凍えた声で祈ってた





あの激戦を終えた世界大会から早くも二週間が過ぎようとしている。今日という日まで、インタビューやら総理大臣からの表彰やらと、やたらめったら大袈裟な出来事ばかりが続いていたような気がする。普通に学校に行けるようになったのも実は三日前の話なのだから、それがとても大変なことだったということは言わなくても分かるだろう。そして当然、その間私たちの周りは常に騒がしくて仕方なかったし、辟易としてしまうようなことも多々あったけれど、それを差し引いても優しい人たちからの温かい祝福の言葉は素直に嬉しかった。

「ただ問題は…!」

私は思わず唇を噛み締めながらも、消えてくれない書類の山を睨みつけてみる。そんなことしたってこの紙たちが消えてくれるわけでは無いのだが、少しくらい悪態をついたって許されはしないだろうか。…何故ならこれ、全部マネージャー志望の入部届なのである。これをとても申し訳なさそうに手を合わせながら半田くんが持ってきた時、私は思わず三度見くらいした。

『これでも何とか抑えてた方なんだけどさ…』

何でも半田くん曰く、イナズマジャパンの世界での活躍を見て、部員たちが増えたのと比例するようにして、女子マネージャー志望の数も増えていたのだという。しかし半田くんたちもさすがに彼女たちが本気でマネージャーをしたいのではなく、あくまで「イナズマジャパンのメンバーとお近づきになりたい」というミーハー心があることを見抜いていたらしく、のらりくらりと交わしていたらしい。

『…抑えててこの量…?』
『いくら追い払っても、「自分たちにも入部する権利はあるはずだ」って強引にマネージャー面する奴が多いんだよな…』

しかもそのくせして私たちが帰ってくるまでは一度も練習に参加せず、イナズマジャパンの帰還を見計らって部活に意気揚々と顔を出し始めたらしい。私は思わず、遠くで黄色い声援を上げながら応援しているジャージ姿の女子たちの塊をジト目で見つめてしまった。なるほど、あのギャラリーも一応はマネージャー志望なのか。
たしかに、気持ちは分かる。みんなサッカーをする姿は格好いいし、近くで応援したくなるのは当然の摂理だ。それでもだからと言ってその全部を許すわけにはいかない。幸い、今のところたとえ部員が増えていたとしても、ふゆっぺが雷門中に転入してきたことによって多少の余裕は生まれた訳だし、マネージャーは今のところ必要無いのである。で、あるからして。

『面接して振るい落とす』
『ガチの目』
『はっきり言うとミーハーは邪魔』
『仰る通りです』

私を総責任者に立てた上で、今いる自称マネージャーたちを振るい落とす作戦に出たのであった。何故私が責任者なのか。それは単に、そのあとこちらに向けられるであろうヘイトを私が引き受ける為である。秋ちゃんたちにこんなものを背負わせるわけにはいかないのだ。
なのでとりあえず私はまず、三日間の間は黙って全員の仕事への意欲を観察&評価した。その結果は当然のように不合格。辛うじて合格ラインに立てた数名を除いて、八割の自称マネージャーたちをサッカー部から追い出すことに成功した。それと同時に、選手として入部した一部も一緒に退部していったのだが、彼らはあくまで「あの雷門中サッカー部に所属していた」という肩書きが欲しかっただけなようなのでそちらも気にしないこととする。
そしてそれに加えて、残ったマネージャーの面々にも個別に面接をした上で丁重に入部をお断りした。うちにミーハーは要らないのである。それでもなお「人手が足りないでしょ」と抗議する方々には総じてこう言った。

『世界を勝ち抜いた面々を支えてきた私たちよりも良い仕事ができる自信でも?』

この言い方がとても傲慢極まりないことは分かっているのだが、しかしやはりこれが実に効果的面だったのだ。敵わないことを理解しているのか、彼女たちは悔しそうに部を去っていった。私の完全勝利である。…だが、実は問題はここからで。

追い払ったからと言って、マネージャー希望の女生徒が減ったわけでは無かったのだ。

むしろ悪化したと言っても良い。日々人気が上がっていくイナズマジャパンのみんなへの熱量が冷めることは無く、なおかつ少しでも近づきたいという恋心やらミーハー心が彼女たちを奮い立たせたのだ。おかげで最近私は、感情を殺しながら貼り付けた笑顔で「お帰りください」が言えるようになった。とても悲しい。

「全部弾け飛べば良いのにな…」
「薫ちゃん休みましょ?ね?」
「これ以上は無茶ですよぉ!!」

とても虚な目で廃棄予定の書類をピーッと縦に裂き出した私を見て、秋ちゃんは冷や汗をかきながら、春奈ちゃんはもはや半泣きで私を宥めにかかってくる。しかしそうもいくまいに。私がこうしてメンタルを削られている間にも、入部届を叩きつけただけで入部した気でいる自称マネージャーたちがみんなの練習を邪魔しているのだ。私がここで潰れるわけにはいかないでしょ。

