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「……リバー?」

確かに今、聞き慣れた羽音がしたはずだ。ローは突然上から現れたルフィとその向こうで青筋を走らせたドフラミンゴから束の間目を離し、空を見あげた。糸で波打つ街は砂埃のせいで見晴らしが悪く、天馬の翼を見つけることは叶わなかった。
だが、リバーの気配を自分が見逃すはずはないという確信があった。

極限の攻防の最中に漏れ聞こえてきた実況中継のような声も、リバーの名前を叫んでいた。もう動けないはずのリバーが、ルフィをここまで運んだのだ。

「ッおい麦わら屋、リバーはどうした!あいつはもう飛べる状態じゃ──」
「飛んでたぞ、ウマ男」
「………!!」
「ししっ!おかげで戻ってこれた。待たせたなトラ男!」
「待ってねェ」

咄嗟に言い返したが、ルフィなしでこの戦況を打破することが困難なことは事実だ。オペオペの能力の上限はとっくの昔に超えている。リバーはローの状況を分かっていて、できる限り早くルフィを届けてくれたのだろう。
一体どうやって。
あの状態で空を飛ぶなんて不可能だ。リバーの身体のことはリバー以上に分かっている。なにせ治したのはローだ。リバーのことだから無理を押して歩くくらいのことはするだろうが、飛ぶとなると何か超常的な回復をしたとしか思えない。

「大袈裟な復活だな麦わらァ…かろうじて覇気が戻っただけじゃねェか…」

ドフラミンゴが笑みながら手を吊り上げる。ローは口に溜まった血を吐き出し、軋む身体に鞭打って鬼哭を構えた。
本当に回復したのならリバーは真っ先にローの傍に来る。ここにいないということは、少なくとも今現在戦える状態ではないのだ。どれだけ無茶をしたのか、身体はどうなっているのか、聞かねばならないことが山ほどできてしまった。

「フッフッフ…立ってるのが精一杯だろう…?」
「それ、は!お前も同じだろ!!」
「ロー、てめェもその実の能力を使う力はとっくに無くなってるはずだ……」
「さァ、どうだかな……」

近くで見るとルフィは確かに立っているのもやっとの状態だった。そしてそれはローも同じだ。
短期決戦。何においてもそうしなければ勝ち筋は無い。早く終わればその分リバーに早く会えるのだから一石二鳥だ。

「フッ、お前らのくだらねェ海賊ごっこもこれで終わりだ…!“海原白糸”!!」

街全体が糸になって襲い掛かってくる。覚醒した悪魔の実の能力は、地形そのものを凶悪な武器に変える。

「———トラ男!!」
「ああ、さっさと終わらせるぞ…!」
「さっさと?さっさと、だと!フッフッフ…!今すぐに死ぬのはてめェらだ……!!“千本の矢——羽撃糸”!!」

高く飛び上がり攻撃を回避したローとルフィ目掛けて、矢の如く鋭く尖った糸が急速に伸びた。ローは寸でのところで“ROOM”を広げて糸と糸の位置を攪乱させ、ルフィを空へと蹴り上げた。
落下するローをドフラミンゴが追う。その口角は勝利を確信しているかのように極限まで吊り上がっていた。

「フッフ……!お前の頼みの綱は——覇気も使えねェ足手まといだったなァ!」
「はっ、まさか。お前の部下じゃあるめェし……」
「——……いつまでも、口の減らねェ餓鬼が…!!」
「事実を言っただけだ。都合の良い傀儡に囲われて、反吐が出るほどくだらねェ海賊ごっこしてたのはお前の方だドフラミンゴ…!」

ファミリーなどと薄ら寒い記号を割り振られただけの、都合の良い部品の集合体。コラソンと心を通わせた瞬間から、ローにとってドンキホーテ・ファミリーは空虚で嫌悪感しか沸かない存在になった。
ハートの海賊団を結成して、リバーと出会って。本物の絆を得る度、ドフラミンゴの周囲がどれほど虚構に塗れていたか益々実感していった。

「お前には、帰りを待つ仲間がいねェ……!」
「フッフ…そんなものは必要ねェ!!お前ら人間と!おれは違う!」
「せいぜいそう思い込んでろ。おかげでおれ達は、お前に勝てる」
「———“ギア4”!!!」
「!!」
「“ROOM”!シャンブルズ……!」

