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2006年1月24日 池袋cyber

イザナと喧嘩したのはイザナのライブの前日の事。喧嘩といっても、お互いのメールの文面の解釈違い。言葉足らずなイザナが悪い。
今日出演するライブハウスは、比較的出入り待ちに寛容だ。といっても、推進されてなんておらず自己責任で、天竺ではない対バンのバンドが出待ちでファンの子達と手持ち花火をしてパトカーが来たのを見た事がある。暗黙の了解が多い界隈である。
イザナと天竺のお客さんでしかない私が、個人的に携帯電話でやりとりしてるのも、暗黙の了解の片鱗。たまたま天竺のファンが片手で収まるくらいしか居なかった頃に私がイザナのファンになって、結成したてのファンが欲しい天竺が私を囲み込もうとしたから。その名残で、私は天竺ギャの中で天竺のメンバーと一番距離の近いイザナのファンだと思ってる。友達とか、知り合いとかではない、バンドマンとファンの関係を私は望んでる。
携帯電話がイザナからのメールの受信を知らせた。
件名にREの羅列が並ぶその本文は【なんで居ねーんだよ】ってだけ。
画面の上部に記された時刻は、天竺がライブハウスに入ったような時間。入り待ちのファンの子達の中に私が居ない事、気づいたんだ。
いつもなら入りを待てそうなライブハウスの入りの時間に行けない時は、イザナにメールで一報入れてた。そのメールに返事なんて、私はもらった事なんかないのだけども、イザナはいつも読んでくれていたのかもしれないと思うと頬が緩んじゃう。さっきまではイザナが悪いと腹を立てていたのに、現金な自分に呆れてしまった。でも、イザナにメールは返さない。私、イザナに怒ってるんだもの。
それからまた数時間して、もう天竺のリハ終わったかな。リハーサルの音漏れ聞いてる子達は、今日やる曲わかったんだろうな。なんて、時計とのにらめっこ。
リハーサルは本番とは逆の順番でやる事が多いから、天竺が何番目にリハーサルしてるかみんな必死に聞いてんだろうな。なんて、いつも天竺のライブで会うバンギャのみんなが頭をよぎった。
そんな時にまたイザナからのメールの受信を知らせる着信音。
本文は【煙草切れた。買ってきて】
そんなの、ローディーの鶴蝶くんに買いに行かせればいいのに。かくちゃんならイザナに忠実なんだから、いつも煙草でも水でもすぐ買ってきてくれるじゃん。イザナのオツカイでよくコンビニにパシられている彼をファンならみんな知っている。
そんなイザナからのメールにもスルーしていると、またイザナからのメールが届く。
【まだ来てねーの?】
これは、かくちゃんに煙草買いに行かせるついでに、天竺ギャの集団に私が居るかも確認させてきたな。イザナの言う事ならほんとにどんな雑用でも従っているスタッフを思い浮かべながら、そろそろ出掛ける支度をしようかと思い至った。
支度を進める途中でまた携帯電話にイザナからのメールが届いた。
【シークレットだった。3番目。】
今日のイベントの出演順は、シークレットなのか。天竺は3番目に出演するっていう情報を届けてくれたイザナに、すぐに返信した。
【了解。そろそろ向かう。】
池袋の駅で電車を降りて、線路沿いに歩いてく。会場のオープンの時間が迫って来ていて多くのバンギャが線路沿いの遊歩道に見えた。その中に、知ってる顔を見つけては会釈をしたり、今日の対バン常連組の顔を知ってる子に軽く挨拶を交わしながら進む。その先に天竺常連のいつものみんなを見つけて、そこに混ざった。
入り待ちして、リハを聞いていたであろう子が今日のリハの順番を私に嬉々として伝えてくれた。それから、今日の入りの時のイザナの事とか、鶴蝶がコンビニ出入りしてしてたからきっとイザナのオツカイだとか、イザナに関する諸々を私に報告してくる子がいて、なぜか私に差し入れと言って様々なモノを手渡してくる子がいて。きょうの会場だと最前列入れる人数は何人で、今、私の周りに集まってる天竺の常連の人数をみんなが気にしてる。
私の一言で、今日の天竺のライブの最前列に入る子達のメンツが変わる。それは、まさしくで、ここに居るみんながそれを感じて、今まさにここで行動に移してる。
「今日の出順はシークレットで3番目ね」
イザナがメールしてきた内容を、口にする。このイザナからの情報がもしデマだったら、私の代は今日で終わる事だろう。
イザナのサインが入ったパスで表紙も裏表紙も埋め尽くされたノートを鞄の中から取り出して、横に長く一本の線を引いて、その線の真ん中に×を書いた。センターだ。そしえ線の上に均等になるように、◯を書いてゆく。この◯と×の位置が今日の天竺の最前列。上手の端から順に獅音ちゃんの子が並んで次にムーチョの子、イザナの子、竜ちゃんの子で蘭様の子。それから×のとこはいつもは空欄にするのだけども、今日は一番最後に名前を書いた。その名はもちろん自分では無く、天竺ファン歴が私より長い気心知れたムーチョの子。
私の手元をみんなが覗き込んできて、このノートに注目されているのを感じる。みんながそれぞれ自分の場所を把握できたのを確認して、ノートを鞄にしまった。そろそろ会場はオープンする時間だ。

