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「…ケイレブ、この一年赤髪と連絡は?」
「うっ、うっ……とっでねェ。待つのがイヤだったんだ…」
「赤髪は、お前のビブルカードを持っているか」
「…おれァ、カードを作ってない」
「……じゃあ、お前新聞は読んでいたか」
「読んでねェ…お頭の名前見るのも辛ぐて…」

センゴクとガープが顔を合わせてため息をつくのが、ぼやけた視界の先に見えた。

「…お前がここにいるのを見て、もしやと思ったが……」
「原因はお前じゃな、ケイレブ」
「……?」

呆れた顔の二人に首を傾げたその時、ニューマリンフォードの正面から、薄らとどよめきが聞こえてきた。海兵たちが方々で緊迫した様子で叫び出す。次いで、けたたましい警報が建物中に鳴り始めた。

「…?なんだ…?海賊でも来たか」
「海賊はお前じゃろ。…良いか、この一年間お前が赤髪と別行動をしているという情報は入っていなかった」
「ん……あァ、見つかんねぇようにしてたから…」
「はあ…余計なことしよって。…つまり、お前が何処にいるのか、外部には全く漏れていなかったということだ。つまり、お前の仲間にも」
「…ヘェ…まあ、隠密行動は得意だからな…」
「それで、だ」

響き渡る警報を無視して、センゴクが指でとんと机を叩いた。

「これが、お前にとって運が良いのか悪いのか分からん……今日、この島に映像電伝虫が来ていてな。なんのことは無い、よくあることだ。武勲をたてた海兵へのインタビューを丁度中継で流していた」
「…………」

なんとなく、センゴクの言う先が分かってきた。じわ、と冷や汗が浮かぶ。さっきまでとは違う涙が、目じりから頬を伝った。

「お前がここに降り立った瞬間から、映像電伝虫はお前を写し始めた。そのままこの海中に生放送だ。流石にこの部屋までは映しておらんが、本部に入るとこまではバッチリだろう。まァ、四皇の幹部が単身海軍本部に乗り込んできたんだ。格好の的だわな」
「いやー、どっかの島でサカズキも怒りくるっとるだろうな」

舐めた真似してくれよって…!と元帥のモノマネを披露するガープを、センゴクが膝を叩いて笑った。こっちはそれどころではない。
おれはよろめきながら勢いよく立ち上がった。ガン、と音を立てて机にぶつけた膝が痛い。

「だ…駄目だ」
「おーい、逃げるなよ。なっちまったものは仕方ない。男なら正面から当たってみろ」
「ぶわっはっは!あやつはここの所、すこぶる機嫌が悪かった。サカズキが留守にしてて良かったわい。大喧嘩が始まるとこだ」
「む…無理だッ!心の準備が…!」

まさか、まさか。ウィーンウィーンと鳴り響く警報が、おれの気を更に焦らせた。つんのめりながら窓際へ走り向かう。すると、どうしようもなく見覚えのある船が沖にとまっているのが見えて、ひゅっと息が詰まる。
まだ、何も解決していないのに。まだ、あんたの船に戻る資格が無いのに。



「い、嫌だ……ッ!会いたくない!!!」
「ほォ…誰に会いたくないって?」


障子を開け放ち、柵に足をかけて飛び降りようとした瞬間だった。ガン、と勢いよく扉を蹴破る音がけたたましく響く。肌を突きさすような緊張感が部屋の空気を切り裂いて、おれは恐る恐る後ろを振り返った。

「…っお、お頭……」
「久しぶりだな…ケイレブ」

見たことが無いほど冷たく、静かな、それでいて怒気で目をぎらぎらと煌めかせたお頭が、入り口に一人仁王立ちしていた。
漏れでる覇気におれはあっという間に腰を抜かして、床に座り込んでしまった。…ああ、畜生。どこまでも情けねェ、おれって奴は。

「おいおい、私の部屋を壊すのはやめてくれよ」
「赤髪…こんな状況じゃなきゃ、ルフィについての責任を追求するところじゃぞ」
「悪いなァ、お二人さん。少し邪魔をする」

