深い深い眠りに落ちていた。
瞼の向こう側に微かな日光を感じてぼんやりと意識が覚醒していく。何かが頬を撫でているのに気がついた。優しく肌を滑るこれは指先だ……きっと、ローの。眠る前の幸福な記憶が穏やかに思い起こされて、ゆっくりと目を開けた。
「起きたか」
「ロー……」
「あァ」
「最高の目覚めすぎ……」
目の前で穏やかにおれを見つめる薄灰色の瞳に朝焼けが射し込んで、きらきら光っている。同じ枕を分け合ったローの腕が頭の下にあって、もう片方の手が優しく頬を撫でていた。
余りにも幸せな目覚めが信じられず、その存在を確かめるためにローの身体に手を回した。一糸纏わぬままの首元に擦り寄ると上からくすぐったそうな笑い声がする。あーこれマジで現実?骨の浮き出た首筋に鼻を寄せてとりあえず匂いを嗅いでおく。
「よく眠れたか?」
「うん。あんたは……?」
「夢も見なかったな。泥みてェに眠ってた」
「おれも。いつ起きたの」
「日が昇り始めた時だ。ずっとお前の寝顔を見てた」
寝顔?そんなん見て何が面白いんだ。いや、おれはローの寝顔なんか一晩中眺めてられるけど。少し伸びた顎髭から薄くなった目元の隈までじっくり見つめていると、優しく髪を梳かれた。こぼれ落ちる髪の隙間から見える綺麗な目に、瞬きするおれが映ってる。なあ、もしかしてこうやってずっと見てた?あー、もっと早く起きてたら見つめ返せたのにな。
「起こしてくれて良かったのに」
「飽きなかったからいい」
「おれの寝顔?つまんねーだろ?」
「ふ、一生そう思っとけ。あほ馬」
微笑んだローが両手を頬に添えて顔を寄せてきた。近づいてくる端正な顔に見惚れていると、そっと唇が重なった。昨日の濃厚な絡み合いとは違って柔らかな薄皮をくっつけるだけの優しいキス。朝から超贅沢。足先でローの足を撫でると、長い脚がするりと足の間に入り込んできた。裸のまま触れ合ったもんだから早々に熱が高まってきて身体を更に擦り寄せた。
でもおれの昂りとは裏腹に、触れるだけのキスを頬や目元にも落としてからローは顔を離した。そしておれの髪に指を通しながらすっと身体を起こしてしまう。えー、なんで起きんの。離れがたくて腰に抱きつくとわしわし頭を撫でられる。これ幸いと目の前にあった腰の刺青にじゅうっと吸い付いて跡を残した。赤く色付いたそこを満足して舐めていると「おい」と呆れた声が降ってくる。
「何やってる」
「痕つけてる。なー、昨日一個しかつけてくれてねぇ。もっとつけて」
「仕方ねェな。ほら顔上げろ」
「……っ、ん…」
ローは身を屈めておれの首筋と鎖骨に吸い付いて、二つ跡を残してくれた。じんとする箇所に指を当てて笑みが漏れる。あー、やった。満足してローの手を引っ張りながら枕に戻ろうとしたけど、なぜか服を手渡された。え、なんで着なきゃいけねぇの。ついにはベッドを降りてしまったローを見上げて盛大に首を傾げる。
「二回戦は?」
「残念ながらお預けだ。さっきニコ屋から連絡があった。革命軍を追ってCP0が戻ってきてるらしい。できる限り早く出港だと」
「あー?ああ……くそ、そりゃそうか……」
パーカーに袖を通しながら嫌々納得する。サボがあれだけ派手に暴れたら政府も血眼で追ってくるだろう。くそ、二回戦したかったのに。渋々服を着終えてベッドから降りた。
テーブルに置かれた水を飲もうと歩き出すと、当然ながら下半身に気だるい違和感を覚えた。腹の奥は昨日何度も突かれた感覚が残っていて油断するとひくつくし、尻にはローのでっかいのが入っていた余韻がある。もちろん幸せしか感じない。
