淡やかに幸せでいたい《前》
高校生になって早二ヶ月弱が経った。中間テストだったり、高校生活では初めてな部活の地区大会なんかを終えたおかげで、慌ただしかった日々がようやく落ち着いてきた頃。修也くんとのお付き合いもなんと一年半を迎えつつある私たちは、ありがたいことに順風満帆な日々を過ごせている。
だから今日も、女子サッカー部のキャプテンである先輩から「グラウンド整備で今日は休み!」というお知らせをいただいて部室から叩き出された私は、同じくグラウンドの使えないせいで男子サッカー部が休みになったという修也くんと、久しぶりに早い下校を共にしていたのだ。
「あ、そういえばあと少しで修也くんの誕生日だね」
「あぁ、そうだったな」
「いつでも良いから、できたら今年は二人でゆっくりお祝いできたら良いな」
去年はいろいろと大変だった。サッカー部総出で修也くんの誕生日を祝ったのだが、なかなか二人きりになることが出来ず、それを察してくれたらしい数名に気を遣われて追い出されたおかげで、私がこっそりと用意していた誕生日プレゼントの手作りケーキを帰り道の河川敷で二人一緒に食べることができたのだ。
だからこそ、今年こそはリベンジしたい。その思いで意気込んでいれば、修也くんがいつのまにか黙り込んでいることに気がついた。
「修也くん?」
「…お前が良ければ、なんだが」
「うん」
「誕生日の前日、父さんは宿直で、夕香は友達の家に遊びに行くんだ。…だから、俺の家に、泊まらないか」
「えっ、良いの?」
確かに修也くんの家なら誰の目も気にせずのんびり出来るし、二人きりでのお祝いという私の密かな希望も叶えられる。しかも、お泊まりなら修也くんの誕生日を誰よりも一番最初に祝えるし、良いことづくめじゃないか。
だからこそ私も喜んでそのお誘いを受けたし、切り出した修也くんも嬉しそうに目を緩めていた。…のだけれど。
「は?お泊りってことは処女卒業じゃん、おめでとう」
「まって」
来週は修也くんの家でお泊りなんだ、とのっちたちに報告すれば返ってきたのは衝撃の一言。どうしてそうなるの!と思わず叫ぶように反論したところ、何故だか三人は哀れむような目で私を見つつ諭すように肩を叩いてきた。
「二人きりなんでしょ?そんな時にお泊り誘われたんでしょ?」
「しかもタイミングよく次の日は誕生日」
「つまり誕生日プレゼントはお前」
…つまり、私はなるほど、みんなの言うことを信じるなら来週、来週になったら、来週…!!
「ほあ」
「ショートしたな」
「恋愛初心者め」
…もちろん、私だって子供じゃないんだから保健体育や学校の講演会なんかでソレについては知っている。愛のある恋人同士の行為だということも知っているし、私だったらそれは修也くんなのかな、なんて少し恥ずかしいことを考えたりしたこともある。
でも!それが!まさかこのタイミングだなんて思わないじゃないか!!
「残念ながら普通は思うんだな」
「う」
どうしよう、とパニックな脳内で考えを巡らす。体型は一応これでもサッカー部で活動しているわけだからどこに出しても恥ずかしくない程度に引き締まっているし、胸だって一応これでも少し前よりサイズアップした。つまりプロポーションはとりあえずまあ及第点。…唯一問題があるとすれば、それは。
「可愛い下着は?」
「したぎ」
「持ってないなこれは」
「よっしゃ、今日の放課後ショッピングね」
「かう、え、かうの?」
「覚悟を決めようね、薫ちゃん」
「えろいやつ買お」
「せいぜい豪炎寺を誘惑してきな」
「せめて普通のでお願いします!!!!!」
しかし私の必死な抵抗も無駄らしく、その日の放課後私は三人に引きずられるようにランジェリーショップに連行された。
修也くんの好きな色はオレンジだとうっかり吐いてしまったせいで、カラーはオレンジを中心に試着大会が始まり、最終的に可愛いフリル付きのランジェリーをお買い上げしてしまった。真ん中についている黒いリボンがとても可愛い。
「私らも五百円ずつ出すからさ、豪炎寺への誕生日プレゼントだと思って」
「普通にプレゼントあげて…」
「いや、あいつアンタ以外の女子からの贈り物受け取らないもん。徹底してるよ」
…少し、そんな嬉しい情報をもらえたのはラッキーだったけれど。
*
豪炎寺修也という少年は、たとえ周りと比べて落ち着いた様子であったとしても、中身は立派な年頃の男子高校生であった。グラビアがエロい、隣のクラスの女子のスタイルが良いなどという猥談だって耳にすることはもちろんある。
そんな彼には、周囲から呆れられるほどに惚れ込んでいる自信のある恋人がいた。
「修也くん」
手を繋ぐどころか側に居られるだけで幸せだという彼女とは嬉しいことに交際歴が一年半を迎え、変わらぬ平穏な日々の中に隠れるささやかな幸福を享受することができている。恋人の本質そのものに惹かれた豪炎寺にとっては、その幸福だけで十分だった。…だった、のだが。
『…お前が良ければ、なんだが』
端的に言えば、魔が刺した。
間も無く十六の誕生日を迎える自分に対して申し立てられたのは、誕生日の祝いの計画。二人きりが良いという彼女の可愛らしい主張が心臓を甘やかに締めつけるのを感じながら、ふと思い出したのは誕生日前日の家族の予定だった。
父はその日、病院の宿直で家を留守にする。
妹の夕香は仲の良い友達とお泊まり会をするのだとはしゃいでいた。
フクさんもその日はたしか休みを取っていたはず。
…つまり、ここで誘うことが成功すれば、二人きりになれるのでは?
