信仰宣言
 スエナガ神父が神父になろうと思ったのは神の声が聞こえたからではない。むしろ神の声が聞こえなかったからだし、これからも聞こえなくてかまわないと思ったからだ。思うに、神の存在を信じているか否かはとりわけ重要な問題ではない。なぜなら、神を信じていることと神の存在を信じていることは必ずしもイコールではないから。むしろ、神の存在を信じているかのように振る舞うことこそがひとりひとりに実行可能な現代の信仰ではないのか。時代は流動している。教会は神の花嫁でありつつすべての人の子に開かれていなくてはならない。21世紀に生きる我々は、アダムとイブの子孫というよりは科学の子だ。生まれた時から科学の子である我々の信仰とは、つまりはそういうことだ。
 だからその、そういうことなので、きっと誰も口にしないだけでそういうことなので、口にしないとは言ってもタブーというわけではなく当然のことだからあえて口にしないのであって、だからつまりその、みんな結構そんなかんじなのだからそう肩肘張って力んでカッカするこたあない。というようなことを口にしてなあなあで済ませるのはどうか、と、スエナガ神父は自身に提案し、そして却下した。話をそういう展開に持っていくには目の前の相手はあまりに危険すぎる(つまり、爆発する可能性がある)気がしたし、なんならもうすでに一度爆発したあとだったからだ。
「ううっ、ひっ、ぐすぐす」
 爆心地に舞う粉塵のような啜り泣きが、ちょうど顔の高さにある小さな格子窓に張られた目隠しさえすり抜けてふわふわ漂ってくる。さながら粉塵のごとくはたき落としたくなるのをスエナガ神父はぐっとこらえた。かわりにカソックの詰襟のホックをひとつ外す。なんだか首のあたりがやけにまだるっこしく怠い気がしたし、気がするだけなのもわかっていた。あくまで座りすぎて四角くなり始めた尻の置き場所を直すだけなのだ、という体を装って小さく伸びをしてみたら、狭すぎる告解室の壁に頭をぶつけて間の抜けた音が響く。それでもう何もかも嫌になった。
「ううぅぅぅ先生がいじめる、先生がいじめるぅうう」
 何もかも嫌になったつもりでいたのだがさらに底があるようだ、とスエナガ神父は他人事気味に驚いた。そうして客観的になることで平静を保とうという魂胆だった。しかしうまくいかなかった。スエナガ神父はとうとう深いため息をついた。首にあたりのまだるっこしさは40日目のハトのごとく軽やかに飛び立ち、ぎちぎち音を立て始めていた座りっぱなしの体は嘘のように楽になり、そして格子窓の向こうの泣き声は哀れっぽさとこれ見よがしさを増した。スエナガ神父は再びどんよりと胃が重くなるのを押し退けて、聖書をおくためだけのごく小さな備え付けテーブル(というより、でっぱり)に身を乗り出して肘をつく。ぼんっ、とまた古ぼけた木造建築特有の間抜けな音が響く。うんざりしていた。本当にうんざりだった。この告解が始まって何十分経ったかしれない。それでも受けてる側はまだいいかもしれないが、授ける側のこちらはその前に十数人ぶんの告解をこなしているのだ。主に尻がもう限界だった。
「先生がいじめるぅ、ふうう、ぐすぐす」
「先生が、いつ、君を、い・じ・め・ま・し・た・か?」
「いつもです、たとえば今です、先生は今面倒くさいと思ってるでしょ、俺は真剣なのに」
 多くの図星を突かれた人間と同じように、スエナガ神父は3センチ身を引き、何かもっともとらしいことを言おうとして特に何も思いつかず、さらに10センチ身を引いて同じことを繰り返し、結局息だけを吐きだして完全に椅子へ身を沈めた。沈めると言ってもそれは備え付けの簡素な椅子(というより、台)だったので、先ほど頭を打ち付けた壁に背中を持たせかける形になった。かび臭い匂いがする。プライバシーというものが人々の良心のみによって守られていた時代、つまりこの教会および告解室が建てられた時代のことだが、部屋をできるだけ暗く、できるだけ小さく、できるだけ窓とか出入り口だとかいう概念を排除することによってなんとかその効果を水増ししようとしたらしい。それでこういった陰気で、大人がなんとか体を折り畳んで座れるくらいの狭苦しさで、通気性もなにもなくかび臭さを充満させた部屋ができあがる。埃とかカビとか絶対体に悪いよな、俺の肺に何かあったら労災は降りるんだろうな、と愛煙家のスエナガ神父は思った。そしてひらめく。図星への答えを。別に面倒くさくて仕方がないからため息を吐いたわけではなく、陰気で狭苦しくかび臭くて啜り泣きのBGM付きというこの部屋の雰囲気に耐え兼ねて吐いたのだ、と言い訳しようかと思ったが、実際本当に腹に据えかねているのは最後のヤツなのでやめにした。やめにして、最早自分たちが無視しまくっている告解というものの大前提に立ち返って蒸し返してみる。