「もう!先輩はどうしてそんなに無理するんですか!?」
「……だって…」
「だって!?」
「……あの子たち、豪炎寺くんにアピールするんだもん…」

うちのチームの中で一番モテるのは、やはり何を隠そう豪炎寺修也その人なのである。雷門中でも、世界でもエースストライカーの名を欲しいままにした彼に対して恋心を募らせた女子はとても多かった。一応、豪炎寺くんには私という恋人の存在が居るわけなのだが、私たちはそれを公言している訳じゃない。何となく守以外のメンバーには悟られているらしいが、それ以外の外部の人たちはそんなこと知らないのだ。

「…今の豪炎寺さんに言ってあげたら絶対に喜びますよ…」
「ただの醜い嫉妬だからやだ…」

誰が何と言おうと、豪炎寺くんの彼女は私だ。豪炎寺くんから好きだと言われたのは私だけだし、付き合って欲しいと言われたのも私だけ。その座をどこぞの者とも知れぬ人たちに渡すわけにはいかないのだ。
それでもそれは、あくまで私個人のわがままのようなものなのだし、そんな自分勝手な感情で豪炎寺くんや他のみんなを振り回したくはない。だからこそ私は心を律して、あくまでマネージャーとして彼女たちに対応しているのである。

「…それなのに」

そんな私の心知らず、自称マネージャー軍団はよくもまあ私の目の前で豪炎寺くんにまとわりついてくれるものだ。少し離れたところで私が必死に耐えていることにも気づかない。
そして豪炎寺くんも豪炎寺くんである。相手が女の子だからなのかどうも強い口調では出られないらしく、それならなるべく冷たく接して追い払おうとしていても、それが女の子たちには「クールで素敵」という風に映るらしく逆効果。今はもう早々と諦めて無視することにしたらしい。しかしそれでもなお女の子たちの豪炎寺くんへの熱量は冷めないのだから驚きだ。

「…大丈夫?薫ちゃん」
「うん、ありがとう、ふゆっぺ。…仕方ないことだって分かってるから」

今も、遠くでシュートを撃ち込んだ豪炎寺くんに対して黄色い声援が上がったのを聞きながら、私はそれを必死に聞こえないフリでやり過ごしている。
心の底で渦巻いていた、薄暗いドロドロとした何かからも、気づかないようにと目を逸らしたままで。





それでも、まだ良かった。練習が終わって、学校を出れば豪炎寺くんに付き纏うような人はいなかったから、何の憂いもなく私は豪炎寺くんの側で笑っていられたから。誰にも向けられることのない感情を込めた優しい眼差しが、私だけに向けられてくれるから。無言で差し出してくれる手を私が握れば、豪炎寺くんは涼やかな目元を緩めて微笑んでくれる。他愛もない帰り道の会話が、私の心を穏やかにしてくれた。
少し我慢すれば、こうやって私は豪炎寺くんと何の心置きもなく一緒にいられる。豪炎寺くんだって好きで他の女の子たちに騒がれているわけじゃないのだ。耐えているのは私だけじゃない。それに、いつかはこんな騒ぎも収まるに決まってる。
それまでの辛抱だった。
耐えなきゃいけないと分かっていた。
……だけど、その「いつか」はいつ来るの。

「豪炎寺くん!一緒に帰ろ!!」
「ずるい!私も帰りたいなぁ」
「…無理だ」
「えぇ〜!そんなこと言わないでよぉ!」

いつものように心をすり減らすような練習の時間が終わって、私はいつものように豪炎寺くんとの待ち合わせ場所に向かった。今日は練習が早めに終わるから、一緒にどこか寄り道をしようと約束していた日だった。…それなのに、逸る気持ちを堪えながら乱れていた前髪を整えた、浮かれ切った私がたどり着けば、そこには数人の女の子に囲まれている豪炎寺くんが居た。そして、まるで縋るように豪炎寺くんの腕に触れている女の子たちの手を見て。…心臓が、歪な音を立てたような気が、して。
思わずよろめくようにして後退した私の足音を、耳敏く聞きつけたらしい豪炎寺くんの視線がこちらに向いた。みるみるうちに見開かれた豪炎寺くんの瞳に映る私は、一体どんな顔をしていたのだろうか。

