サニー号の上にぽっかりと見事な三日月が浮かぶ。甲板の上に立ったナミは目を閉じて風を感じ、この先しばらくは海が荒れないことを読み取った。グランドラインの気候にもいい加減慣れた。外れない自信なら人一倍ある。
「もう夜か。あの連中ずっと船尾見張ってんのかァ?コーラも補給したし、ちょっくら交代してくっかねえ」
「おう、頼んだフランキー。トラ男とウマ男も疲れてんだろ」
問いかけたフランキーにルフィが明るく答えている。その頭には、錦えもんの能力で出してもらったらしい見事な兜が被せられていた。全く何をはしゃいでいるんだか。
トラ男とウマ男、ことトラファルガー・ローとチェンバーズ・リバー。それに錦えもんとモモの助…までは百歩譲っていいとして。
ナミは大きなため息を吐いた。あの子供たちに酷い真似をした元凶の男までサニー号に乗せるなんて。しかも七武海やら四皇やらを倒すという末恐ろしい目標のために。
「なんでこんな同盟組んだのかしらあの馬鹿は…」
「ナーミさん!沈んだ気分の時にはこちらの雪山ソーダをどうぞ!パンクハザードの雪をイメージしました!」
「あら、ありがとサンジくん…─うん、美味しい」
「その笑顔が見れて何よりです!と、リバー…」
サンジがふと笑みを引っ込めて後ろを見たので、つられて振り返った。船尾で見張りをしていたらしいローとリバーが甲板へ下りてくる。何やら小声で話す2人の距離は近く、リバーが時折恥じらいながら向ける視線を、ローが微かに笑みすら浮かべながら受け止めている。
なに、あの空気。ナミは思わず目を擦った。しかし何回見ても、彼らの柔らかい表情は変わらない。両人ともこれまで見せていた冷めた雰囲気とあまりにかけ離れているというか、なんというか。
少しの間行動を共にしただけだが、あのやたらと見目の良い青年が、こちらも見目の良いキャプテンに大層懐いていることはナミにも分かった。ローの方も、リバーが意識を失っていた間の献身ぶりを見るになんとも重い感情を向けているようと推測している。ナミ自身仲間があんな風になっていれば取り乱すに違いないが、クールな印象の2人だからこそ垣間見える熱い感情に驚く。
「…あの2人、なんか凄いわよね色々と」
「あー、ナミさんもそう思う?」
おれも、と呆れたように言ってサンジは乾いた笑みを零した。
他人事のような顔をしているが、凄いといえばこの一味が誇るコックのリバーに対する態度も色々と凄い。元来面倒見が良く心優しい男であることは勿論ナミも知っているが、同性相手にあんな世話の焼き方をするサンジを初めて見た。
魚人島で散々思い知ったとおり彼の2年はかなり苦しい環境だったようだから、友人の存在にかなり助けられたのだろう。
リバーは見た目こそ近寄りがたい容貌をしているが話せばかなり男らしい性格をしていたのでサンジと気が合うのも頷ける。
「ねえ、サンジ君から見てどんな奴なの?」
「え……リバーかい?」
「そ。随分仲良いみたいだから」
「あー、まァそうだな。最初は状況が状況だったからってのもあったけどね。あの島にマトモな男はあいつだけだったから」
サンジは思い出を反芻するように火をつけたタバコを吸い込み、遠い目付きをしながら吐き出した。その視線の先では何やらウソップ達に詰められているローの隣で、リバーが彼を庇うように前に出ているところだった。ナミと同じくこの同盟に尻込みしている様子のウソップが、腕を組み睨むリバーに慌てて弁解している。
「…ああ見えて不器用な奴さ。シャボンディでローと離されて大分参ってたのもあっただろうが、あいつとは弱いところも大分さらけ出しあっちまったから……できれば幸せでいてほしいって思う。ダチってやつかな」
「──…見せあったんだ、弱いところ?」
「まァ、色々ね…」
仲間には殆どそんな面を見せないサンジと、見るからにプライドの高そうなリバー。そんな2人が弱味を見せられる程の友達になるなんて、それだけの重みがあの2年にはあったのだ。
