いずれ来る惨たらしい結末のための希望あふれるプロローグ
 今日も今日とて晴れている。この国はだいたい晴れているし、乾燥した風がバカみたいに吹いている。このバカみたいな風に無性にイライラすることはあるけど、まあそこを差し引けば過ごしやすい気候ってことでいいんじゃないかなと思う。朝は気持ちよく目覚めるし。夢も見ないほど。

「タクシー呼んで、アンタを乗っけるのは運転手に手伝わせて、“病院に行ったほうがいい”とか“警察を呼ぼう”とか余計なことを言ったらお前を撃ち殺して俺が運転するって言ったらあの中華飯店まで連れてってくれた。お金はアンタの財布から払ったし」

 俺は背面ヤマアラシになってぶっ倒れた後の顛末を聞いてみたらこう。しっかりしすぎていて涙が出てくる。お前の脚の長さじゃ絶対アクセルに足届かねえよとは思ったけど。

「撃ち殺すって本気じゃないよ?たぶん、向こうだって本気じゃないってわかってたよ?でもそのくらい本気なんだって熱意がちゃんと伝わったんだと思うよ、あ、本気っていうのはさっき言った本気とは違う意味で、」
「わかった。もうわかったわかった。ウン」

 午前中の早くも遅くもない時間、多くも疎らでもない人混みの中を連れ立って歩く。今日はちょっとした用事があるからだ。

「いいか?なるだけ素直なガキっぽく振る舞うんだ。パードレはガキが好きだから」
「え?ガキが好きって…キモくない?怖いんだけど」

 中に来たアメコミヒーローのTシャツが最もカッコいいさりげなさでのぞくよう、上着のジッパーの開き具合をいちいち気にしながら歩いていたネロは、本当に凄まじい顔をした。俺は思わず立ち止まり、言い聞かせる。

「ふざけんなバカそういう意味じゃない。そういう、意味じゃないから」

 なんてこと想像させんだ。いやでもあれだけ選り取り見取りに女を侍らせてたらたまにはアブノーマルにイきたいなってこともさもありなん…?とか余計なことを考えてしまったことが頭の片隅に残っていつの日か口を滑らせてしまったらどうしてくれんだ。言いたいもん既に。絶対言っちゃダメだけど。言いてえ。言い出した当の本人は既にジッパーにかかりきりになっていて、フラフラのろのろすれ違う通行人にぶつかりそうになりながら上げたり下ろしたりしている。そうそうそんな感じがいじらしくてアホっぽくて刺さるんじゃないの。これも言ったらダメか。

「ガキに優しいギャングなんているんだ」
「俺とかね」
「オエーー!!」
「はいはい着いたぞ」

 中華飯店はまだ開店前だった。営業中の昼時はさすがに混むから食う気もないのに居座るのもしのびないし。引き戸を引くとまず壊れっぱなしの前衛的テレビ、そしていつものポジションで新聞を読みしゃぶっているじいさんが目に入って、いや開店準備とかないの?と至極真っ当な感想を抱いた。

「お。給湯器直しに来たか」
「またそれ。もう業者に頼めって。ちゃんと“直す”プロに」
「こんにちはー」

 わざわざ“直す”にアクセントを置いたのは、まだ開店前にも関わらずカウンターに座っている人物を意識してのことだ。ネロがどことなくブった感じの間延びした挨拶をしたのも同じ理由からだろう。

「“こんにちは”」

 椅子ごと振り返ったパードレは俺には目もくれず、一字一句いやにハッキリと返した。ネロをがっちり視線で捉えた上で。あ・機嫌悪いな、と俺は察した。察したところでパードレの機嫌なんか俺にはどうにもならんし。こんな朝早く(でもないが、パードレは基本的に夜行性なので)呼び出した俺のせいで機嫌悪い可能性が十中八九だが、もう起こってしまったことはどうにもならんし。隣(というか隣の下のほう)でネロがかすかに緊張するのも察した。しかし察したところでどうなるもんでもないし。

「じゃ、ネロ、どーぞ」

 でもないので、俺はスッとネロを差し出した。決して生贄とかではなく。俺にだけ見える絶妙な角度で再び凄まじい顔をしてみせたネロは、けれどきちんとパードレのほうへ進み出た。えらい。

