ローと麦わらの勝利を叫ぶ声がドレスローザに響き渡る。人々が快哉をあげるのが耳に痛いほど聞こえてきた。
終わったんだ、本当に。
生きてここまで来れたんだ。
おれを膝に乗せたローが優しく頬を撫でてきた。もう枯れたと思った涙がまた溢れて、ローの額に跳ねる。
激しい戦闘の直後だからローの顔は傷だらけだ。でも流れた血も傷跡も全部がローの格好良さに拍車をかけてる。おれのキャプテンはいつだって、この海で一番格好いい。
「今日はよく泣くな、リバー」
「だってこんな日、もう二度とねぇよ……」
ローが悲願を果たした日。その瞬間をこの目で見られて本当に良かった。
パンクハザードでローの目的を聞いてからずっと、おれはここに至る前に死ぬと思っていた。死と引き換えに悲願を叶えようとしているローの代わりなるつもりだった。
でもローが生きろと、傍にいろと何度も言ってくれたから。出来る限り永く生きて傍にいたいと思えるようになったから。だから、こんな瞬間を迎えることができた。
背中に回ったローの手に力が籠る。おれも抱き返して額を合わせたいのに、戻せないままの角が邪魔だ。
ああもう、と思ってむくれるとローは可笑しそうに笑って頬を引き寄せ、折れたおれの角に唇を押し当てた。
「あ、え?」
その瞬間、角と翼があっという間に引っ込んだ。本当に、嘘みたいにかき消えた。……うそ、まじ?ずっと戻せなかったのに。被りっぱなしだったローの帽子が支えを失って目元まで落ちてくる。慌てて持ち上げようとすると、ローがひょいと取って自分の頭に戻した。
すっかり見慣れたいつものローが、楽しげに笑って翼の消えた背中に手を回してくれる。久方ぶりに何も無くなった肩甲骨がこそばゆい。まっさらになった額をこつんと合わせて、ローと間近で目を合わせた。
「やっと戻ったな」
「おれ何もやってねぇ……今、あんたのキスで引っ込んだ……?」
「へェ?おとぎ話にあったな、そういうの」
「おとぎ話?」
「知らねェか。……ふっ、まァ知らなくて良い。一角天馬はおれにとっちゃ呪いでもなんでもねェからな。おれの誇りそのものだ」
「──……あー、もうまた泣いちまう……」
「嬉し泣きならいくらでもしろ」
どちらからともなくもう一度キスをしようとした瞬間、下にいた人間が「あっ、トラファルガー・ローがあそこにいるぞ!」と叫んだ。麦わらと共にドフラミンゴを打ち倒した恩人を探していたらしい。
いつもだったら邪魔しやがってとか思うけど、今はそんなことを感じる気力がない。頭は喜びで溢れてるけど、正直なところ身体が疲れすぎてる。ローだって疲労困憊だろうに、おれは完全に全身をローに預けてしまっていた。
でも、長い腕は力強くおれを抱き抱えてますます身体が密着する。やっぱ体力格差がでかすぎるかも。
「悪ィ、おれもう動けなくて……」
「当たり前だ。お前今日だけで何発撃たれたと思ってる。足も一回完全に外れてるんだ……何も考えずに大人しくしてろ」
「ん……」
素直に甘えてローの肩に腕を回した。頭を預けて大好きな香りを肺いっぱいに吸い込む。あーやばい、意識飛びそう。
微睡みかけているとローが立ち上がる気配がして、すぐに“ROOM”に包まれた。
「どこ行くの……?」
「とにかく静かな所だ」
「いいな、賛成……」
「二人になれる所が良いが……今は無理だな。外は瓦礫の山だし、中はこの人混みだ。とにかく麦わらの一味と合流するか……」
瞬時に移動した路地裏にも人が大勢いた。おれを横抱きにして悠々と歩くローに、救世主だ、恩人だ、と賛辞の声がかけられる。
おれら海賊なのにおかしいよな。でもこの国を支配してたのも海賊で、ローを助けたコラさんは海軍で、おれをペットにしようとしてるのは天竜人で。
おかしいのはこの海全部だ。
その中にほんの僅か、真っ直ぐ地に足つけて立ってる連中がいる。麦わらの一味、ヴァイオレット、サボ、助けてくれた医者、他にも何人か。そういう奴らに出会えたのもあんたのおかげだ。
「おれさ、ひとり、子供を親んとこに届けてやれた」
「……そうなのか。いつだ?」
