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エイリア学園との戦いが終わって一週間が過ぎた。長く気の遠くなるような思いさえしてあの激闘の日々はあの日から私たちは、何とも怒涛の勢いで全ての終息を迎えている。
私の足も幸いこの一週間で完治したし、エイリア石を使用していた風丸くんたちの体調にも問題は見られない。
いつも通りの日常に戻れたのだ。それを嬉しく思いながら、あとは二学期の始まりを待つだけ。…待つだけ、だったはずなのだが。

…今、私にはとてつもなく重大な問題が降りかかっていたのだ。

「助けてくれ薫!!」
「……だいたい予想はついてるけどみんなまさか、その手に持っているものは」
「宿題が終わらないんだよ!!」

学生たちの楽しい夏に対する最大の天敵、夏休みの宿題。豪炎寺くん、鬼道くんを除いたその他全員の選手がどこか居心地悪そうに宿題を抱えているのを見て、夏未ちゃんは頬を引きつらせていた。分かる。私は白目を剥きかけた。
だってあと三日で始業式なんですが。つまり時間も最大七十二時間。だというのにほぼ全員の手の中には終わっていない宿題がどっさり。無理なのでは?

「いや…俺たちは国語だけでさ…」
「あ、そっか…そこの帰国子女組はね…」

唯一許せる例外は土門くんに一之瀬くん。二人は国語を後回しにしていた以外は全て済ませているらしく、あとは最難関のそれに手をつけるだけらしい。問題はその他。
キャラバンでの移動中、瞳子監督はちゃんと勉強する時間を与えていたらしいのだけど、やはり戦いの最中ではサッカーと勉強を両立して集中することは難しかったらしく、お情け程度に綴られた文字が悲惨な現状を告げていた。頭が痛い。
そしてそんな現状に額を押さえていた夏未ちゃんは、ゆっくり顔を上げると据わった目をして口を開いた。

「…エイリア学園との戦いがあったと言っても、サッカー部だけが宿題を出せないだなんて言語道断よ」
「はい」
「部活の時間を返上してでも!宿題をやり遂げなさい!!これは理事長の言葉と思ってもらって結構です!!」

と、いうことで泣く泣く午後からの練習は全てカットとなってしまった。怒れる夏未ちゃんによって会議室を貸し切りにしてもらった私たち。とりあえず残している宿題の用意をみんなにさせておき、宿題の終わっている豪炎寺くんたちを呼び寄せて作戦会議をすることになった。
ちなみに終わっているメンバーは私と豪炎寺くんと鬼道くんの三人だけだが、秋ちゃんや春奈ちゃんは目処をつけている状態らしいのでこちら側に引っ張り込んだ。

「とりあえず文系教科と理系教科で分けようね。私は文系科目、豪炎寺くんは理系科目。秋ちゃんと春奈ちゃんはみんなの様子を見ながら宿題の続き。鬼道くんはオールマイティだから総監督として厳しく行こう」
「分かった」
「それが妥当だろうな…」

それぞれ宿題をやりながら分からないところは先生役に聞きに行く、というスタイルで行うことが決定した。私はその中でも一番手こずるであろう土門くんと一之瀬くんの前に陣取る。何せ、配られたワークの八割が白紙だ。これをあと三日で埋めさせるのかと思うと頭が痛い。
豪炎寺くんはさっそく守に捕まって数学の壊滅ぶりに頭を抱えているし、鬼道くんもあちこち呼ばれて忙しそうだ。

「どうしようか…二人とも、国語の中では何が一番苦手?」
「あー、やっぱ古典かね。何言ってんのかもうサッパリ」
「俺もだよ…『かなし』の意味が可愛いとか愛おしいってどういうことなんだ…?」

まぁ、たしかに古典は今の日本語とだいぶかけ離れた意味を持つ単語がたくさんだからね。文字通りに意味を受け取ってしまってこんがらがるのも無理は無い。それはもう本人たちの努力次第だし、私に出来ることは無いのだから。

「古典はね、とりあえず全体の流れを掴めば大丈夫だよ。単語の意味とか訳について考えるのははその後かな」
「なるほど…?」
「それに国語はね、満点取れる教科じゃ無いんだって。先生たちは八割正解を目指したテストを作ってるんだってこの前言ってた」

その時ちょっとそれは理不尽だな、と思わなかったわけでは無いけれど、その後先生が教えてくれた理由を聞いたら納得せざるを得なかった。

「筆者や作者の意図を完璧に理解するのは無謀だし、共感することも烏滸がましいんだって」
「…それは何でなんだ?」
「んん、ほら、人の気持ちって複雑でしょ。たとえ同じ結論を出しても、そこにたどり着くまでの思考や経験が違うことはザラにあるし」