『えっ、良いの?』
しかし彼女は目眩がするほどに純粋無垢であったし、恋人になってからは手を繋ぐだけで頬を染めて照れ臭そうに微笑むくらいに彼女は恋愛に対して無知だった。…だから、一応薬局でそれ相応の準備はしておいたものの、期待をしてはいなかった。いや本当に。本当の、本当に。
誕生日の当日を彼女と共に迎えることができる。それだけで彼は幸せであったから。…なので。
「え、えっちなこと、しないの…?」
恥ずかしげに頬を赤く染めた彼女がそのセリフを口にした瞬間、豪炎寺は飲みかけていた紅茶を盛大に噴き出した。
*
自分で出来る限りの準備はした。ネットであれそれについて調べたし、いつもよりスキンケアは入念にしたし、お泊まりのことはしののんの家に泊まることにしておいた。
私の調べた情報によると、だいたいコトに及ぶのは家に行ってすぐらしい。心臓が悲鳴と一緒に口から飛び出るかと思った。悲鳴は出た。
「…随分早かったな」
「お、お邪魔します…」
だから当日の夕方、約束の時間よりも随分早く着いてしまったときには、無意識に発揮していたらしい自分の真面目さと律儀さに思わず頭を抱えたし、何度も遊びに来たことがあるはずの豪炎寺家の玄関口が、これまで対戦してきた様々なゴールキーパーたちよりもプレッシャーを放っていたような気がする。
「今紅茶を持ってくるから待っていてくれ」
「うん」
リビングに通されて台所に向かっていく修也くんを見送った後ソファに腰掛けていれば、どうやら紅茶の準備は済んでいたらしい修也くんはすぐにお盆を手にして戻ってくると、私の隣に腰を下ろす。
…修也くんの家の食器は、フォークやスプーンに至るまで上品だ。例外は夕香ちゃん専用である可愛らしいアニメプリントの食器くらいで、他のものはだいたい高そうに見える。
修也くんの持ってきてくれたそんな紅茶カップもやはり綺麗で高そうだった。促されるまま一口飲んでみて、香り立つ紅茶の良い匂いと独特の風味に思わず息を吐く。
「美味しい…」
「…それなら良かった」
優しい目でそう言ってくれる修也くんに、何だか緊張で強張っていた体の力が抜けていくような気がした。まだドキドキはしてるけど。
…そして、そんな私の緊張をまるで知らないとでもいうように、修也くんとは他愛のない話をいくつか交わした。やがて紅茶が無くなる頃、私はとうとう我慢が効かなくなって直接聞いてみることにする。
「あ、あの、修也くん」
「…どうした」
「…え、えっちなことしないの…?」
ものの見事に修也くんが紅茶を噴き出した。相当動揺してしまったのか、ゲホゲホと苦しそうに咳込んでいるその背中を思わず撫でさする。しばらくすれば落ち着いてきたのかひとつ大きく深呼吸を挟んで、修也くんは恐る恐るといった様子で唸るように口を開いた。
「………なぜ、そう思った?」
「あ、え、ち、違うの…?」
「いや、期待しなかったわけじゃ、ない、から…違わないん、だが」
「良かったぁ…」
もしかして私の早とちりか、と思わず羞恥やら絶望やらで顔を青くしていれば、食い気味にそれを否定してくれた修也くんに思わず安堵の息を吐く。だってこれじゃまるで、私だけがそういうことを期待していたみたいじゃないか。…でも、そうか、そうなのか。修也くんも、期待は、してたんだ?