「ついさっき……ひとりで泣いてたから、手ェ差し伸べる大人がいるって、教えてやりたくなって。柄にもねェことしたけど、喜ぶ顔見たら、悪ィ気はしなかった……」
ぽつりぽつりと話し終えてからそっと上を見ると、ローは穏やかに微笑んでいた。そして「そうか」と言っておれの髪に唇を落としてくれる。
途端、おれ達を囲んでいた人だかりがしんと静まり返った。でもそんなことはどうでもよくて、おれはただローが笑ってくれたことが嬉しかった。
「良い判断だったな」
「……そう思う?海賊なのに、変じゃねェ?」
「お前は誰にでも手差し伸べるわけじゃねェだろ。この人混みの中からその子供を見つけたのにはきっと理由がある。……コラさんがおれにくれた愛がお前まで届いて、お前からまたそいつに届いてる。悪くねェ」
「……うん。あんたがおれを見つけてくれたみたいに、おれもあの子にできたらって思った……」
ローが褒めてくれた。それだけで心に明かりがいくつも灯る。
ああ、おれは──今日まで生きてこられて、本当に良かった。
「お前はどんどん頼もしくなる」
「……ほんと?」
「あァ」
「じゃあそろそろ、おれに惚れたりしねぇ……?」
ローの肩に頬を擦り寄せてそんな事を口走っていた。全部が終わって、疲れきって浮かれて魔が差した。おれがローに数え切れないくらい惚れ直してるから、こんなことが口から出る。
ア、と思って撤回しようとした時にはもうローが静かにおれを見下ろしていた。切れ長の薄灰色の瞳が、真っ直ぐにこっちを見ている。
「……いや、その……」
「今更か?」
「え、」
「好きじゃ足りねェとかの話をしただろうが」
「し、たけど、」
「まァ言葉足らずではあったか……おれァ、惚れてもねェ奴に死ぬまで傍にいろなんざ言わねェよ」
「…………!」
「リバー、今日だけで数え切れねェ程惚れ直した。お前は強く頼もしい、おれの自慢の男だ」
間近でそんな、鉄も溶けそうな熱い声を聞いて。ローのピアスが金色に輝いてるのとか、整った唇が笑ってるのとか、帽子の影が落ちた目元の格好良さとか、もう全部がおれに降り注いで爆発した。爆発、したかと思うほど顔が熱くなった。
「~~~~っ、く、うわーー……」
「ふ、言葉になってねェ」
「ッやっぱ無理、言葉たんねぇ………!おれもずっと惚れ直してる、大好き!もう早く、二人になりてぇ……!」
疲労困憊の身体に致死量のトラファルガー・ロー。あのローが、おれに惚れてる?浮かれて白昼夢見ちゃってるわけじゃなくて?信じられなくって叫びたいのに、その声すら出てこない。感情が溢れて肩に回した腕を支えにもっとくっつくと、ローもそれに応えて頬を擦り寄せてくれた。
「とりあえずシャワー浴びて寝るぞ」
「そうしよう。んでキスする」
「一億回だな」
「!っはは、そう一億回」
そうだ、トレーボル倒したご褒美に約束したんだった。楽しくなって二人して肩を震わせていると、近くにいた集団から一際目立つ緑頭が大きく手を振っているのが見えた。
「おーい!リバー!トラ男!!」
「リバー君!大丈夫?」
「あァお前ら──ゾロ屋にニコ屋か」
駆け寄ってきたのはロロノアとロビンだった。二人とも疲れている様子ではあったけど晴れやかな顔をしている。きっとおれがローを誇らしく思うと同じだけ、こいつらも麦わらを誇りに思ってる。
「おれは大丈夫。ロー、こいつらは糸を押し留めてくれてたんだ」
「糸を?……まァ、お前ららしい行動だな」
「あなたとルフィが早くドフラミンゴを倒してくれて、こちらも助かったわ」
「もうちっと早くいけたんじゃねェかァ?トラ男よォ」
「ローに絡むんじゃねぇぞ、ロロノア」
「はっ、んな体勢で言われても迫力ねェよ」
ローに横抱きされたままのおれを破顔したロロノアとロビンが覗き込んでくる。うっせー、歩きたくてもまじで身体動かねぇんだよ。筋肉が完全にギブアップしてる。
「麦わら屋はどこだ?とっとと移動しねェと厄介なことになるぞ」
「そうね。海軍もいるしこの場は離れた方がいい」
「……あの隕石ジジイは?あいつもお前らと一緒にいたろ」
「ああ、彼なら……」