おれ、昨日ローと最後までやったんだよな。……まじで凄かった。ロー、超えろかった。あんなえろい生き物がこの海に存在するなんて。
頭上で揺れていた黒髪や、腰を鷲掴みにしてきた手の大きさ、熱を帯びた瞳、体の奥を突く熱の塊——そんな記憶の余韻に浸りながらグラスを仰いでいると、背後から近づいてきたローが肩に顎を乗せて覗き込んできた。朝から格好いいな、おれのキャプテン。横目に見て微笑むとその瞳が眩し気に細められる。
ローの首に手を這わせ、水を含んだまま唇を重ねて口内に流し込む。喉を鳴らして水を飲み込んだローは後ろから腹に腕を回しておれをぎゅっと抱き寄せた。
「身体に問題はねェか」
「ん?全然大丈夫。むしろ最高」
「それなら良いが、痛くなったりしたら言えよ」
大きな手が労わるように腹を撫でてくれる。その上に自分の手を重ねた瞬間、すぐ傍にあった大きな窓からこつりと音がした。
ローが一瞬の内におれの前へと回り、ベッドの傍にあった鬼哭をシャンブルズでグラスと入れ替えた。抜かれた刃越しに窓を見ると、真っ黒なカラスが嘴で窓を突いている。目は完全におれ達を見ていて、「開けて」と言っているのが如実に伝わってきた。
「……カラスだ」
「カラスだな。何かの能力か?」
ローが警戒しながら窓を開けると大量のカラスが一気に窓辺に集まってきた。群れを為してはいるが襲ってくる気配はない。ばさばさと飛び交うカラス達を二人で困惑しながら眺めていると、一際大きなカラスの背中から見覚えのある顔が笑みを浮かべて手を振ってきた。
「よっリバーくん!」
「は?お前なんで……」
「ロビンから王宮にいるって聞いてな。ちょっと忠告にきた」
「忠告?……つか、なんでカラス?」
「おれの仲間の能力なんだよ」
目元の傷跡、黒いシルクハット。昨日一日だけの繋がりなのにこいつの顔はもうすっかりおれの中で馴染んでいる。まさかまた会えるなんて。
窓の縁に降り立ったサボはおれの前に立ったローに向かって帽子を脱いで会釈をした。朝日を背負った男は相変わらず爽やかな空気を纏っていたが、大量のカラスが背後にいるのが異質だ。
「お前がローか。昨日はルフィが世話になったな」
「革命軍の参謀がリバーに何の用だ」
「あァ、CP0がこの島に来るってのはもうロビンに聞いたよな?その目的がどうもおれ達だけじゃないらしいから、忠告に」
「目的だと?」
「そこにいる君の部下だ。CP0はチェンバーズ・リバーを狙っている」
「———……」
サボは真剣な表情でおれを見据えた。朗らかな笑顔が消えるだけで一気に雰囲気が重くなる。……天竜人。幸せに浸っていた身体に震えが走る。その一瞬の動揺を察したらしいローがおれを振り返って手を握ってきた。動揺してるのがバレバレすぎて情けねぇけど、その温もりに安堵して素直にローの手に指を絡めた。
「仲間が集めた確かな情報だ。奴らは天竜人の命令で一角天馬を最上位の捕獲対象と定めている。気をつけろ」
「あァ、分かった……もうまじでしつけー……」
「リバー、お前は何も気にするな。絶対に連れていかせやしねェよ」
ローはおれの手を引いて胸元に抱き寄せた。語りかけるようなその声色は静かで、落ち着いていた。普段話すのと同じような声でおれを守ると言ってくれる。まるでずっと前から決まっていることのように、当たり前の事実としてローが守ってくれる。満たされるような安心感を覚えて小さく頷きを返すと、頭をぽんぽんと撫でられた。
──いつもだったら守られるだけなんてごめんだと奮起するところだけど。天竜人と聞くと途端に身体が冷える。未だ鮮明に焼き付いた故郷の城の地下牢が脳裏をよぎる。ローに出会えた場所だとしても、あそこだけはきっと一生おれの中に深い傷を残し続けるんだろう。だから今だけは素直に甘えたい。他のことは全力で、むしろローを守るために頑張るから。