「尋、先生じゃないでしょ。これはゆるしの秘跡なんだから。神様に話してると思って話しなさい」
「先生だって俺の名前呼んでるじゃないですか」
「天にまします我らの父がぁ。尋の名前を知らないとでも?こんなに一生懸命毎日お勉強に・お祈りに・頑張っている尋を気にかけていないとでも?」
「神様はそんなこと言わない…神様はそんな先生みたいな声じゃない…っ」
「あっそ、じゃ、もう先生でいいけどね」
 あっぶねーなコイツ。再び震え始めた声の真に迫った様子にスエナガ神父は頬を引き攣らせる。冒頭の詭弁のほうを蒸し返すなら、間仕切りの向こう側に同じように体を折り曲げて入っているであろう少年は、神を信じることと神の存在を信じることがイコール以外にありえない、紛れもないアダムとイブの子孫なのだろう。
 格子窓の向こうで怒れるアダムとイブの子孫は一里塚尋(いちりづか じん)という少年である。スエナガ神父を先生先生と呼ぶ彼は、小神学校の生徒である。スエナガ神父がその勤勉ぶりを讃えられ、去年から小神学校の寮監を押し付けられているのは周知の事実だが、小神学校の生徒たちが週に一回という恐るべきハイペースで義務付けられているゆるしの秘跡・いわゆる告解まで押し付けられていることを知っている者は少ないのではないだろうか。ゆるしの秘跡・告解とは、プライバシーを(できるだけ)保護した小部屋で個人的にやっちまったなあという秘密を吐露し、ゆるしの恵みを請う。反対側の小部屋にはその教会の司祭が入っていて、聞いた秘密にはもちろん厳重な守秘義務が課せられる。つまり、告解を受ける教会を選んだ時点で誰から秘跡を賜ることになるのか目星がついてしまうし(町の教会にそう何人も司祭はいない)、それ以前に双方声は生の肉声が筒抜けなのだ。そういったこの秘跡の性質を考えると、小神学生の告解を文字通り寝食まで共にするその寮監に任せようなんて考えたのはいったいどこの頭の中ハッピーセットなんだ?という感想が出て来て然りだが、そんなことはスエナガ神父がいちばん痛烈に切実に思っている。13歳から18歳までの少年たちという、この世の荒ぶる思春期の化身、この世の怒れる反抗期の権化、この世でいちばんバカな生き物の集団を押し付けられてそれだけでぴきぴききているのに、そのうえ告解まで。ゾッ。波風立てないことだけを叙階を経た身のポリシーとしているさしものスエナガ神父も波風立てかけたが、前任の老神父がついにホスピス入りしてしまって〜などという事情を聴かされてなお地団太を踏めるほど傍若無人にはなれなかったし、なったとしていい歳こいてなにやってるんだろうと自分がむなしくなるのは目に見えていた。
 そこで打開策として、スエナガ神父は告解の時間を生徒相談室の時間と考えることにした。司祭権限である。この教会で唯一の司祭なのだ、こんくらいしても許されるくらいエライはずのである!というのはもちろん嘘で、考えてもみてほしい。週一なんて少年漫画もかくやというペースで秘密・罪の吐露を迫られれば、10代の特に創造性もない少年などすぐにネタ切れになってしまう。まして壁の向こうに入っているのはスエナガ神父。気さくで気楽で典型的な「町の神父さま」として礼拝に訪れるジジババどもに人気だが、つまりそういうフランクな人間性だし、生徒たちにとっては顔見知りどころか彼がゆでたまごの殻を剥くのがド下手くそで毎朝一人だけやけに小さい卵を食べていることや、今朝は掃除中にカーリングを始めて生徒たちと一緒になってシスターに怒られていたのも知っている仲なのだ。そんな仲で真面目くさって告解を受けるのは10代の少年たちには難しい。スエナガ神父はあえてそこを手助けしなかった。具体的に言うと、告解室の向こう側に居るのは仕事モードのスエナガ神父様ではなくいつも通りの「先生」なのだと露骨にアピールし続けた。告解は生徒相談室と化し、スエナガ神父の心はずいぶん楽になった。その若さで生涯を教会へ捧げよう(というつもりでいる)というお利口さんなガキどもの微笑ましい悩み・雑談ーーサッカー部に入ってモテたいとか(わかる)、朝のお祈りがしんどくて嫌だとか(めっちゃわかる)、中学校で同じクラスの誰それちゃんが構ってきて鬱陶しくて仕方ないとか(ほおーん??)そういうのをタラタラ聞いておけばなんの問題もなくなったのだ、コイツ以外は。
