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パンクハザードでの日々は、正直おれにとってはまさに天国そのものだった。ハートのクルーの皆がいればもっと最高だったけど、まあこれ以上の贅沢は望まない。
ローは一日のうち半分は外に出てなんやかんやと目的達成の準備を進めているようだったが、半分は部屋にいて本や新聞を読んで過ごしている。つまり半日はローと一緒にいれるわけ。しかも夜は同じベッド。これすごくねえか?

ローがいない間は部屋でひたすら筋トレしたり、どこからか持ち帰られてくる食材で料理を作ったりしている。まァでも、暇なのは間違いない。あいつがいれば傍にいるだけであっという間に時間が経つんだけど、いない時は全然時計が進まねーし心底暇でつまらない。

退屈を紛らわすため機械じみた簡素な部屋をぐるぐると散策して、最近小さなドアから通じる中庭のようなスペースを発見した。2メートル四方くらいの小さなそこは、吹き抜けで空が見えるが四方を壁で囲まれていて外からは見えない。モネって奴が近くに来ても、こんな小さな庭は多分見つからないだろう。

部屋の椅子を持ち出して、ローが外出している間はそこで時間を潰すことが多い。ずっと部屋の中にいるよりは外の空気を吸っている方が楽だし、延々と降る雪もここには大して積もらなかった。

それに、ここなら煙草が吸えた。吸うっつっても別に習慣になってるわけじゃない。別れ際にサンジがくれた一箱を、手持ち無沙汰にくゆらせてるだけ。案外健康志向のローは副流煙が好きでは無いだろうから、部屋で吸うのは絶対に無し。ってことで、ここが唯一の喫煙所になった。

サンジがくれた煙草は、まだ殆ど残っている。大して美味いとも思わないから減りが極めて遅い。美味くもねーのになんで吸うのかって、そりゃあ暇だからだ。

「……早く帰ってこねェかなー…」

吐き出した煙が灰色の空に消えていく。ローは大体朝から出て昼過ぎには帰ってくる。だからまだ数時間は帰ってこない。

ためしに煙で輪っかを作ってみたら、案外上手くいった。こうして煙を見ていると、ベランダで月を見ながら煙草を吸っていたサンジの姿を思い出す。
ローと離れた切なく寂しかった日々には、あの心優しい男の影が色濃く焼き付いている。また会えるだろうか。そういえば、麦わらの一味の集合の日も段々と近づいてきていた。

煙草を咥えたまま脚を組み、空を見上げた。あんまり吸うと口が煙草臭くなるので、半分くらい残して火を消すようにしている。もうそろそろ消さなきゃいけないタイミングだ。

ガチャ、と音が響いて今おれ以外に開ける者のいないはずのドアノブが回ったのはその時だった。
身体の隣で突然音がしたので盛大にびくつく。誰だ、と咄嗟に思ってしまったが、普通に考えて一人しかいない。

「…おいリバー、こんなとこにいたのか。身体が冷え、」
「び……っくりしたー……よく分かったな。つか今日早いな?なんかあった?あ、昼飯出来てるけど食う?」

中庭に入ってきたのはやはりと言うべきかローだった。いやローじゃなきゃ大問題なんだけど。

驚きを誤魔化すように矢継ぎ早に言葉を重ねて、立ち尽くしたまま何故か返事の無いローと暫し見つめ合う。寒さのせいか少し赤くなっている鼻先に胸がきゅっとなった。かわいー。
いつもの帽子と黒のロングコートには雪が積もってる。夜はあつあつのポトフにしてやろうかな。……ていうか、まじで喋んねえな。どうした?

「……ロー?」
「お前……それ、なんだ」
「え?何って…あー、煙草。いや部屋ん中じゃ吸ってねェよ?ちゃんとこうやって外で、ッ!?」

そういえば吸ってるとこを見られるのは初めてだ。珍しく呆然とした様子のローに指を指されて慌ててはじめた弁解は、いつの間にか煙草の代わりに手に収まっていた雪玉の冷たさに驚いてあっという間に終了した。

「つっめた!え、何、どうした……?」

さっきまで煙の出ていた煙草は、ローの手の中でぐしゃりと潰されてもう灰になっている。入れ替えられたんだ。火傷しなかったかな。つーか表情が帽子の鍔に隠れて見えないんだけど……あれ、もしかして怒ってねェか?
俯くローにみるみる不安が募る。そんなに煙草無理だった?やっぱ身体に害だから?

「…誰に教えられた」

予想外の言葉に身体が跳ねる。ぽつりと言ったその顔は、帽子の鍔の影で見えない。怒ってるっていうか、不機嫌な声?

「カマバッカでサンジに……」
「……またあいつか」

ふいと顔を背けられてますます焦りが増幅した。

「でもちょっとしか吸ったことねェよ。美味いとは思わねェし、それも暇だったから試しに吸ってただけで」
「そうか。じゃあもうやめろ」

大股に近づいてきたローは、おれの持っていたマッチを忌々しげに取り上げた。不安になって覗き込めば怜悧な瞳と目が合って思わず硬直してしまう。煙草を吸うような奴には触れないとか言われたら、脇目も振らず泣いてしまう。