武装したルフィが空で叫んだ。ドフラミンゴが上を見上げた隙に、ローも瓦礫と入れ替わって空へと飛んだ。

「おれを相手に空中を選ぶとはいい度胸だ!!見せてくれるのか…?一発K.Oってやつを…!!」

上から見下ろして初めて、途方もない群衆が自分達の戦いを見ていることに気が付いた。そして奇妙な程に研ぎ澄まされた視界で、ローの視線はある一点に吸い寄せられる。
ドフラミンゴから幾ばくも離れていない、奇跡的に残った建物の屋根の上。

…… リバー。

到底届かない微かな声で呼ぶと、仰向けになってこちらを見あげていたリバーがぴくりと翼を揺らした。鮮やかなグレーの瞳が真っすぐに自分を見ているのが分かる。ただそれだけで、冷えていたローの指先は一気に温かくなり、ドフラミンゴへの嫌悪で急いていた身体がほぐれるのが如実に分かった。
ああ本当に、この感情をなんと呼ぶのか。
ローは知らずのうちに微笑んだ。海賊なのだから、言葉で縛る必要などない。だが純粋に知りたい。リバーが与えてくれるこの燃えるように熱く、しかし真綿のように柔らかな感情。これがなんなのか、二人で語り合ってみたい。

見てろ、と囁く。

リバーは被っていたローの帽子を少し持ち上げながら花咲くように笑った。あんたから目ェ離すわけねーだろ、と聞こえない声が聞こえる。

「フッフッフ……!餓鬼どもがおれの頭上に立つとは気分が悪い!!」
「お前は……!なんでもかんでも手の中に閉じ込めて、どいつもこいつも操ろうとするから、おれは息が詰まりそうだ!!」

ルフィが張り裂けんばかりの声で叫びながら腕を構えた。その身体から溢れ出た覇気が空を怒涛のように震わせる。

「血を恨め……!お前達は操られるだけのゴミとして生まれたんだ!!この国の連中や、ロー……お前の部下のように!地べたを這いつくばって、芯まで食い潰されるのがゴミの定めだ!!」
「うるせェ!この国の連中は必死に戦ってる!!ウマ男だって、あんなに自由に空を飛んでるだろうが!おれも、お前をブッ飛ばしてここを出ていく!“ゴムゴムのォ”……!!」

ローの心は風のない海のように凪いでいた。この男の言葉に感情を乱されていたのが遠い過去のことのようだ。
コラソンの笑顔が脳裏を過ぎる。そうだ、植え付けられた憎しみよりも、与えてもらった愛の方が余りにも多い。そして与えることのできた愛もきっと、リバーの中に息づいている。

「てめェの言葉はもう、おれにもリバーにも届かねェよ。“ROOM”!!」
「フッ…お前らはこのカゴの中で息絶えろ……!!“蜘蛛の巣がき”!!」

糸が格子状に広がっていく──だがもう、それはローにとって脅威ではなくなっていた。群衆の声、風の音、ドフラミンゴが叫ぶ声、何もかもが遠ざかる。
真隣にいるルフィの呼吸がはっきりと分かった。息を合わせて酸素を吸い込み、同じ敵を見据える。

「“大猿王銃”!!」
「“インジェクションショット”!!」

迎え撃った糸の弾をものともせず、二人の一撃が蜘蛛の巣状の盾を砕き、ドフラミンゴへと到達する。頭上からの凄まじい攻撃を喰らい、ドフラミンゴは顔を歪ませながら真っ直ぐに下へと落ちていった。

石造りの建物を砕き落下したその身体が地面に倒れ伏し、亀裂が走る。時が止まったかのように鮮明に、積年の憎しみの根源が四肢を投げ出している光景がローの視界に焼き付く。
ドフラミンゴの身体がもう動かないことが、はっきりと分かった。

脳裏にコラソンの言葉が過ぎる。

“──ある土地ではDの一族をこう呼ぶ者もいる。神の天敵──”

自分もルフィもDの一族だ。だが今はただ、コラソンの本懐を遂げられたことへの歓喜がローを満たした。ルフィもただ気に食わない奴をブッ飛ばしただけ。
自分もこの男も海賊なのだから、それで良い。

宙で振り返るとルフィは能力の副作用で既に意識を失っていた。“ROOM”を大きく広げて、地上で呆然とこちらを見上げていたレベッカとヴァイオレットの元へその身体を届ける。

そして身を翻し、目当ての建物の屋根へと身体を向ける。
リバーは上半身を起こしていて、泣いているように見えた。ローの元へ飛んでこようとしているのか、震える翼を大きく広げている。