「先生がそうやっていじめるので、最近はもうこの部屋に入った瞬間から涙が止まらんです。これって情緒不安定だと思いませんか?可哀想だと思いませんか?誰のせいです?」
「君の思想についてのあれこれのことを言っているのならねぇ、先生は別に否定しようと言うんじゃないのですよ」
 情緒不安定は年齢と生まれ持った精神性のせいではないだろうかとは思ったが、聡明なるスエナガ神父は黙っていた。目の前の壁の向こうからは未だ嗚咽と震えた息遣いが聞こえる。確かに哀れっぽいが「ぐすぐす」というのはちょっとやり過ぎだし、それが自分のせいだと断固言い張られたら主よ!聞いてます!?とチンコロこきたい気持ちにもなる。
 君の思想。スエナガ神父は静かに手を伸ばし、決して音を立てないように告解室を間仕切る壁を撫でた。恐らくその向こうでは一里塚尋がその少年らしいなよっとした身体をなよなよっと崩折れさせていて、それだから震える息遣いが思いの外下の方から聞こえるのだ、と目星をつけて。一里塚尋のその思想を初めに聞いたのも、この仄暗い告解室の中でのことだった。思想というほど大層なものではない、それは単なる願いーーきっと彼にとってはほんのささやかなつもりの、であったが、それ故に恐ろしいほど大それている。彼がただの少年であれはなんの問題もない。しかし彼が神父を志す以上、彼のその「神父になりたい理由」は既に神父であるスエナガ神父にとって許していいものではなかった。看過できるものではなかった。いくら二人の信じる神が苛烈な旧約聖書時代を生き抜いて、裁きの神から許しの神に変貌を遂げたとは言っても。
『俺は見つけて欲しいだけです。神様に見つけて欲しいのです。俺だけを見つけて欲しいのです。神様に見つけてもらいに行くために、目印になるように、そのためだけに神父になりたいのです、なります』
 ああ神よ!と呟く日がまさか自分に来ようとは。この少年に出会うまでスエナガ神父は思いもしなかった。早い話が神のお気に入りになるべく神父を志すという私欲にまみれた願いである。
『我々は自己実現のためでなく信仰と奉仕のために生きることが義務付けられている。自己実現ってなんだかわかるよね?こうなりたい、こうしてほしい、こうされたい…そういうのは全て我々が生涯をかけて捨てなくてはならない『欲』だ。人間は…特に今みたいに贅沢な時代の人間は自己実現をするために生まれてくるものだけど、我々はあえてそれを捨てて奉仕に生きなくてはならない。他人のために生きなくてはならない。自分のために生きてはならない。それが大前提だ。君のその志望理由を否定はしない。けれど、少なくとも口に出すべきものじゃないし、その願いを抱えたまま神父になっても君は苦しむことになる。これは忠告だ。いじめてるんじゃない。わかるね。君は生涯をかけて苦しむことになる。きっとね』
 我ながら正論しか言っていないし、その場で言うべきおおよそベターな切り返しだったとスエナガ神父は今でもそのときの自分を褒めてあげたい。先生らしいし、神父らしいし、何より優しい。これが自分以外の神父やシスターにでも聞かれていたら、結構大ごとになっていたはずだーーそんなことになったら面倒だという思いは勿論大いにあったが、それよりも一里塚尋がここで信仰の道に蹴躓き挫けてしまうのはあまりに勿体ないとスエナガ神父は考えた。なにしろ、小神学校の生徒としては非常に優秀だし(そういう志があるなら当然かもしれないが)、13歳から5年、あとたった1年で小神学校を卒業できるというところまで挫けずにいられる(そういう略当然かも略)少年は昨今では本当に少ない。それで諭した。その結果がこの有様。一里塚尋は日を追うごとに頑なになり、告解(つまりスエナガ神父と二人きりになれるとき)のたびにまるで前口上のように自身の野望を言い立てるようになった。彼くらいの年頃の少年にとって、自身の主張をやんわりとでも否定されるのは耐え難いことだったのかもしれない。今日も今日とてすでに一度爆発したあとだ。このように狭く暗く陰気なシチュエーションで爆発物を扱わなくてはならないのは本当に神経が磨り減る。それでうんざりしていた。この少年は、こうして言い募ることでいつの日か、スエナガ神父がどのような反応をしてくれることを望んでいるのだろう。見当もつかない。
「先生は」
 ふいに呼びかけられてスエナガ神父は意識を引き戻した。膝の上に置いていた聖書がずり落ちかけている。引き戻しているうちに、返事を待たずに言葉が継がれた。
「先生はどうして神父になろうと思ったんですか」