ナミも、2年間で出会った恩人達のことはきっと一生忘れない。サンジとリバーはくまに飛ばされたという状況まで一緒だったのだ。どんなにか心強かったことだろう。
「不思議な縁ねえ、同盟組んで、サニー号にまで乗るなんて」
「全くだよ」
ふとこちらを振り返ったリバーが、サンジに向かって手を上げた。三白眼の目がゆっくりと細められ、色付いた唇が誂えたような角度で弧を描く。手を上げ返すサンジはすっかり慣れているようだが、ナミは思わず感嘆の息を吐いた。
「うわー…腹立つけどウマ男超キレー…」
「そう言うナミさんも綺麗だよ!!」
「はいはい」
リバーは肩の上で整えられた黒髪をさらりとかきあげながら近づいてきた。ポケットに手を突っ込みながら歩く姿勢は、涼やかな顔に反してガラが悪い。自分がどう見られているのかなんて百も承知で、それでいて全く飾ろうとしない。不思議な男だ、と素直に思う。
「なあサンジ、風呂借りていい?おれもあいつもボロボロでよ」
「おー、入れ入れ」
「さんきゅ。ローは他所の船で風呂なんか入れるかって言うんだけどさァ」
「あ、そっか。あんた達2人とも能力者だもんね」
顔はサンジに向けたまま明るいグレーの虹彩がくるりとナミを向く。それからリバーは小さく頷いた。水に濡れるととにかく力が出なくなるらしい厄介な能力者。2人揃って他船でそんな無防備な状態になるのは避けたいことだろう。
「それなら1人ずつ入ればいいじゃない」
「あーいやナミさん、こいつは…」
「おれがローと入りてェだけ」
「……はあ?」
ぽつりと言いつつ、陶器のように白い肌にほんの少しの赤みが差した。なんだそりゃ。呆気にとられるナミの目の前で、大人びた表情が一気に緩み隙だらけになる。照れて頬を掻く友人を見て、見慣れていたらしいサンジは大きなため息をついた。
「本当ブレねェなお前は…」
「お前がいる船だから大丈夫だっておれァ思ってんだけど」
「ま、安心してくれて良いのは確かだぜ。おれもお前のことは信じてる」
サンジの言葉を受けて、リバーは肩をすくめてはにかんだ。くすぐったそうなその表情が、ツンと澄ましていた時よりもよっぽど年相応に見える。
「…ウマ男、ちなみにあんたいくつ?」
「あ?20…そういや確かお前と一緒だ。“ナミさん”?」
「本当!?」
カマバッカ王国でサンジに聞かされていたのだろう。リバーは片方の口角をひょいと上げてイタズラっぽい笑みを浮かべて見せた。ナミはサンジより数センチ低い位置にあるその顔をまじまじと見上げた。やたらと酸いも甘いも噛み分けたような表情をしている男だが、同い年とは。
「何、そんな嬉しいわけ?」
リバーが不思議そうに首を傾げたので頷きを返す。
「まあね、なんか嬉しいじゃない?そういう共通点って。あんたウチの男連中よりも落ち着いてそうだし」
「そりゃねえよナミさん!」
「あ、ちなみにお風呂は今ロビンとモモの助君が入ってるから。もうちょっと待っててね」
「あァ、分かっ…」
「はァ!?」
サンジが素っ頓狂に叫び、どこから聞いていたのかブルックと錦えもんが突然怒り始めた。「許さん」だの「子供とて男は男」だの。あーほんと馬鹿ばっかり。隣のリバーもすっかり冷めた目で彼らを見ていたので、やはり常識人だと嬉しくなる。
「…あー…そういや、子供……」
「え?」
「子供達連れてったあの眼鏡の海兵、お前ら知り合い?」
甲板の手すりにもたれて、リバーはそう問いかけてきた。星空を背景にして青年の横顔が目を伏せる。長い睫毛に船の灯りがチカチカと反射して、宝石みたい、と感慨を抱いた。
「知り合いっていうか、ただの腐れ縁。でも良い女海兵さんよ。私は信用できると思ってる」
「へー…」
「ふふ、あの子達のこと案外気になってたんでしょ?」
薬が切れて暴れる子供達を見ていた時のリバーの苦しそうな顔。彼が冷血な男ではないことはもうとっくに分かっていた。そもそも、シャボンディでケイミー奪還に協力してくれたことをナミはちゃんと覚えている。天竜人に5憶ベリーを提示されて絶望しかけていたナミを引き戻してくれたあの時の青年が彼。イヤな奴で無いことなんて、パンクハザードで再会した時にはもう分かっていた。
