックで便箋を作ったと言葉が飛んできた。

「言ってくれたら買ってくるのに」
「思ったよりかさばるね」

頼めば良かったと、それでももし良かったら貰ってと、少しずつ後退していく細い腕。

「ラブレターのつもりで読むよ」

引き留めるように、その分厚い手紙を受け取った。

「謝辞です」
「シャジね」

照れ隠しではなくて、本気で言っているだろうことはもう分かっている。どう言うきっかけで手紙を書こうと思ったのかは分からないけれど、便箋を作ってまで書いてくれた。ありがたく読むよと、話しながら自然と笑顔が溢れていく。それを見た彼女も釣られるようにお願いしますと微笑んで、いつもの場所に戻っていった。
その後、空を見上げながら流れる音に合わせて身体を揺らしているうちに膝を抱え眠りについたなまえ。眠りにつく瞬間はいつも突然に、そしてとても静かにやってくる。穏やかな表情で眠るその姿は、静かで穏やかな時間を部屋全体に充満させていた。

‥さて、読みますか。

彼女がくれた賄賂、もとい手紙を封筒から取り出せば、色取り取りの短冊のような便箋が何枚も重なっていた。‥見覚えのあるそれを、なんと言ったっけ。一筆箋とかなんとか、 彼女の元の家の部屋の引き出しにあったあの細長い便箋と同じ柄だ。
あの家のものは持って来られないと言う言葉にも迷うことなく首を縦に振った、始まりの日。悪いねと軽く言葉にした僕に、持ってくるものは何もないからとなまえは言った。
‥残したいものは、記憶に包んで持ってきていたんだな。

悟へ、から始まるその言葉たちはこれまでの日々の日記のようにも思えた。なまえの中で印象的だった出来事が何かを知り、何を考えて過ごして来たのかを知る。簡単に書くねと言う冒頭の言葉も書きながら忘れてしまっているように、十分中身の詰まった手紙になっていた。
導かれるように書いた本人へと視線をやれば、抱えた膝はそのまま、床に頬をつけて眠っている。音もなく転がったのか、それとも手紙を読むことに集中しすぎたのか。いずれにせよ、その無垢な姿に綻ぶ頬。だらしない顔になってんだろうなあと、想像する自分にも呆れて笑えてくる。あそこで眠るのが好きだから寝せておいてやりたいけれど、エアコンが効いてるとは言え寒そうだ。

「なまえ、馬鹿じゃないなら風邪ひくぞ」
「‥ん‥‥‥」

ここに来たばかりの頃は、早々に部屋に篭って夜中僕が部屋に入ってからこっそりと、いつもの場所に出て夜空を見上げていたっけ。眠れない夜を過ごす姿も幾度となく見てきた。いつからここで眠れるようになったのか、はっきりとした記憶はない。当たり前になった光景の始まりを忘れることに胸を痛めるほど感傷的にはなれないけれど、この当たり前が有限なものであることを忘れないようにするには少し労力がいるらしい。

「なまえ、」
「‥‥‥‥‥ん‥」

小さくなっている身体を更に丸め、向きを変え。何度か繰り返されたその光景の後、まるで蛹が蝶になる過程を見ているように、薄いながらもゆっくりと目を開けた。

「‥ん‥」
「おはよ」
「‥おはよ、悟」

覚束ない足取りで僕の元へ寄ると、まだ開ききらない瞳で顔を確認するように首を持ち上げ、僕の頬に手を添える。

「まだ眠そうだ」
「‥‥ん‥‥」
「ん?何かあった?」
「んん‥」

特別はないらしい。けれど話がしたいと彼女は言った。ソファに座れば良いのに。床に腰を下ろした彼女の頭を自身の脚に寄り掛からせるように寄せてやれば、素直にこちらに身を寄せる。

「手紙、読んだよ」
「ん、ありがと」

何かしてやりたいと思ってしまった。これはもう立派な賄賂じゃないか。そう伝えれば、優しいなあと笑いながら静かに瞼を降ろしたなまえ。

「悟、」
「ん?」
「ワイロ‥のお返し、強請ってもいい?」
「珍しいじゃん。いくらでもどうぞ?」
「‥もう少し、こうしてて」

数分前の二人のように、同じ空間にいても全ての時間を共有するわけでは無い。それが当然だと思うし、自然だ。それ故か、こんな風に身体を寄せて過ごす時間はそう多くはないけれど、不自然だと思うことはない。

「僕も手紙書こうかな」
「本当?」
「お返し、強請ろうと思って」

寧ろ不必要なプライドや恥じらいもじわりと溶けていくような、温もりのある不思議な心地良さに絆されていく。

「悟のこと、脚だけで支えられるかな」
「どうだろうなあ。やってみる?」
「‥もう少しが終わるまで、もう少し待ってね」

いつもよりゆったりと紡がれた彼女の言葉を、溢れ落ちていかないようにそっと掬って行くこの時間が愛おしい。

「冗談だから、ゆっくり堪能して」

流れていく時間も、心なしか緩やかになっていく気がした。

手紙


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