「……意外だな。リバーくんがそこまで骨抜きになってるとは」
サボはおれ達の様子を見て暫し目を瞬かせていたが、すぐに笑みを戻して窓辺で立ち上がった。
「いや、イワンコフが言ってたな。“ハンサムボーイはキャプテンが大好き”って」
「うえ、あいつそんなことまで話してんのかよ」
こうなると革命軍中におれの個人情報が共有されてると思った方が良いな。別にいいけど。半ば呆れながら見やると、誤魔化すように肩をすくめたサボがローに顔を向けた。
「トラファルガー・ロー。革命軍として長年奴隷解放に動いてきたから分かるが、連中がリバーくんに抱いている執着はかなり根深い。おれ達やロビンのように政府の禁忌に足を踏み入れてるわけでもねェのにCP0にまで命令を飛ばすなんて、普通はあり得ねェ」
「……あァ」
「幻獣種の実の能力者ってだけでもこんなには狙われねェよ。あいつらは──ただ綺麗だから欲しいってだけなんだ。希少な愛玩動物として自分達の手元に置いて、好き勝手してェってだけだ。子供でも分別つくようなことを、本当に……人ひとりの人生がそんな理由で汚されていい訳がねェ」
悔しさの滲む声でそう言ってサボは帽子を目深に被った。憐みでもなんでもない、純粋な怒りと悔しさだけがサボから伝わってくる。
革命軍として活動しているのなら、理不尽な目に遭う奴をそれこそ星の数ほど見てきただろう。 その度にこれだけ心を痛めていれば潰れちまいそうなもんなのに、こいつは真っ直ぐに立って戦っている。
「こいつの人生はもうおれが受け持ってる。何があろうと、何人たりとも踏み入らせやしねェ」
ローは淡々と、しかし一寸の迷いも無い声でそう言った。胸がじんと熱くなる。守られるっての苦手だけどこの事に関してだけはローが絶対に守り通してくれるって心底安心できる。だから緊張がすっかり無くなって、おれはそっとローの身体に凭れかかった。
「サボ、おれはローがいればそれで良いから。お前が気にかける必要はねぇよ。わざわざ言いに来てくれてありなとな」
「そうか……うん、頼りになるキャプテンがいて良かったな」
顔を上げたサボに笑みを返すとローが「それで、」と随分低い声を出した。
「そもそもお前ら一体どういう繋がりなんだ。どこで会ってた」
え、なんか怒ってる?ローはいつの間にか眉間に皺を寄せていて、サボをじとりと睨みつけている。
目を瞬かせるサボに代わって簡単に経緯を説明していった。藤虎との戦いで出会ったこと、ふらふらになってたところを助けてくれたこと、バージェスの攻撃から守ってくれたこと。話している内に、肩に回されていたローの手にどんどん力が籠っていく。
「藤虎にバージェス……よく踏ん張って戻ってきてくれたなリバー」
「あ、当たり前だろ?」
顔を覗き込みながら真っ直ぐに言われて照れが襲ってくる。当たり前のことをしただけだけどローに褒められるとやっぱり嬉しい。傍にいて良かったんだって思えるから。
「ははっ、本当に仲良いなァ。んじゃ、おれは行くよ!」
すっかり赤くなったおれを見て朗らかに笑ってから、 サボはひらりと外へ飛び降りた。すぐにカラスが拾って手を振る姿が遠ざかっていく。
「二人ともじゃあなー!縁が合ったらまた会おう!」
「あァ!カマバッカの皆によろしく言っといてくれ!」
「おう!あ、ルフィのこともよろしく頼む!」
カラスの群れがドレスローザの朝焼けに向かって飛んでいく。その光景は眩しく、そして希望に満ちているように見えた。