 そうきたか、とスエナガ神父はにやにやしかけたが、ふと慎重になる。声は正しく格子窓の高さから聞こえた。今の今まですすり泣いていたにしては、それはいやにはっきりしすぎているような声だった。思えば、少年のほうからスエナガ神父の個人的なあれこれについて問いかけてくるのはこれが初めてである。告解が本来どういったものであるかを振り返ればそれは至極当然なのだが。
「…信仰と奉仕のためです」
「先生、嘘をつかないで」
「嘘など」
 否定する声が笑い気味になったのは何もあしらうためではなく、確かに嘘としか聞こえないなとスエナガ神父自身が思い知ったからだ。しかし本当に嘘ではなかった。スエナガ神父は神父様であるので、嘘はつかないのだ。
 しかしどうにか信じられるように色をつけてやるべきだ。こうして他人が神父になる理由に興味を示し始めたのは、彼にとって良い傾向であるはずだ。ここであしらわれたと思わせてしまえばまた爆発、もとい後戻りしてしまう。町の神父なんて、苦しみながらやる職業ではないと考えるスエナガ神父は、狭苦しい空間でなんとか足を組み替えながら口を開いた。
「先生の心臓があまり良くないのは知っているね、これは小さな頃からなんだけど」
 区切って耳を澄ます。何も聞こえない。震える息遣いも。
「小さな頃はその心臓のせいで怖い思いをたくさんしたよ。幽霊や怪獣なんかを怖がる類のそれじゃない、先生は今も昔も地獄を信じているからね。でも、そんなことが続くと、朝目覚めるのに嫌気がさしてくるのさ。地獄を恐れているのに、生きていく勇気も萎えてくる。まあそんなときに生きていく勇気をくれたのがこの教会に昔いた神父様だったってだけの話です」
「生きていく勇気って?」
「さあね。それは先生のとっておきだから、秘密です」
 今度はさすがに嘘だとは言われなかった。スエナガ神父の心臓がやや悪くペースメーカーのお世話になっていることは周知の事実であるから、疑うまでもない。スエナガ神父は聖書を手繰り寄せ、耳を澄ませた。間仕切りの向こうは自然な沈黙を保っている。そしてその沈黙はやや不躾に破られた。
「でも、先生は煙草を吸いますよね。このあいだ見ました」
「どきっ」
「どきっって!やっぱりいけないことだって自覚があるんですね!煙草って心臓に悪いですよね?せっかく生きていく勇気をもらったのに、無碍にするような行為じゃないですか?それに煙草って嗜好品ですよね?清貧は?清貧の誓願的にそれって問題ないんですか?ねえ先生!」
「おわり」
「へ?おわ、なに?」
「今日の告解おーわり。ご苦労さん!」
「はー!?あっ待って待ってあー本当に出てる!」
 言うが早いがスエナガ神父は告解室を出た。最初からこうすればよかったかとも思ったが、いやさすがにそれは神父としても先生としてもなあと思い直す。追って一里塚尋も告解室を出てくる。少年特有のひょろりとした体つきをしていて、今は精一杯怒った顔をしている。スエナガ神父は、その怒った顔が何か言う前に頬を鷲掴みにして阻止した。
「告解室の中で話したことは、守らなければならない秘密です、いいね」
「…はい」
 素直だ。それが本来のこの秘跡のルールであるから、神のお気に入りとなるべく邁進中の少年としては従わざるを得ないのだ。
「先に寮に帰りなさい。ずいぶん遅くなっちゃったからね」
「先生は」
「煙草を吸ってくるのだ」
 少年の頬を離し、スエナガ神父は踵を返した。背後で「むかつくー」と小さな声が聞こえる。おやおやそんなこと言っていいのだろうか、神に嫌われるぞ。
 スエナガ神父の言う通り、もう夕暮れ時は過ぎ去って暮れなずんだ聖堂内は告解室に負けず劣らずほの暗かった。ステンドグラスに濾されて入ってくる光だけが、スエナガ神父の足元を照らしている。教会の裏へ連なる扉から外へ出た。そこは砂利の敷き詰められた殺風景な広場で、ミサのある日には礼拝に訪れる人々のための駐車場となるが今は一台の車も停まっていない。
 ふと、一匹の犬がその広場を歩きすぎて行った。一目見て野良犬とわかる薄汚れた犬で、最近教会の敷地内をよくうろついている。棲みついているのだ。スエナガ神父は犬猫の類などそれこそイヌかネコかくらいしかわからないから、結構大きな犬というほかは犬種もなにもわからない。
 ボロ雑巾みたいだ。
「保健所とか電話したほうがいいのかな…」
 暗い目でひとりごちて、スエナガ神父は煙草に火をつけた。
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