藤虎のことを聞くと、ロビンがかろうじて無事だったらしい柱に取り付けられた映像電伝虫を指さした。
糸に切り刻まれた跡の残る街の広場で、画面に入り切らない程の海軍が跪いている。その先頭には藤虎、そして目の前にいるのはリク王だ。
『──政府に代わって、深く深く詫びを申し上げやす……!!本当に……!すまん事をしやした……!!』
それは異様な光景だった。政府の非を認めて、海兵達が一斉に頭を下げている。散々邪魔されたせいでおれの中の印象は最悪だが、ここまでするとは思わなかった。あいつがしてきた半端な態度のせいでおれが被った被害は全然チャラにできねぇけど。
「あ、いた……!あなた達!」
「!ヴァイオレット」
「ああチチェンバーズ……無事で良かったわ。父から戦士達を王宮へ匿うように言付かってる。私についてきて」
「まじ?シャワーある?」
「ええ、もちろん」
駆け寄ってきたヴァイオレットは最後に台地で別れた時よりも憑き物が落ちたような顔になっていた。国の仇であるドフラミンゴからようやく解放されたんだから、当たり前か。
「トラファルガー・ロー。あなたにも礼を言わねばならないわ。本当に……本当に、ありがとう」
「おれはおれの為すべきことをしただけだ」
「こまけーことは気にすんなってさ」
「ふふ、ありがとう二人とも」
麦わらがレベッカと一緒に離れた場所にいるというので、ロロノアとロビンとは一旦別れることになった。何日ここにいるかは分からないが、出港のタイミングでロビンが電伝虫をかけてくれるらしい。次の目的地はゾウと決まってるから、出るなら早い方が良い。
ただ、おれもローも今はとにかく休みたかった。ヴァイオレットに連れられて王宮へ入ると、コロシアムにいた戦士達がそこかしこに転がっていた。手当を受けていたり、爆睡を決め込んでいたり。
ただっ広い回廊を通った時には、何故か鎖で全身を巻かれたキャベンディッシュも転がっていた。いや、顔が別人みたいに歪んでたからもしかすると見間違いかもしれない。
おれ達も同じような場所に案内されるのかと思ったが、ヴァイオレットは王宮内をどんどんと進み、階段をいくつか登って随分と見晴らしの良い部屋へと通してくれた。
華やかな装飾の施された扉を開けると、ドレスローザを一望できる窓に、天蓋付きのベッド、豪華な家具が揃った見事な部屋が広がっていた。
「何、この部屋……おれら海賊だけど良いの」
「もちろん。大切な客人のための部屋よ。好きに使って。奥にシャワー室もあるわ」
「なら、ありがたく使わせてもらうぞ」
「ええ。……この国を救ってくれて本当にありがとう。何度言っても、きっと足りないわ」
ヴァイオレットは一礼すると、おれの手にそっと手を重ねた。
「……ようやく、愛しのキャプテンと二人きりね。チェンバーズ」
「え、」
「トラファルガー。ドフラミンゴに囚われていたあなたを助けに行く時……彼、本当に必死だった。傷ついて、痛くて仕方ないでしょうに私達を乗せて飛んでくれた」
「……あァ」
ヴァイオレットの言葉にローが静かに頷いた。おれを抱える腕にまた力が入って、身体が密着する。その真剣な横顔にまたしても見とれてしまった。あー、好きだ。何百回だってそう思う。
「あの男の周りにこんなにも船長想いの部下は一人もいなかったわ。あなた達は光ある道を選んでる。これから先も、きっと。私はそう思う」
真っ直ぐに言われた言葉に息をのむ。気高い王族の意思が伝わってくる。なんて強い女だ。かつては家族と共に過ごしたこの王宮がドフラミンゴに乗っ取られ、長年どんな思いで過ごしていたか。人の過去を想像する気は更々無いが、そんな日々を耐え抜いたヴァイオレットの言葉は眩い日光のように胸をついた。
「──ヴァイオレット、お前もな」
「ふふ、ありがとうチェンバーズ……どうか、今だけは穏やかな時を──いえ、ここは愛と情熱の国よ。二人で燃えるような時を過ごしてね」
「え、も、燃え……?」
ばちん、と綺麗なウインクを寄越してヴァイオレットは扉を閉めた。静寂が落ちる部屋の中で、耳にみるみる熱が集まっていく。ローの顔を見れなかった。
ヴァイオレット。燃えるような時って、何。