35


「しっかし、四皇を引きずり下ろすか……大それた作戦考えるなァ、お前のキャプテン」
「ああ、最高だよなァ」
「へいへい」

ひとまず作戦の共有は終わった。おれは芝生の上にサンジと座り込みながら、麦わらと何やら話しているローをぼんやりと眺めている。正確にはローの作戦の目的は四皇ではなくドフラミンゴだが、サンジに言う訳にはいかない。まァ多少申し訳ないとは思うが、いくら友人だろうが騙すことに対してそれ程心は痛まない。最優先はローだし、こいつだって海賊の同盟なんざ大して真剣に受け止めちゃいないだろう。

「……な、リバー。お前が大怪我負ってた理由をわざわざ聞いたりはしねェけどよ、今結構落ち込んでるだろ」
にやりと笑んだ口に煙草を咥えながらサンジが覗き込んでくる。それに素直に頷きを返した。
「まーな、普通に自己嫌悪」
「あのヴェルゴとかいう野郎、おれも一瞬戦りあいかけた。確かに頑丈だったが、お前があんなになるほどじゃなかっただろ。…ローのためか?」
頭上に浮かぶ太陽が、その柔らかい金髪をキラキラと輝かせている。相変わらず眩しい野郎だと思いながらにこやかなその顔を睨み返した。
「理由は聞かねェんじゃなかったのかよ」
「これでも心配したんだぜ?」
「………別に、大層な思いなんかねェよ。ただの自己満足だ。あいつが苦しむ姿は見たくねェから、代わりになれんのなら良いと思った。そんだけ」
「…ま、納得だな」
「お前もそうだろ?」

これは自惚れかもしれないけど、例えばおれが死にそうな場面に出くわしたらこいつは自分の身を犠牲にして助けてくれると思う。おれの友人はそういう男だ。だから仲間相手なら尚更、あいつらを守るためなら麦わらの言う事だって聞きやしないだろう。サンジは黙って何も言わなかった。沈黙は肯定ってやつ?誤魔化すように息が吐かれて、懐かしい煙の匂いが辺りに漂う。

「……そういや、おれがやった煙草どうした?」
「何本か吸ったけどローに体に悪ィって言われて、そのまま。大事にとってあるぜ」
パーカーのポケットを叩くと、サンジは分かっていたように頷いた。
「ああ、想定内」
「知らねー匂いさせてんの腹立つとか言ってくれた。お前のおかげ」
「へっ、それも想定内だぜクソ」

笑いながら目を閉じればサンジの煙草の匂いが強くなった。ローと離れ離れだったあの日々の匂いだ。胸に寂しさと、そしてローと再会できた瞬間の喜びが呼び起こされる。

「目覚めねェお前を見るあいつの目、見せてやりたかったよ」
「…どんなんだった?」
「大事で大事でたまんねーって目」
「………へえ……」

心臓が締め付けられる心地がして、顔を手で覆って息を吐いた。そのまま芝生へ寝転がれば頭上でサンジが笑うのが聞こえる。あんた、どんな目してたわけ?でも…そりゃそうだよな。優しいあんたが殴られて気ィ失ったおれ見て何も思わない訳が無い。

「……嬉しい、って思っちまうの、イカれてっかな」
「安心しろ。お前は元からイカれてる」

指の間から上を見上げればサンジは片方しか見えない瞳でこちらを見下ろして、ビシ、と指を突きつけてきた。

「キャプテン好きすぎ。重症だ」
「…はー?お前も女好きすぎ。重症」
「ああ?おれのはポリシーだ」
「そのポリシー守り通せてる時点でおかしくねえ?」
「言っとけ。…ま、出会った頃から変わってねェよお前は。それをローも満更でもなさそうに受け入れてる、とおれには見える。そのままで良いんじゃねェか?お前らは」

知ったような口ぶりで、実際おれの気持ちを全部見透かしていたらしいサンジは朗らかに笑みを浮かべた。毎晩のように髪を梳いてくれていた手が、優しく頭に乗せられる。おれにとって友人というこっぱずかしいポジションに唯一収まっている男は、変わらない温かい手でさらさらと髪を撫でた。通り過ぎようとしていたホネがおれ達を2度見して、そして壁に頭をぶつけている。どうも妙な光景らしい。