「……先に、帰ってるね」
「待て、薫」
「大丈夫、ちゃんと分かってるから」

どこか焦ったように手を伸ばす豪炎寺くんに、ぎこちなくとも笑いかけて私は踵を返す。…今すぐここから消えて無くなってしまいたかった。このままだと、自分でも笑っちゃうくらい惨めな気持ちになりそうだったから。
豪炎寺くんの制止を振り切って、がむしゃらに駆け抜けた私がたどり着いたのは、いつもの鉄塔広場だった。少しずつ陽が沈み始めている街の様子が一望できるこの場所で、ぼんやりと景色を眺めながら、涙が溢れそうになるたびにグッと堪える。泣いてしまったら、本当に何もかもが壊れてしまうような気がした。
思わず唇を噛み締めながら俯く。こんなくだらない嫉妬ばかりで、大人になれない私なんて、豪炎寺くんに呆れられてしまったんじゃないだろうか。…そんなの、嫌なのに。

「…ここに居たのか」
「…」
「…頼むから、一人で泣かないでくれ」
「…泣いてないもん」
「嘘つくな」

私の目の前にしゃがみ込んだ豪炎寺くんが、私の顔を覗き込むようにして目を合わせてきた。そうして伸ばした指先で、溢れそうだった私の目元をそっと拭ってくれる。

「…悪い、俺が強く拒めば良かった」
「ッ、そんなこと!…豪炎寺くんが、好きで触らせてたわけじゃないことは、知ってるし」
「だけどお前は傷ついたんだろ」

俺はお前を傷つけたくない。そう言った豪炎寺くんの私を見つめる目は苦しげで、哀しげで。それでもその声は、どこまでも私に向けた優しい響きを孕んでいたから。だから私が喉の奥に飲み込んでしまったはずの本音が、嗚咽と共にこぼれ落ちてしまったことは、きっと仕方のないことだった。

「…豪炎寺くんは、わ、私の、かれしだもん」
「…あぁ」
「だから、他の子たちにベタベタされて欲しくなかったし、触らないでって、近づかないでって、怒りたかったの」
「そうか」
「……でも、こんなくだらない嫉妬で、幻滅されたくなかったの。心が狭いって思われたくなかったのに…」

本当はあのとき、大きな声で言いたかった。豪炎寺くんに触らないでって。私の恋人に近づかないでって。叫んで、喚いて、突き飛ばしたかった。でもそんなのは私のわがままで、ただの心の醜さの塊だ。そんなものを私はとてもじゃないけど豪炎寺くんには曝け出せなかった。情けない私を見て欲しく無かった。…好かれている自覚があるからこそ、豪炎寺くんのことを疑うような感情を持っていたく無かったから。

「思う訳がない」

けれど豪炎寺くんは、はっきりとそう言い切った。まるで私の不安な心を打ち消すかのようにして、真っ直ぐな瞳で私を射抜きながら。だから、ストンと胸の底に落ちたその言葉に、思わずまた涙をこぼしてしまったのは、きっと不可抗力でしかなくて。

「…だけど」
「お前も知らないだろ」
「…ぇ?」
「…お前が、鬼道や風丸たちと一緒に居る度に、嫉妬してることなんか、知らないだろ」
「!」

…豪炎寺くんも、嫉妬してるの?だって、色々あった鬼道くんはともかくとして、風丸くんはただの幼馴染だし、そもそも同じサッカー部の仲間だ。それに私が二人と話しているのを見て、豪炎寺くんが何かを言ってきたことなんて無い。…でもそれが、もしも彼なりに耐え続けてきたことであるのだとしたなら。

「俺はお前のことに関してはどこまでも、自分でも呆れるくらいに心が狭くなる。…そんな俺を、お前こそ幻滅しないのか」
「…しないよ、そんなの…」
「なら同じだ」

帰るぞ、と引かれた手は優しくて。けれど何処までも、有無を言わせないような強引さがあった。けれど私はその強さを不快だとは思わない。この手は、私が立ち止まってしまいそうな時、一緒に歩いてくれる優しい手だから。
だから私は、ただ何も言わずに頷いて手をゆっくりと握り返した。豪炎寺くんも少しだけ微笑んで頷きながら歩き出す。…そして繋がれたその手が、願わくばずっと離されないように、なんて。

ほんの少しだけまだ臆病さを抱えたこの心は、まるで祈るようにそう思っていた。












「…そういえば、あの女の子たちは?」
「…彼女を追いかけるから構ってる暇は無いって言ったら帰ったぞ」
「えっ」

何やら爆弾発言を落としてくれた豪炎寺くんだったけれど、次の日になってみると自称マネージャーたちは尽く消え失せていた。しかしそれはあくまでとうとうブチ切れたらしい夏未ちゃんからの一喝のおかげであると信じたいし、クラスメイトたちから向けられる生温かい目は気のせいであると思いたいものである。





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