わたしと昨日をループして

見えない鎖で雁字搦めに繋がれたその小さな箱庭が、私にとっての楽園だった。
青春の牢獄。絶対的服従。総帥の名の下に、私たちはただ勝つためだけのサッカーを求められて、安寧と約束された地位を差し出されることを対価として、勝利を掴む為の人形に成り下がる。
…ずっとこのままだと思っていた。けれど、よりにもよって先頭に立ち反旗を翻したのは、誰よりも一番総帥の駒であったはずの他でもない貴方だった。

「俺たちは俺たちのサッカーを」

見たこともないような生きている人間の目をした貴方を見て、その瞳の中にすっかり怯えきってしまった私が映ってしまうことが怖くて、私は思わずその場から逃げ出した。そこには私の知らない、すっかり呪いという名の魔法が解けて人間に戻ってしまった本来の貴方がいて。
そしてそんな貴方の言葉一つで、他のみんなも夢から醒めるように魔法を解かれて目が生き返ってゆくたび、私はとてつもない焦燥感に溺れた。
…だから、逃げ出した。
引き止める貴方たちを置いて、何処までも続く無機質な廊下をひたすらに走って。

走って、走って、走って、走って、走って。

…たどり着いた先に、無人のグラウンドがあった。誰もいない。いるわけが無い。だってついさっき、みんなは私だけを置いて前へ進んでしまったのだから。
そもそもこの学園に入学して以来、総帥から直々に私へ与えられた役は『帝国のマネージャー』だった。この無機質なベンチは、そんな私の居場所であり、私が何よりも執着した不変そのものであって。

「…どうして、変わるの」

不変を望む。
緩やかな牢獄の中、飼い慣らされる絶望よりも遥かに私が望んだ、唯一のそれ。与えられるばかりのその日々でたとえ、得られるものなんか一つも無かったとしても。
それで構わないと笑えるくらいには、私は見えない明日に怯えてしまっている。

「…怖いか」
「…鬼道さん」
「俺だって怖いさ。…だが、それ以上にこのまま本当に失ってはいけないものを失うことの方が俺は恐ろしい」

違う。貴方の抱える恐怖と、私の恐れる恐怖は何もかもが違う。
仲間を、夢を、意志を、失いたいと足掻いて立ち上がらんとする貴方はきっと、希望の無い未来を恐れている。
私はそうじゃない。私が恐れていたのはいつだって、前に進むことも後ろへ戻ることもない、昨日と変わらない今日と明日を繰り返す支配の中でのつまらない不変を失うことだったから。

俯き続ける私の目の前に、鬼道さんは黙ってそっと手を差し出した。綺麗だけど、男の子らしい無骨な手。その指先が鋭くピッチを睨めつけて、勝利への指揮を取る姿を見るのが、私は好きで堪らなかった。

「…わ、たしは、一緒に行く、資格なんて無いのに」
「そんなことは無い。誰もお前を置いていかない」
「どうして、なんで」
「お前も、俺たちの仲間だろう」

…嗚呼、酷い人だ。こんな薄情で臆病者、さっさと見切りをつけて置いていって欲しかった。自分らの意志を阻むなと、邪魔をしてくれるなと胸ぐらを掴まれて脅される方が、私はきっと楽で仕方ない。
けれど貴方はわざわざ切る必要も無い私の鎖を断ってまで、私に自由を与えるのだという。
救いなんて、要らなかった。私が欲しかったのは、昨日と変わらない今日。今日と変わらない明日。
総帥の指示と意志に従って、与えられた試合で言われた通りの結果をもぎ取って、その中で得られる小さな幸せを享受する。

でも、もうそんな昨日が繰り返されることはない。

「共に戦おう、苗字。俺たちは俺たちのサッカーをするんだ」

ねぇ、優しくて傲慢な人。私はきっと、そんな貴方だから惹かれてしまった。
誰よりも最後までボールを蹴り続け、持ち得る才能と与えられた地位や立場に胡座をかかず、努力でのし上がってきた貴方の物言わぬ赤い背中を、私はこの外から見ているのが何よりも幸せでした。
告げるつもりなんて無い、憧憬にも近いこの想いを、何もかもを背負い込んだ貴方に託すつもりなんて無い。…けれど。
そんなお荷物でしか無い私でさえも、必要だと手を伸ばした優しい貴方は、いとも簡単に私の心も何もかもを拐ってしまうんだね。

「手を取ってくれ」

請うように差し伸べられた手は、掴めば最後。もう二度と私の望む不変は、繰り返されてきた昨日は戻って来ない。それでもまるで導かれるように、その手に向けてこの手を伸ばし返してしまったのは、きっとゴーグル越しの貴方の赤い目が、私の手を取る未来を信じて疑っていなかったから。
思わず乾いた笑いがこぼれる。
じくりと疼いた胸の傷に、生きた血の流れる音がした。

「…はい」

触れた手は、人形の無機質な冷たさとは似ても似つかない。先の見えない明日を生きようと足掻く、意志ある尊い人間の熱さだけがそこにあった。
腕を引かれて立ち上がる。…きっとここに、私が帰ることはもう二度と無い。置いていくべきだった臆病者の私でさえ引っくるめて手を引いてくれた貴方に、私は全てを捧げてついて行く。

グラウンドを出る前にちらりと見遣った静寂のフィールド。
無人のベンチと、愛おしかったはずの昨日と不変を置き去りにして、私は。

希望とも絶望とも知れない明日を、貴方と共に迎えに行くことを選んだ。



わたしと昨日をループして



せめて訪れる新しい明日が、絶望でないことだけをただ願う。