「髪、ローに切ってもらったんだよな?嫌味なくらい似合ってるぜ。カマバッカの連中が見たら卒倒しそうだ」
「カマバッカか…皆元気にしてっかな」
「連中なら年がら年中元気有り余ってるだろ。お前が先に出てから暫くは島中活気ゼロだっだけどな」
「ははっ、見てみたかったなァそれ。つーかお前こそ魚人島で色々あったんだろ?聞かせろよ」
「それだよお前、聞け美しい人魚の話を……っと、やっぱ後でたっぷりしてやる。お迎えだ」
「え?…あ、」

頭を持ち上げると、向こう側からぎゅん、と勢いよく広がってきた見覚えのありすぎる“膜”が身体を包みこんだ。したり顔で手を振るサンジの姿が掻き消えて、散らした葉っぱか何かと入れ替わりに空中に放り出される。

「っ、!」
「おう、ウマ男〜しっかしおもしれェ能力だなあ」

重力に任せて落ちたのはローの腕の中だった。膝裏と背中を抱えられて横抱き状態。何度か瞬きを繰り返したが状況は変わらない。見上げた先ではいつも通りの冷静なローが麦わらに向かって口を開くところだった。

「ドフラミンゴの刺客がくる危険性がまだある。夜になるまでおれとこいつで船尾は見張っておく」
「分かった任せるよ。なんかあったら呼んでくれ」
「あァ」

くるりと踵を返して、おれを抱いたままローは船尾へと歩き始めた。何この状況。だけどこんなラッキーを逃す手もねえ。即座に首に手を回して頬を擦り寄せると、ローが喉の奥で笑う気配がした。

甲板が見えなくなって、船尾にあるドーム状の壁の外に二人きりになる。手すりの向こう側にはただっ広い海が広がっていた。立ち止まったローが覗き込んできて、間近に迫った顔にたまらなくなってさらにぎゅっと抱き寄せる。

「何、これなんの褒美?」
「お前…またあいつの匂いさせやがって」
不機嫌そうに言われて胸が高鳴る。束縛を嫌うこの男がこんな事言ってくれるなんて。
「…あんたのそんな言葉聞けて嬉しい、とか思ってんだけど今」
「……ハァ……」

耳元で囁けば、ぱち、と目を丸くしたローが一転ため息を吐き、おれを船尾に降ろした。全くてめェは、とか言いながら壁にもたれて座り込んだローの隣にぴたりとくっついて座り込む。潮風が吹く海原の上では太陽が真上からゆっくりと傾こうとしていた。

「…くち」
「え、口?」

ローは帽子を脱いでおれの膝に押し付けた。されるがままそれを抱えながら、すぐ隣で呟かれた言葉を聞き返す。
「さっきは半端になったが…ヴェルゴの脚舐めてやがった口と…踏みつけられてた頭に蹴られまくってた腹に、足に、翼に…ああクソ。もう全部だ馬鹿野郎」
「だ、だから舐めたのは脚じゃなくてズボンだって」
「んなもん同じだ……」
「─………ん、」

両頬を手が包み込み、唇が覆い被さった。なんか散々寸止め食らった気がすんだけど、もうこれで全部チャラだ。恐る恐る開いた口に熱い舌が割り入ってきて、口の中全部を上書きするように粘膜が絡み合う。
目を閉じたローがぼやけるのを視界に映すと、あまりの嬉しさに鼻から上擦った息が漏れる。随分久しぶりに思えるローの舌は、相変わらず甘い味がする。多分おれの脳みそが勝手に甘いと思い込んでるんだ。歯列がなぞられて腹の奥が熱くなった。一瞬で身体が芯を無くして、ローの身体にもたれて器用に動く舌を受け入れた。

「っん、んん…」
「…は…あん時、怒りでどうにかなるかと思った…もうあんなのはごめんだ…」

唾液でぬめる唇を合わせたまま、ローが絞り出すように言った。至近距離でこちらを見る薄灰の目が苦しそうに細められている。あんたが辛い思いする必要なんか無い。それを伝えたくて、頬に手を添えて鼻先を擦り合わせた。
「んな顔しないでくれ……おれが弱かっただけだ」
「悪かった」
「…!あんたが謝らなきゃなんないことなんて、1個もない」
「別に受け取らなくていい。自己満足だ」