「…修也くん何か言ってよ…」
「…悪い」
そうなると何だかお互いに恥ずかしくて仕方なくて、私も修也くんも目を合わせることが出来なくなってしまった。ちらりと修也くんの方を見遣れば、顔を僅かに赤く染め、口を手で覆いながら反対側を向いている。耳まで真っ赤だった。
そしてそんな修也くんの様子を見ているうちに少しだけ魔がさして、私は修也くんに寄りかかるようにして肩に頬を擦り寄せる。びくりと体を震わせた修也くんの腕にそっと私の腕を絡めてみせれば、修也くんはもはや困り果てたような顔で私に視線を寄越していた。
「…なぜ、そんなに積極的なんだ…!」
「…だ、だめだった…?」
「違う。…ただ、俺の心の準備が済んでないだけだ」
私の弱々しい問いかけを、修也くんはやや食い気味に否定してくれた。そしてその後に続いた途方に暮れたような言葉を耳にして思わず胸がキュンとする。修也くんが、可愛い。
溢れた愛しさのままに腕を抱き込めば、小さくため息を吐いた修也くんに名前を呼ばれて顔を上げる。こちらをジッと見つめる瞳にこもった熱に、修也くんが何を望んでいるのか察して、私はそっと目を伏せた。…カサついた修也くんの唇が、私の唇にそっと押し当てられる。
角度を変えながらそれが繰り返されること、実に数回。最後に、ちゅう、と吸い付くような口づけを落として小さく上擦った息を吐いた修也くんが、私をそっと抱き寄せて耳元で囁いた。
「…部屋に、行かないか」
「……ん」
手を引かれて立ち上がる。移動したのはたったの数メートルにも満たない距離だったのに、心臓はまるで激しい運動直後のように早鳴っていたし、足取りは高揚感からかどこか覚束ないほどにふわふわとしていた。
*
ベッドの上で向き合って、またどちらともなく唇を重ねる。触れ合うだけのそれに、修也くんの熱を移されているような気がして頭がクラクラした。…身体が、火照ってとても熱い。
幾度となく重ねた数が両の指を超えた頃には修也くんの手は、いつのまにか私の後頭部を軽く抱え込んでしまっていて。別に逃げる気は無いのだけれど、その囲い込むような仕草に胸が高鳴った。
「…口を、開けてくれ」
修也くんの興奮じみた声に背中がぞくりと粟立つのを感じながら言われた通りおずおずと唇を開けば、噛むなよ、という掠れた声での注意と共に再び重なった唇から、ぬるりと何かが私の舌に触れる。修也くんの、舌だった。
思わず体を震わせて舌を喉奥に引っ込めてしまったものの、まるで「出せ」ととでも言うように舌先を突かれてしまったので、応えるように恐る恐る舌を差し出す。また、絡め取られた。
「んっ、あ、ぁ」
「ふ、ゥ」
修也くんのそれと擦り合わせるだけで何故だかもっと欲しいと、浅ましい私の中の欲望が顔を出してくる。思わず舌を突き出せば、目の前にある修也くんの目が僅かに嬉しそうに細まって、唇でちゅう、と吸われながら甘噛みされた。とても、きもちいい。
「…触っても、良いか?」
「……ん」
最後にひとつ触れるだけの口づけを残して顔を離せば、そこにはギラギラとした欲を隠せていないオトコノコの修也くんがそこにいた。…そしてさすがに、その申し出が何を意味しているかなんてことは、いくら鈍い私にだって理解ができた。修也くんの指先が、私のブラウスの一番上のボタンにかかる。
「…くそ…」
「…ふふ、修也くん、可愛い」
「…うるさい」
修也くんも緊張しているのか、先ほどからボタンを外そうとする手つきが妙に辿々しい。今も、三度目の正直でようやく上から二番目のボタンが外れたところだ。
…ところで今日着てきたのは、白いブラウスにサーモンピンクのフレアスカート。寝る間も惜しんで何時間もかけて選び、アイロンがけも丁寧にした。…全部、修也くんに可愛いと思ってもらいたくて。
そしてそれは、羞恥心に耐えながらも君のことを考えて選んだ、下着だって。
「…ど、う、かな…?」
三番目のボタンが外れて外気に触れた肌が妙にむず痒い。四番目に手をかけかけて固まってしまった修也くんの目にはきっと、少しだけ背伸びして買ってしまったオレンジ色の可愛いランジェリーが見えている。
「…」
「しゅ、修也くんが、オレンジ色、好きだから」
「…」
「……か、可愛いのを、買った、ので」
下着なんてそんな恥ずかしいことは言えなくて、思わず修也くんの服の胸元を握りしめながらそう申告しておけば、ぐぅ、と声にならない唸り声を上げた修也くんはまるで何かを振り切るようにして、私の肩に額を乗せて長い長いため息をついた。
「…お前は俺をどうしたいんだ…」
「…?す、好きにして良いよ…?」
また呻き声が聞こえた。何か可笑しなこと言ったかな。明日は修也くんの誕生日だし、そもそも修也くんにされて嫌なことなんて私には無いのだから、間違った返答では無いと思うのだけれど。
そう言えば、私はとうとうギュウギュウと抱き締められて、思わず困り果ててしまうこととなってしまった。