目が覚めると、そこは久しぶりのレッドフォース号だった。戻ってきちまった、と絶望する。それだけでも悪夢なのに、更に悪いことに白いふかふかの、お頭のベッドでスッキリと目覚めてしまった。
最悪だ。最悪の目覚めだ。さっきまで死ぬ思いをしていたのに、何をぬくぬくと寝ているんだおれは。もうこの船に戻る資格も無いのに。
声にならない叫び声をあげて起き上がろうとした俺を、何かが阻んだ。
恐る恐る見上げると、いつの間にか枕元に腰掛けたお頭が、右手をおれの顔の隣りについて、おれを囲っていた。
「よお、目が覚めたか」
「……!さ、さめ、覚めた。お頭、退いてくれ。おれァ皆に合わせる顔がない」
「顔ならもう合わせちまったぞ。お前が気絶してる間に、皆に見せびらかして回った」
「へ……」
「この一年、皆お前を心配してた。礼の一言くらいはかけてやれ。……後でな?」
にっと微笑んだお頭が、顔を寄せてきた。垂れた赤い髪の毛先が、おれの頬をさらさらとくすぐった。
薄い唇が目に入って、気絶する瞬間のことをまざまざと思い出す。おれ、お頭ととんでもないことしなかったか?おれの視線が唇に集中していることに気付いたらしいお頭は、いたずらに口を尖らせた。
「思い出しちまったか」
「ばッ!!キッ!……ううっ」
「はは、今日は見たことないお前ばかり見るな。…本当に、押さえ込んでたんだなァ」
寂しそうに呟いたお頭が、どさりとおれの上にかぶさってきた。お頭はいつもシャツの胸元を開けている。厚い胸板の素肌が、生々しくおれの胸と重ね合った。キャパオーバー、キャパオーバー。心臓が白旗をふった。
「…すげェな、心臓」
すぐ真横から、耳に直接お頭の低い声が聞こえてきた。腹まで響くような甘い音に、また醜態をさらしそうだ。恐ろしくて顔を向けられないおれは、ぴしりと硬直して天井を見つめることしか出来ない。
「か、かか勘弁してくれ」
「駄目だ。これは勝手に捕まろうとした罰だ。…このまま話せ。一年間、何してた?」
「そんな酷な」
「良いから話せ」
ふっと耳に息が吹きかけられる。びくんと痙攣したおれを、低い声が笑う。
最悪だ、この人。悪党の成せる所業だ。まさに海賊、まさに四皇。諦めてぎゅっと目をつむったおれは、渋々口を開いた。かなり努力して記憶を思い返す。
「…えーっと…まず、滝行をした。ひと月ほど」
「へェ、効果はあったか」
「山の紅葉が、お頭の赤髪を思い出させた。まるで駄目だった」
「ふ、重症だ」
やけに嬉しそうに言ったお頭が、おれの髪を撫でた。まるで褒めるように。
「カマバッカ王国にも行った。残念ながらおれァ、オカマじゃ無かった」
「はは、お前がオカマでもなんでも、おれは良かったけどな」
「…戦闘狂の集う島で、戦いに明け暮れたりもした。どいつもこいつも弱すぎて話にならなかった」
「お前に勝てる奴なんざ、そう簡単にいるはずない」
「宗教にも入信しかけたけど、一日でやめた。…ああ、あとルフィにも会った」
「…ルフィに?」
「元気にしてたよ。良い仲間もいた」
「へェ…早く会いてェなあ」
しみじみ言うお頭に、おれも目を閉じながらつい微笑んだ。本当にルフィのことを気に入ってるんだな。
指折り航路を振り返って、あと何処行ったかな、と数える。
「ああ。その前に歓楽島に行った」
「……お前が?歓楽島に?」
「…似合わねェだろ。必死だったんだ。何人も女を抱こうとしたけど、全員駄目だった。吐いちまって。初めて女にぶたれたよ。……あと、何回か男に抱かれようともして」
「…待て」
「…?」
顔に影がかかった気配がして、おれは目を開けた。身体を持ち上げたお頭が、酷く真剣な顔をして真上からおれを見下ろしていた。
「…抱かれたのか」
「え?」
「男に抱かれたのか?」
そこ?と思わず目を瞬かせた。女を抱こうともきたのに、おれ。返事を待つお頭に、おれはぶんぶんと首を横に振る。
「だ、抱かれかけたけど、全然駄目だった。全員蹴っ飛ばして出てきた」
「…なんだ、安心した」
本当にほっとしたようなお頭に、おれは首を傾げた。そんなに不安になることか?お頭は再びベッドに頭を戻すと、おれの髪をさらさら弄び始めた。本当に心臓が止まる気がするからやめてほしい。
「しかしお前、男を抱いてみようとは思わなかったのか」
「え?あァ…一回だけ。これが一番駄目だった。なんつーか、その、想像もつかなくて」
「ほお…」
不意に、お頭の声色が変わった。髪から離れた右手がおれの腹に触れ、シャツをまくり腹筋の溝をなぞりはじめた。
「お、おおお頭?」
「…つまり、抱かれる時は、おれで想像しようとしてみた訳だ…失敗したけど。だが自分が抱くとなったら、想像も出来なかった、と」
「……言い方が悪ィ!」
そんなこと、まるでおれがお頭に抱かれたくって、それ以外考えられないみたいじゃ無いか!不潔だ、絶対に違う。何が違うのかはもはや分からないが。
「ち、ちげェぞ、おれァお頭のオンナになりたい訳じゃねェ!」
「わーってるよ。…だがまさか、女にまーーったく靡かなかったお前が、おれに抱かれたいとはなあ……」
「だから、抱かれたいとか言うな!!ちょっ…!!」
「ケイレブ」
肘をついたお頭が、おれの顔に頬を寄せた。髭が触れて少し痛いが、一気に熱くなった顔ではあまり気にならなかった。
ふと、頬に柔らかく口付けられる。叫びそうな口を抑えて、ぎゅっと目を閉じた。あまりに驚いて、心地良くて、ぶわわと毛が逆立つ思いがした。十年以上抱えてきた想いが爆発して、もう死にそうだ。どうしちまったんだお頭は!
「ケイレブ」
もう一度名を呼ばれて、恐る恐る目を開く。赤髪がはらはらとおれの顔に落ちた。
すぐ上にあったお頭の目は、悪党然としていたずらに輝いている。
「至上の宝を手に入れた気分だ……おれの剣であり、最高の弟子だったお前の、心までおれのもんなんて」
「……出会った時から、ずっとだよ」
「はは…たまんねェな。一度手に入れたもんは、悪ィが二度と放せねェ。ケイレブ、もう逃がしてやれねェぞ」
「…こんなおれで良いのなら…死んでも、お頭の傍を離れないぞ」
「はは、上等上等」
ほがらかに笑ったお頭が、がばっと抱きついてくる。胸いっぱいに広がる大好きなお頭の香りに、枯れたと思った涙がまた滲んだ。
もう、何が起こっているのか、よく飲み込めない。この人は、おれなんかの考えが及ぶ人間では無かった。分かっていたはずなのに。
ありがとう、と呟いて、おれもその広い背中に腕を回しかえした。お頭。こんな重苦しい想いを、包み込んでくれたお頭。
「う、うう……お頭ァ、好きだ…」
「まーた泣いてやがら、ははは」
笑うお頭の、身体がおれの上で揺れた。それが心地よくて、おれも思わず笑ってしまった。
FIN.