お頭が部屋を横切って、ゆっくりとおれに近付く。赤い髪も、怒りで燃えているように見えた。黒いコートがはためくのが、やけにスローモーションで目に映る。

おれは柵に限界まで背中を押しつけて、手汗で滑りながら尚も後ずさりをしようとした。だって、恐ろしすぎる。怖い。…なのに、格好良すぎる。結局いつまでもお頭が好きだ。大好きだ。
カツンと靴音を鳴らし、おれの脚を跨いで立ち止まったお頭を、呆然と見上げる。一年ぶりだ。一年ぶりのお頭だ。ああ、なんて格好良いんだろう。どんなに怒っていてもこの世の何よりも美しくて精悍で、もうたまらない。
血液が沸騰して、心臓が激務を始める。遠のきかけた意識が、勢いよく顔を掠めた脚に呼び戻された。ちりちりと痛む頬が、これは夢じゃないとおれに釘を刺す。
お頭は、片足をおれの横の柵について、酷く冷ややかな目で見下ろしてきた。

「……電伝虫は通じねェ。足取りも全く分からねェ。なーんの音沙汰も無く、一年だ」
「っ…お頭」
「それでも、お前を信じて待っていた。……それが、何だ。やっと姿を見せたと思ったら、檻の中へ入りたいだァ…?」

ぎり、と唇を噛み締めたお頭が、眉を寄せた。お頭が足をついた柵が、ミシリと音をたてる。

「船を降りてまで成し得たかった旅の果てが、牢屋の中にあるのか。…おれは、迷うお前の居場所も作ってやれねェ、そんな頭に見えるか……!」
「ち…違うッ!!おれだ、おれが駄目なんだ!…ああ、やめてくれ、お頭。あんたはずっと最高の頭だ!全部、最初っから、おれだけが間違ってるんだ…!」

苦しそうなお頭に、おれは頭をかきむしった。自分の船長に、なんてことを言わせているんだ。自分が情けなくなって、また涙が溢れ出た。
ぽろり、ぽろりと零れる涙に、お頭が目を見開く。戸惑ったような顔をしたお頭と、暫く声も出さずに見つめあった。やがて、震える右腕が顔に伸ばされて、骨ばった固い指がおれの涙を拭った。

「…お前の泣き顔、初めて見たな。…そこまで追い詰められてんのに、おれにはお前を救えないのか…?そんな泣きっ面で、海軍にまで頼るなんざ…ッ!」
「違う…違うんだ…」

いつの間にか、センゴクもガープも居なくなっていた。眼下に広がっていた喧騒も無くなっている。人払いをしてくれたらしい。
海軍にここまでさせて、本当に、海賊の矜恃も何もあったもんじゃない。おれは、とことん落ちてしまった。

おれはよろよろと腕をあげた。顔の横に伸びたお頭の足を震える両手で抱いて、七分丈から伸びるその素肌に頬を擦り寄せた。掴まれたお頭の素足が、ぴくりと動く。
こんなにも、醜態を晒してしまった。男が覚悟を決めて船を降りたのに、本懐を遂げられなかった。いくら懐の広いお頭だって、いい加減愛想尽きただろう。もうどっちみち、船には戻れない。

「…なんの真似だ、ケイレブ」
「……きだ、お頭…」
「え…?」

お頭が、上半身を屈ませておれの方へ顔を近づけた。涙で濡れた目でお頭を見上げ、おれはわなわなと震える口を開いた。

「好きだ…ッ!う、お頭……すまねェ。17の時、拾ってもらってから…ずっとあんたが好きだった…!」

おれは手を伸ばして、目の前を揺れる赤髪を指でかき分けた。お頭の頬に手を添える。もう一生、触れられないかもしれない。

「隠してきた、ずっと…一生隠して、死んでいこうと思ってた……!だが、ぅ、これから先の時代は、そんな中途半端な奴から死んでいく。…っおれァ、あんたに迷惑かけて死ぬくらいなら、この気持ちをぶっ潰そうと思って船を降りた…!……でも、駄目だったよ…おれには、あんたしかいない。あんたしか、好きになれないっ…!」