「……なに一人で泣いてんだ、馬鹿」

“ROOM”を展開して屋根瓦のひとつと自分を入れ替えた。屋根に立って間近からリバーを見下ろすと、煤けた顔はやはり涙に濡れていた。美しい瞳がローを見て、かつてないほどに柔らかく綻ぶ。
笑いながら泣くリバーは、朝露に濡れる花のように輝いていた。

「見てたか?」
「……当たり前だろ」

ローは次から次にリバーの頬を流れる雫を拭いとって、伸ばされた両腕の上から覆い被さるように抱きしめた。屋根に膝をつき背中に手を回して、震える翼ごときつく抱き寄せる。
リバーの香りがした。その瞬間に初めてローの目の奥が熱くなった。息を漏らすとリバーが肩口に額を擦り寄せてくる。屋根の上に二人座り込んで、縋り付くように抱き合った。

「お前が傍にいてくれたからだ」

絞り出した声は震えていた。すぐに頬に手が添えられてリバーが額を合わせてきた。折れた角がこつりと当たったのがおかしくて二人で微笑み、ローの目尻に滲んだ涙をリバーの指が拭いさっていく。

「……あんただから傍にいたいって思えた。だから、全部あんたの力だ」

リバーはこの期に及んでまだ自分の存在の大きさを分かっていない。
片時も離れるのが惜しくますます強くリバーの背中を抱き寄せ、横抱きにして膝の上に持ち上げた。すぐに翼が回り込んできて、ローを柔らかな羽根が包み込む。

「他でもねェ、お前がいたから能力を使い続ける力が湧いた。全部がおれの力だってんなら、全部がお前の力だ。リバー」
「───……ロー……」
「ああくそ、やっぱり言葉じゃ全然足んねェ」
「……ッ、これでも足んねェの?もういっぱいもらった───」

頬を手で包み込んで震える唇に口付けた。お互いの涙の味がする。リバーはローの背に回した手にぎゅっと力を込めて、熱い舌をそっと潜り込ませてきた。
翼の繭の中、柔らかな薄皮と熱い口内の感触を何度も確かめる。吐き出される息の熱さが、響く水音が、リバーが生きているのだと教えてくれる。
所々が血で汚れた黒髪を指で撫でながら、何度も口付けを繰り返した。
目の前で伏せられた長い睫毛が涙を湛えて震えている。その雫を指で拭って、現れた眩いグレーの虹彩に見惚れた。冬島の空に輝くオーロラよりも、グランドラインの深海に見える虹よりも、リバーは美しい。言葉だけでは、この美しさを言い表すことは到底できない。リバーを形作る全てが、あの日に出会ってから今この瞬間までローを惹き付けてやまない。

『───空を見よ!ドレスローザ!!消えていくのは鳥カゴか……ドフラミンゴの支配か───』

群衆の歓声が聞こえる。音を立てて唇に吸い付いてから、同時に上を見上げた。リバーがゆっくりと翼を広げると、空を覆っていた糸の根元が消えていくのが見えた。
青空に一角天馬の黒い羽根が舞う。それは正に、ローにとっての自由の象徴だった。

『カゴの外に広がる風景は……切り刻まれた町か、はたまたもはや操られる事のない自由の地か!!』

ぼんやりと羽根を見上げていると頭を抱き寄せられた。首元に頬を寄せながら目を合わせると、この海の何よりも美しく微笑んだリバーがローの額にそっと口付けを落とした。柔らかな感触と共に、温かな祝福が全身を満たす。翼ごと背中を引き寄せて、その笑みをただひたすらに目に焼き付ける。

ローは風に揺れるリバーの髪を耳にかけてやりながら思った。
死ぬ間際には必ず、今この瞬間の光景を思い出すだろう。大切で、あたたかくて、美しい。チェンバーズ・リバーの涙に濡れる笑顔を。


『──ドレスローザ攻防戦!海賊ドンキホーテ・ファミリーVSこの地に居合わせた運命の戦士達……!その大将戦、王下七武海ドンキホーテ・ドフラミンゴVS戦闘士ルーシー並びに元王下七武海トラファルガー・ロー!!……ッ!ひょーひゃ……ひょーぴゃ!!……!!ひょ……勝者は!!ットラファルガー!ロロ、ロォォォーーと!!ルゥ~~~シ~~~~!!』


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