「…こんにちは」

 そして意味もなく挨拶を繰り返す。カウンターに肘をついてふんぞり返っているパードレはニコッと(ニコッ)笑顔を返して無言。ニコッて、ゾッとするわ。ネロは傍目にももじもじうぞうぞし、手で上着のジッパーをこねくり回し、なかなか本題を話し出そうとしないばかりかこのままではみたび「こんにちは」などと言い出しかねないように見えた。

「ネロってお前の名前か」
「ウン」

 ウンて。がんばれ。

「いい名前だな。すごくいい名前だ」
「ウン」

 がんばれって。再び狭苦しい店内に静寂が満ち、じいさんが新聞をめくるガサゴソという音しかない。パードレがほんの少し身を乗り出したので、いかにも一晩中結っていたのをただほどいただけ、といった感じのクセが付いた髪がばらりと額に垂れる。

「周りの人間も自分も全員惨たらしい結末を迎えるって感じの名前だ。そうだろ?」

 その瞬間、ネロはくるりと振り返り悪びれもせずこうのたまった。

「ねえ、やっぱヤダ」
「ハア!?なにが?」
「だって俺、この人から盗ったんじゃねえーーもん!銃!あのアバズレから取っただけだし!?それもどっちかっていうと拾っただけだもん!!この人に悪いことしたとか思ってねえから謝んない!」

 そうなのだ。いや今日の本当に本当の本題は別にあるのだけど、なんにせよパードレと話をつけるなら銃の件に関しては謝っといたほうがスムーズに行くかなと思って、形だけでも謝っとこうということで話はまとまったはずなんだけど。ほら、筋ってものがあるから、パードレ古風だし。ネロは今言ったような言い分で散々ゴネたが、それでもしぶしぶ納得してたのに。チクショウ所詮ガキか。

「あのな、ネロ、形だけで良いんだよこういうのは。心の中で舌出してようが形だけ謝っとけばスムーズにいくこと、世の中にはたーくさんあんだよ」
「そういうの誠意がないって言うんだよ」

 コイツ正論しか言わないからやだ。

「うん。誠意はないけど。そういう問題じゃなくて」
「イヤ」
「イヤじゃない。あのな、」

「ダヴィド」

 ふいにパードレの矛先が俺に向いた。それは地獄の底の地鳴りのような低音だったので、さっきまでのはあれでもガキ様向けに取り繕った声音だったのだなと、俺は思い知ったのだった。

「お前のやることは本当に面白いよな」
「褒めてもでません」
「何が?」

 そんなクソほどおもんないって顔で言われても。

「話ってそれだけかぁ?」
「それだけなわけないでしょ、こんな時間にアンタ呼びつけてさあ」
「もういいよ。座れ」

 だからアンタの店じゃねえっつうに。この店でパードレがそういう態度を取るたびにおもしろくないと思うのは、よもや自分の実家でくつろぎ倒している他人を見て感じるソレと同じなんじゃ?と唐突に思い至って、萎えた。謝罪を拒否したくせにネロは驚異の厚かましさと命知らずさでサッとパードレの隣の椅子によじ登る。俺もしぶしぶそのまた隣に座る。

「ネロ。ネロね。ネロって顔じゃねえけどなあ…」

 パードレは疲れているようだった。肘をついたままカウンターの水差しに手を伸ばし、肘をついたままグラスに器用に注ぐ。注がれる水を眺める横顔に濃い疲労の色がある。何して疲れてんだか知れたもんじゃないし知ったこっちゃないけどさ。

「ネロ、銃は返したのか」
「返したよ。だからまだアンタに返ってきてなかったらダヴィドのせいだから」

 息するように俺を売るな。

「そうか。エライなあ素直に言うこと聞くガキはカワイイよなあ。それでネロ、何発使ったんだ?」
「…3?」
「3発!?たったの3発か、よく我慢したなあもっと撃ちたくならなかったか?」

 パードレの物騒な疑問に、ネロは黙って俺を指差した。だから。いやそうだけど。途端にパードレは哄笑と言っていいくらいに笑い出す。

「いやわかる。俺もたまに撃ちたくなるからな、こいつのことは」

 だから。いやそうだけど。映画館での一件を思い出し、さもありなんなので黙っていた。面白くはないが。

「で?ほんとのところ何の用だ」

 幾分機嫌が回復したらしいパードレのほうから水を向けてきたので、この機を逃すまいと俺は食いついた。

「コイツに仕事をやってほしいんだけど」

 いつまでも脚の悪いばあさんのヒモ(ステルス)でいるわけにはいかないとはいえ、それには先立つものがないと仕方ないので。俺が面倒見りゃそれこそ面倒無いけど一応男のプライドみたいなもんあるでしょ、こんなちっちゃくても、と配慮してみたものである。で、パードレと言えば何故かそのへんにちょっとした臨機応変力・なんとかできる力を持ってたりするので。オーナー様だから。
 パードレは顔の半分ほども覆い隠した髪の毛を*きあげもしなかった。ネロはパードレから受け取った水差しで自分のぶんのグラスに注いでいた。ちなみにじいさんは心得たもので、読みしゃぶる新聞の世界から帰ってくる気配もない。