目を閉じたローが、今度はゆっくりと、ただ優しく唇を重ねてきた。合わさっただけのそれに、悲壮感に打ちのめされかけていた自分の身体の硬直が緩まっていく。遠くに映る水平線と、潮風になびく大切な人の黒髪がじわりと滲む。
こうしていられることが奇跡だと、切ないほど思う。広い肩に手を回して、ローの唇の合間をゆっくりと舌でなぞった。差し出された舌先に吸い付いて、そこにあった唾液を全部飲み込む。ローのものが食道を通って胃の中に落ちていく感覚がする。

「…っロー」
「……なんだ」
「名前、呼んで」
「──リバー」
「ん…うん…」
「リバー、もうあんな真似するな……」
「っ、」

返事をする前に深いキスで口が塞がれた。波の音と風の音と、遠くに聞こえる賑やかな話し声。でも耳の中にはローの息遣いと舌の動く水音だけが響いている。熱の集まる耳を指がいじくる。ローの顎髭がこすれる感触が気持ち良くてねだるように抱きつく腕に力を込めると、長い脚がおれの身体をぎゅっと囲いこんだ。

「ん……ん、っは、ん…」

上書きという名目で始まったはずのキスは、その目的を果たしても終わる気配が無かった。ローの胸に寄りかかって流れこんでくる唾を飲み下し続ける。遊ばれた髪がくしゃりと癖づき、合わせっぱなしの唇の感覚はほとんど無くなりつつあった。
いつまでもこうしてたい、なんて思いながら閉じていた目を開ければ、ぼやけた視界越しにローと目が合った。…あ、笑ってる。上書きが必要ないはずのローまでごくんと喉を鳴らしていて、割と潔癖気味な自分たちがお互いの唾なんか飲み合ってるのがおかしくて2人して喉の奥で笑った。

「ん……はあ……」

やがて絡み合っていた舌がぬるりと引き抜かれて、一気に唇が寒くなった。口内に溜まった2人分の唾液をごくんと全て飲み込んで、夢見心地で腹を抑えてローにもたれかかる。

「腹ん中あったけー気がする…」
「は…そうか」

ローは満足気に息を吐き、おれの髪を撫でながら壁を背に海を見やった。その横顔を至近距離から穴のあくほど見つめる。高い鼻、綺麗に生えた髭、案外長い睫毛、キラキラと光るピアスと揺れる黒髪。唇が少し濡れてんのがまたなんつーか、こいつの魅力を爆発させてる。

「…綺麗だよなァ、あんた…」
「──…目いかれたか」
「いかれてねー、事実」

ローは理解不能と顔に書いたまんま、肩に顎を乗せるおれの方を横目に見た。風に仰がれてた髪をローの指が耳にかけて、ゆっくりと梳かれる。

「…その言葉、お前にだけは言われたくねェな」
「なんでだよ」
「なんでもなにもねェよ…、」
言葉を切ったローが欠伸を噛み殺したのを見て、「あ」と声がでた。

「膝枕!」

突然叫んだおれをローが伸びをしながら見返す。
「ああ…そんなこと言ってたか」
「な、やっていい?つか絶対やりてえ」
「おれァ別に——」
「良いだろ?減るもんじゃなし」
「聞け、おい…」

両肩を掴み、勢いよく引き寄せる。本当に疲れていたらしいその身体は特に抵抗もなく膝の上に倒れこんだ。ローは諦めたように帽子を胸元に抱えて、おれの太ももに頭を乗せた。

ウワ、すご。想像以上に最高の眺めだ。大切な男の顔が真下にあって、こっちを見上げてる。いつもは帽子の影に隠れがちの瞳が上からだとよく見えた。ゆるりと持ち上げられた手が、垂れ下がったおれの髪をかき分けた。

「にやけ面」
「仕方ねェだろ」
「だが…案外良いな…お前の匂いがする」
「おれの?自分のって分かんねえな…どんな匂い?」

どんな?と唸ったローはおれの手を取って鼻先をうずめた。難しい顔で何度か息を吸い、やがて沈黙とともに目が閉じられる。

「ややこしいな…言語化しにくい。飛んでっちまいそうな…消えちまいそうな…だが妙に落ち着く匂いがする」
「ははっ、それどんな匂い?おれァ飛んでったりしねェよ」
「…だと良いがな」
「まァ落ち着くなら良いけどさ」
つーか、嬉しすぎる。おれはローの匂いに包まれると体中から力が抜けちまうけど、ローもおれの匂いを落ち着くなんて思ってくれてた。
「なに笑ってる?」
「笑ってねー、けど、にやけてた」
「あァ?…何が違うんだ」
「へへ」
「…アホ馬のアホ面」
「馬鹿のバも追加しとく?」
「……ふ、そうだな」