「……悪い。もうやめるから、離れてかないで」

とてつもなく落ち込みながら言えば、ローは目をぱちりと開いて少し驚いたような顔になった。そしてすぐに手が伸びてきてわしわし頭を撫でられる。

「いや……謝るな。ただこいつァ毒だ。好きでもねェなら吸うな」
「……分かった」
「こんくらいで離れねェから安心しろ」

頬をやんわりと包み込まれて、されるがままに見上げる。ようやくまともに見えたその顔は、もういつもの冷静な表情に戻っていた。伏し目がちになったローに目尻を親指でなぞられる。気持ちよくて瞼を閉じれば、少し自嘲めいた笑みが聞こえた。

「…自分に少し驚いた。知らねェ匂いさせてるのがこんなにムカつくとはな」
「え………それおれのこと?」
「お前以外に誰がいる」

ふんと鼻を鳴らすローを呆然と見つめる。え、何?滅茶苦茶、滅茶苦茶にうぬぼれていいなら、これってちょっとしたヤキモチ?的なあれ?……いやいや、まさかな。そんな都合良いことそうそうある訳。

半笑いで自分を戒めていれば、大きな手に覆われた顔が上へと向けられた。ローの顔が緩く傾げられる。目を伏せて近づいてくる端正な顔の目的に思い当たって、慌てて手の平を向けた。

「ま……って、今煙草臭ェから!十秒で口ゆすいでくるから待って、そんでその後絶対キスして!」

何がなんでもキスはしたい。それもローからなんて珍しい機会はぜってー逃したくない。でも、煙草くさくて不快な思いはさせたくない。欲望と理性がごちゃ混ぜになって慌てるおれを、七武海にまで登りつめた男は逃がしてはくれなかった。

「そのままで良い…上書きしねえと気が済まねェ」
「……へ、」
「口開けろ」

麻薬のような命令に脳が揺れて、口が意思と関係なく独りでに開いた。ぬるりと唾液まじりに入り込んできた舌は、口内にその全部を塗りこめるように動いた。煙が染み込ませた苦味の上からなぞるように舐められてあっという間に力が抜ける。
ぱらぱらと細かい雪の降る中庭で、水音を響かせて絡む部分だけが熱気を帯びていた。

必死に背伸びをして高い位置にある肩に抱きつく。会えなかった間に我ながら身長は結構伸びたような気がしてたけど、まだ頭一個分以上差があった。
首元に触れた指が冷えきっていることに気づいたらしいローが、凍えた身体をコートの前を開けすっぽりと包み込んでくれる。ローの香りでいっぱいの暖かい服の中にくるまれて、唇を柔らかく覆われて、多幸感で胸が満たされる。こんな気分味わえるならもう一生背なんか伸びなくていいかも。

「んん……」

湯につかるようなゆったりとしたキスに浸っていれば、煙草のことなんかすっかり忘れて完全に夢見心地。ごめんサンジ、お前のことは思い出として煙草と一緒にポケットにしまっとく。

目を閉じてほわほわと大好きな唇を堪能している間に、いつの間にか足の裏が地面から離れていた。腰を抱かれて、口は唇に縫い止められる。真っ赤になって頭にもやがかかり始めたおれと反対に、ローは力強く抱きしめる腕に力を込めた。

そして、いつの間にやら太ももを抱えられたまま部屋の中へと戻っていたらしい。体重も筋肉も絶対増えたはずなのに、おれをソファに横たえるまで長身は全くブレなかった。

運ばれる間も降ろされてからも延々キスをねだっていれば、唾液の糸を指でつまんだローにとんと額を押された。

「落ち着け」
「えー……」
「えーじゃねェ。口がふやける」
「今のはあんたからしてきたのに」
「なら終わらせるのもおれだ」

淡々と言って離れていったローに思わず口を尖らせてしまったが、あんまり続けているとまじで歯止めが効かなくなるから多分これが正解だ。

ソファの肘置きに頭を乗せて、向かいのソファに腰掛けて用意していた昼飯に手を付け始めた己のキャプテンを眺める。

「……美味い?」
「あァ。腕をあげたな」
「やった」

ローが手に入れてきた鶏肉を煮込んだシチューは、ハートの海賊団の食堂で出てきたのと同じ味を目指した自信作だった、自分で作ったものがローの胃袋に収まっていく光景には、他では味わえない良さがある。

「今日は西棟辺り調べるっつってたっけ?」
「まァな。いくつか妙な部屋を見かけた……後でお前の意見を聞かせろ」
「ああ、いつでもどーぞ」

ぽつぽつと話を続けていく内、ふとソファの上に物騒な手錠がいくつか置かれてあったのに気がついた。やけにでかいな。
好奇心から手を伸ばして、それに触れた途端頭から床へと雪崩落ちた。間抜けにひっくり返りながら嫌な感覚を思い出す。

「……っか、かいろーせき?」
「ああ悪ィ、置いたのを忘れてた」

特に悪いとも思っていないであろうローの謝罪を受け止めつつ、何の力も入らないまま必死に手錠から手を離す。なんでこんなもんがあるんだよ。と思ったけど、多分これもローの目的達成のための下準備なんだろう。

「……捕まった場合の保険的な?」

海楼石で捕らえられたらおれ達は手も足も出ない。だから別の手錠と入れ替えた。予想通りだったらしく、スプーンを咥えたままローが首肯する。

頭を振ってソファに戻りながら、知らず知らずのうちに背筋が伸びていた。

……着実に、動いてるんだ。何かきっかけがあればすぐにでも行動を起こしたいはずで、この二人きりの部屋とはいつお別れになってもおかしくない。


名残惜しさは勿論あるけど、そんなことよりもローの目的のため、おれはおれの全部を捧げたい。それが一番大事なことだった。

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