「──あの弱っちそうな奴にヤク中の治療に向き合う根性あんのか、知りたかっただけだ」
ふい、と海の方へ顔を向けて彼の表情は見えなくなってしまった。素直じゃないところはウチの男連中と同じね、とひっそり微笑む。
「大丈夫よ。良い人だから、きっと」
「まァ…スモーカーの部下なら、良い」
「あら。何それ?あやしー」
「あやしくねェよ」
微かな笑い混じりにリバーはナミを見下ろした。夜の海に溶け込むような黒髪と、麦わらの一味の男達より細く薄い身体。そのままふわりと消えてしまいそうな雰囲気は、彼独特のものだ。思わず顔を寄せてまじまじと覗き込むと、近づいた分だけリバーの顔は離れていった。パーソナルスペース、というんだったか。それがかなり広めらしい。「ごめんごめん」と詫びて距離を取り、疑問に思っていたことを尋ねる。
「怪我、もう平気なの?」
「あ?あァ、まあ」
「そ。良かった」
「良かったって…別におれがどうなろうがお前には関係ねーだろ?」
「あら関係あるわよ。同盟相手だもの。無茶な作戦ふっかけてきたのはそっちなんだから無事でいてもらわなきゃ困るわ」
「……ふ、そうだな。言い出しっぺのローにも無事でいてもらわねェと」
リバーは肩を震わせて笑った。こんな風にも笑えるのか。ナミは思わず口をつぐみ、妙に新鮮な感慨を抱いてその表情の変化を見守った。
「──…リバー」
突然響いた低い声に、2人して肩を跳ねさせて振り返った。甲板には彼のキャプテンが立っていて、特徴的な帽子の影になった瞳が真っ直ぐにリバーを捉えていた。月明かりに照らされて長いシルエットが芝生に真っ直ぐ伸びている。どこかから引き戻すように強い声色が、「何ぼーっとしてる」とリバーに投げかけられる。
「ロー。話終わった?」
「あァ」
ナミとの間に長い腕がぬっと伸びてきて、部下の腕を掴んだ。引きよされるままローの胸元に手をつくリバーを横目に、さっき得たパーソナルスペース広めという情報に“例外アリ”と付け加える。
「そうだ、風呂」
「あァ?だから他所の船で風呂なんざ…」
「この船は大丈夫だろ。麦わらのアホさ見たろ?な、航海士?」
「当たり前でしょ?少なくとも私達にあんた達を襲う理由なんてひとつも無いもの」
「だって。行こーぜ?ほら丁度空いたみてぇだし」
甲板には風呂上がりのモモの助を連れたロビンが出てきていて、馬鹿な男連中が嘆きに嘆いて阿鼻叫喚の図になっている。
「全く、あの阿呆共は子供相手に!」
ナミが拳を握りしめるその隣を、リバーが追い越していった。随分嬉しそうにローと連れ立って歩く様子はさっきまでと同じ人物には到底見えない。そして、やれやれと言いたげにため息を吐いたローがリバーに見えないよう微かに口元を緩めたのも見えてしまった。
「なにあれ…ラブラブってわけ?」
「どうかした?」
「ロビーン…あれよあれ。どうなってんのよ私達の同盟相手は」
「あら…ふふ、随分嬉しそうねリバー君」
喧騒の続く甲板を、寄り添った男が2人優雅に通り過ぎて行く。なまじスタイルが良いもんだから、さながらランウェイだ。その後ろ姿をロビンはやけに微笑ましそうに見送っている。リバー君、だなんていつの間に呼ぶようになったんだろう。
「ロビン…ウマ男と何かあったの?」
「何もないわ、心配しないで。私が勝手に気にしてるだけ。彼、理不尽な思いを散々してきたでしょうから」
それを言うならロビンだって、と言いかけてやめた。彼らの人生を目の前で見てきたわけじゃない。
「あいつらが仲良いと、ロビンは嬉しいの?」
「そうね…心から安心できる居場所にいる彼を見てると、自分のことのように嬉しい」
「そっか。ロビンが嬉しいなら私も嬉しい」
「あら、お揃いね?」
笑みを零し合って、浴室へと消えていく同盟相手に背を向けた。ロビンが嬉しくなるなら、あの2人のためこの同盟に前向きになってあげてもいい。ナミは密かにそんなことを思った。