おれはお頭の顔に添えていた手をだらりと離した。そして、立てた膝に乗せられていたお頭の右腕をとって、その剣“グリフォン”の柄へと導いた。

「インペルダウンが駄目なら、お頭の、この剣で殺してくれ……ッ!もうおれァ、落ちちまった。自分の船長に懸想して、勝手に船降りて…!もう耐えられねェ…頼むお頭、殺してくれ…!!」

「……あァ、お望み通り殺してやる」

しかしお頭は、剣を握ってはくれなかった。
柄から手を離し、おれの後頭部を鷲掴むと、ガンッと思いきり骨が軋むほどの頭突きをかましてきた。額が焼けるような悲鳴をあげる。

「っ……!!!い゛ってェ……ッ!!!」

目の前がチカチカして、お頭の顔も見えない。額を抑えて悶えていると、掴まれたままだった後頭部が勢いよく上に引っ張られた。されるがままになっていると、頬を、何か濡れたものが滑る感覚がした。

「……ッ!?」
「…しょっぺェな」

赤い舌を覗かせたお頭が、冷たい目でおれを見下ろしている。てらてらと光る舌に目が釘付けになって、おれは比喩ではなく、本当に心臓の動きすぎで死ぬと思った。

「はは…ケイレブ。お前、不能じゃなかったのか」

ふとももの付け根をいたずらに靴先が掠めて、脚がびくっと痙攣した。ひえ、と喉から悲鳴が漏れる。だめだ、薄く微笑むお頭の、色気に殺される。死ぬ覚悟を決めた男がこの調子なんて、最悪だ。救いようがない、本当に生き地獄だ。

「…しかし、いつも綺麗に澄ましてて、敵を斬る時は一陣の風みてェな、頼れるお前が……」

お頭が、おれの頬に手を添える。無骨な指が、濡れる睫毛を撫でた。

「こんな泣いて、欲情して、とち狂ってこんなとこまで来て………挙句、おれを好きか。……あァ、すげェ良いな」

ぎらりと、お頭の瞳が煌めいた。いつも豪快に笑う口が、にやりと悪どく弧を描いている。
…海賊だ。新世界を統べる四皇にまで登りつめた、おっかない海賊の目だ。
とんでもない上等の酒を前にした時より、ずっと恐ろしい顔をしている。おれはお頭の手に縋り付きながら、「ふええ」とあまりにも情けない声をあげた。誰か助けてくれ、の意だ。
しかしお頭は、おれの頬に添えた手に力をいれて、更に顔を近づけてきた。


「…ケイレブ。おれへの想いを隠し続けてきたお前も、消そうと躍起になってたお前も、今ここで死んでもらう。……おれァ結婚はできねェ。お前の恋人にもなれねェ。おれもお前も海賊だからだ。…だが、愛も恋も欲望も、全部まとめて受け止めてやる。おれがおれで、お前がお前だからだ。…安心しろ、おれは気に入らないことはしない。受け止めたいから、受け止めるだけだ」
「おか、お頭…?」

目を白黒させるおれに、またお頭の端正な顔が近付く。もう、鼻先が触れ合いそうだ。
ふと、お頭が眉を下げて、切なそうな表情を浮かべた。

「……だからもう、傍を離れるな。…ちょっとばかし、死にそうだった」
「え………?」

もしかして不機嫌の理由って、とようやく思い至った時にはもう、おれの唇は柔らかい何かで塞がれていた。

目の前には三本の傷と、伏せられた睫毛、鮮やかな赤い髪。有り得ないほどの距離に、お頭の顔があって。通った鼻筋がおれの鼻に触れていて。

角度を変えてもう一度唇を濡らされる。ああなんだ、こりゃあお頭の唇だ。と思った瞬間に、鼻血がたらりと垂れて、おれの意識は無くなった。



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