まぁ、まさにエイリア学園の人たちなんかがそうだった。吉良星二郎がエイリア石を利用した計画を企てた時、基山くんたちはその計画に追従し、瞳子監督は計画を止めることを決意し、剣崎は従うフリでその全てを出し抜く隙を窺い続けた。
それぞれ違う思いや願望があり、複雑に絡み合ったそれを私たちは本当に理解することは絶対に出来ない。

「だから大事なのは理解というより把握することらしいよ。機械が情報を読み取る感じ…って言えば分かるかな」
「なるほどな、それなら分かりやすいよ」

そんな感じで和気藹々とワークを進めていくこと約四時間。周りのみんなが阿鼻叫喚に陥っているのを聞こえないフリで、なんとか二人の古典は終わった。明日は現代文、最終日を小説にすれば問題無く宿題は終わるだろう。
自分的にも大満足な結果に、思わずにこにこしながら二人にそう告げれば、二人も安心したのか安堵の息をついていた。

「何か飲み物買ってくるよ。二人とも何飲みたい?」
「え、いや教えてもらっといてそれは…」
「ふふ、実は夏未ちゃんから差し入れとしてお金を預かってるんだ」

こういう気遣いが出来るから夏未ちゃんは本当に良い子。でもその代わり、目処が立った人からという厳命付きなので他の人たちの様子を見る限り買っても良いのはこの二人と先生役の人たち分くらいだろう。
外に出ると、やはりまだ八月の終わり前だからか空気が茹だるように暑かった。途端にジワリと頬を伝う汗に顔を顰めながらさっさと自動販売機の元へ急ぐ。早くあの涼しい会議室へ帰らなければ。

「よい、しょっと」

サイダー三本に、コーラを四本。炭酸が苦手な人は居なかったはずだからとりあえずはこれで良いだろう。ちなみに土門くんはサイダーを、一之瀬くんはコーラを選択していた。残りの五本は私を含めた先生役の分。
まぁ、それにしたっていくらなんでも七本一気に買ってしまうのは無理があっただろうか。腕に抱えるのがやっとの量、半袖のせいで直に冷える腕がジンジンする。低温火傷は嫌だよ。

「…どうした、そんなに抱えて」
「あ、豪炎寺くん」

落とさないよう慎重に運んで来た道を引き返していれば、廊下にある備え付けの冷水機前で豪炎寺くんと鉢合わせた。何でも持ってきていた水筒を切らしてしまったらしい。たしかに今日は暑いもんね。
そしてそんな豪炎寺くんに飲み物が夏未ちゃんからの差し入れなのだと説明すれば、少し物珍しそうな顔をされた。あの剣幕の夏未ちゃんがご褒美だなんてやはり意外だったらしい。すっごく怒ってたもんね。
するとそこで、豪炎寺くんはふと私の方へ向けて手を差し出す。何事か、と目を瞬かせていれば豪炎寺くんは苦笑い気味に口を開いた。

「俺も何本か持つ」
「え、良いよこれくらい…」
「いや、俺が持ちたいんだ」
「…さ、さいですか…」
「?」

するりと私の手からペットボトルを数本掻っ攫って行った豪炎寺くんのナチュラルな紳士ぶりが眩しい。さすが雷門中の中でもトップを争うモテ男。思わずどきどきしちゃったじゃないか。…それに、最初にも言ったが私にはこの宿題事件の他にもう一つ、実は重大な問題がもう一つ降りかかっている。
それは、この度々起きる不整脈的な何か。
ジェネシスとの戦いの時よりはだいぶ小さな動悸とはいえど、やはりこう頻度が多くてはただ事じゃない気がする。まぁ豪炎寺くんはもともとカッコいいし、そんなイケメンに優しくされたらときめくのも無理はない。憧れ的な何かによる動悸なのだろう、というのが今のところの私の中での答えだった。

「あ、そういえばご豪炎寺くんはどれがいい?コーラかサイダー」
「…サイダー」

お前の分は、と聞かれたので素直にコーラだと申告すれば豪炎寺くんは私の手の中にサイダーとコーラを一本ずつ戻した。ちなみにサイダーは豪炎寺くんの分らしい。持っていてくれ、なんて言われたら文句も言えないじゃないか、まったく。

「そういえば守たちの進み具合はどう?」
「…………本当に聞きたいか?」
「あっ、やっぱりいいや」

豪炎寺くんの死んだ目で全てを察した。なるそど、相当に、ヤバイんですね?私も明日からは文系科目担当として指導しなきゃいけないからなおさら憂鬱だ。いや、守に教えるためならえんやこら、どんな負担だって厭わない自信はあるけどね。

「…頑張ろう!みんなで平和に二学期を迎えるために!!」
「…あぁ、そうだな」

自分自身を鼓舞するようにそう言えば、隣の豪炎寺くんが優しく笑った気配がした。…だからそういうの、友達に対してでも無闇にやらない方が良いんだってば。





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