「…身寄りも食い扶持も無くたって、ガキだからってだけで働かなくても食わしてもらえる所はこの国にだって一応あるんだぜ」
「孤児院だろ。ムリだ。2人殺してる」
「バレやしねーよ」
「いーやバレるね。こういうのは絶対にバレる。それにもしかしたら3人かもしんない」
「箔がつくだろ」
「孤児院でンなもん付けてどーすんの」

「ら・あ・め・ん?」

 見ると、ネロは天井付近にベタベタ貼り付けられたメニュー表を見上げていた。飽きたのか。いや、ガキっぽい振る舞いをしろと言っておいたので、ブっているのかもしれない。いやいや、よく見るとグラスについた水滴でカウンターにニコちゃんマークを描いているので、マジで飽きているのかもしれない。ふざけんなお前の話だろうが。

「知ってんだからね俺、アンタ自分の店であのサノバビッチ働かせてんじゃん。洗濯夫みたいなことさせてさ」
「アレはレディたちが勝手にやってんだよ。カワイーカワイーつってな。アイツは女に異様にモテるから。異様に。だから今のうちだな。客でもねえ金もねえ女にモテる男が店に出入りして俺の得になることは一個もない」

 サノバビッチはヤリチン予備軍かよ。それでも今すぐ叩き出さないとこがやっぱりさあ甘くない?子供だからってタカくくってると痛い目見るよね。というようなことを俺が言ってるあいだ、パードレはネロのニコちゃんマークに眉毛を描き足していた。この野郎。
 ヒゲまで描き足したところでパードレは髪を*き上げ、その気もなさそうに口を開いた。

「じゃあネロ、俺の店でリーと一緒に働くかあ?」
「リー?」
「片目が無いガキですごいバカなんだけど。お前と同じかちょっと上くらいかな。お前何歳?」
「12歳」
「チビだなお前」
「そんなことねーしうるせー」

 気にしてたのか。言わなくてよかった。

「いやダメだ。ダメ。そんな店で働くのネロにはまだ早いから」

 そんなことをのたまってみると、殺す勢いで睨まれた。

「まだ早いも何ももう遅えって話だろうが。トチ狂ってんのか聞こえねーのか。それとどの店が“そんな店”だって言ってんだダボが」

 “そんな店”なのは本当じゃん。いやだって、ヤリチン予備軍とそんな店で働いて爛れたらイヤじゃん。別にヤリチンにもそんな店にも偏見はないけど、その二つがスクラム組んでこんなガキにがっぷり四つ組みかかってきたらもうさ、爛れたらイヤじゃん。いろんな意味で。最低?最低じゃないって、ただ才能を無駄にしないで欲しいというか、宝を持ち腐れないで欲しいってだけで。

 そう、あんなものは滅多に授かれるものではない。
 ネロの持論を借りるなら、こんなところまで落ちてきたのだってネロの選択の帳尻合わせだ。
 だったらその帳尻の、そのまた帳尻を合わせていつか返ってくるそのものを待ち受けるのが筋だろう。
 そんなもんは俺だけの話じゃない。
 罪と救いの話で言えば、俺もネロも大差無いのだから。

 パードレはあからさまにため息をつき、面白いクセが付いている後頭部をちょいちょい撫でた。ネロは俺を見ている。灰色の目、まだ太陽の名残をちらつかせる目、信じるなんて甘えに浸らず、狙いをどこにつけようか定めているような目で。

「はあ。じゃあおチビさん。お前は何ができるんだ?」

 パードレの問いに、ネロはくるりと振り返る。金色の髪が無造作に広がって落ちる。秋の庭で木枯らしにさらされているみたいに。夢はもう見ない。夢はもう二度と見ることはない。

「見たい?」

 ネロがニッコリしたのが見なくてもわかった。後ろ手に、ためらいなく伸ばされたその手に、俺は花柄の弓矢ケースを渡した。




〈おわり〉
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