じっくり上から見る端正な顔は、やはり隈が目立つ。これはもう多分取れねーんだろうな。穏やかに笑う様子はすっかりリラックスしているように見えた。安心してくれるなら枕冥利につきる。ローは静かに目を閉じたままおれの手を握りしめて、またしても欠伸を漏らした。

「…あの」
「ん…?」
「眠いなら寝ても…つーか、寝て?見張りならおれがしてっから、さ」

ほとんど懇願めいた声で言うとうっすらと瞳を開けたローが小さく頷いて、また目を閉じた。
やった。胸が歓喜で高鳴る。おれの膝でローが寝てくれるなんて、ここは天国か?そうか天国か。

「あ、頭撫でといていい…?」
「好きにしろ…」

小さくそう言ってローの頭がふわりと重くなった。どうやら一瞬で眠りの世界に入ったらしい。うわ、うわわわ。声にならない歓喜を抑えつつ、恐る恐る潮風にそよぐ黒髪に指を通して頭を撫でた。途端にとてつもない愛おしさが全身を襲ってきて、漏れ出そうな声を慌てて飲み込んだ。

あんたの髪、柔らかくて気持ちいい。それにすげェ寝つきいいじゃん。おれの太もも、そんなに寝心地いい?超嬉しい。最高。

ああ……もっと、もっと甘えてほしい。

なんなら毎日おれの膝で寝てほしい。頭だって毎日撫でたい。もっともっと、おれにどんどんハマっちゃえば良いのに。そう、おれがあんたにハマってるのと同じくらいに。おれ無しじゃいられなくて、おれといると心臓バクバクしておれで頭がいっぱいになっちまえば良いのに。

おれがあんたを好きなのと同じくらい……おれのこと、好きになれば良いのに。



…って、は?

我に返って、海を見る。目が覚めるような一面の青。

「——あぶねェ…何考えてんだ………んなこと望んだことねェだろ?勘弁してくれ……」

自由を愛するこのキャプテンに、そんなの似合わない。おれにハマるローなんかローじゃない。つーか分不相応っていうか、有り得ねェっていうか…いや、そもそも。

「……おれじゃ無理だよな」

諦めなんか軽やかに超えた、ごくごく自然な道理。人生の道筋を決意させるほどローに“愛”ってやつを教えたのであろう“コラさん”のことが脳裏によぎる。彼がいたからローは優しい人間になって、根っからの医者になって、そして海賊になった。

おれが弟との想い出を丸ごと抱えてこれからも生きていくように、ローも“コラさん”の全部を抱えて生きていく。それに生みの家族との想い出だってきっとたくさんあるんだろう。ローの愛は広く深く、そして優しい。

静かな寝息を立てるローの髪を柔らかくかきあげる。眉間は緩み、安心しきった寝顔だった。頭を預けた部下の身の程をわきまえない欲望なんかつゆ知らず、全部任せて眠ってる。こみ上げた感情が、ほろりと口からこぼれ出る。

「好きだよ、ロー」

ぽた、とその頬に水滴が落ちて、慌てて袖で吸い取った。あーあー、今日はまじで涙腺が馬鹿になってる。これ以上零れないように上を向いたら、太陽が次第に傾き始めていた。

そして甲板の方から楽し気な笑い声がしていたことに、今初めて気が付いた。ローのことで頭がいっぱいになるのがもう癖になってる。治す気も無いけど。
はるか遠くで弧を描く水平線には何の影も見当たらないままだ。傾いてきた日光がローの顔を照らし始めたので、翼を広げて影を作った。

「……幸せになってくれ、ロー……」

もう一度、絞り出すように想いを告げる。呼吸で微かに上下する顔を眺めているだけで、あっという間に時間が過ぎていく。脚にかかるその重みが愛おしくって、おれはまた涙腺が馬鹿になり始めるのを感じていた。

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