ハコに入るやいなや、ブラックライトに照らされた空間の後ろの方に置かれたテーブルの方へと×のとこに名前を書かれたムーチョのファン子が私を連行した。
「ナマエ。また、反抗期?」
少し年上の彼女はずずいっと私に詰め寄って尋ねてくる。私を呼び捨てで呼べる、天竺ギャの中でも数少ないバンギャだ。
「なにそれ」
彼女の言葉が気に食わない私は、詰め寄って来た彼女を見下ろして眉間に皺を刻んだ。
「イザナがなんかやらかした?」
「別に」
「そ」
そっけなく言った私に、彼女はそっけなく返す。そして、煙草を取り出し、火をつけた。
「ドセンじゃイザナが邪魔でムーチョ見づらい」
白い煙混じりに言われて、彼女を見る。
「イザナが動いてセンター空いたらムーチョのど前だよ」
私の言葉に、彼女は何も返してくる事はなく煙草のフィルターを唇に挟んだ。

天竺の出順は、イザナの言った通りだった。
ハコの中には居るけれど、最前列に入らない時だってもちろんある。それは今日みたいにイザナに怒ってる日。
そんな時はだいたい7、8列目辺りに居るか、天竺見たさに前に詰めてるみんなの後ろにぽっかりと空きがちな広い空間に居た。
最前列に入らないならどうしてそこに居るのかなんて、決まってる。最前列に拘る私達に向かって、「最前より7、8列目のが見やすくねぇ?」って、イザナが前に言ったから。
結局のとこ、私はイザナの言動全てに左右されるのだ。
ほら、今だって。ステージに登場してきたイザナが、一呼吸置いてから会場を勢い良く煽り出したのに合わせて、両腕と両掌を大きく開いてイザナに向けて開いてる。私はここに居るよって、イザナに大きく咲いている。
照明が光ってっから客席なんかあんまよく見えねーよ。って、イザナは言うけれど、それでも私は見つけて欲しくて、ぐっと掌に力を込めて爪先まで大きく反らした。

天竺の出番が終わると、後ろで見ていた私の元にさっきまで最前列に居たみんなが集まる。
「ほんとイザナって、出て来て目の前にナマエがいないと、とりあえず客煽る事言って咲かせるよね」
ライブ前に私に詰め寄った彼女がそう言って、みんなが各々頷いて見せる。
まぁ、確かにイザナなら私の咲きの両腕の加減で私を認知するなんて簡単だろう。
顔を探すより、咲かせてしまった方が見つけやすいのも理解できる。イザナは、対バンで咲いてる私をサイバーのキャットウォークから見つけられる人間だ。ちょっと不機嫌に嫌味を言われたのも記憶に新しい。
正直なところ、天竺の真ん中で、そういう咲き方してる自信はあるから、私はノーコメントを貫くことにした。
「前見たイザナ様のテンションの下がり方マジ見えるし」
「やっぱりナマエさんが居ないとだめなんですよ」
「ナマエちゃんの事、探してるイザナ様マジ必死だよねー」
「いつものとこにナマエちゃん居ないとイザナ様かなしくなっちゃうから」
口々に思ってもいない事を言葉にして私に向けてくる彼女達は滑稽だ。ステージに出て来たイザナの事なんか、みんなそんなに見てないのは目に見えてる。だってみんな目の前の自分のお目当て見てるんだから。
私のご機嫌取って媚びて、まあ次も最前列に入れて欲しいだけ。私が天竺のファン仕切ってるからそうするだけで、天竺がもし仕切り禁止の場所取り禁止とかって掲げ始めたらみんな掌を返したように私に見向きなんてしなくなるだろう。
今日もイザナがデマではない本当の出順を教えてくれた事に感謝してるのは、このハコの中で誰よりも私だ。

上部だけを取り繕うみんなで連れ立って、ライブハウスの外に出た。
ひんやりとした空気が、頬に刺さる。まだ他のバンドがライブをしておりイベントはまだまだ終わらない。出待ちの時間までもだいぶ時間があく。ご飯でも食べに行こうか。なんて、話してるみんなと歩いてゆく先にあるコンビニの中に、見慣れたコートが見えた。コンビニ寄ってから行く!と、一言残して私は駆け出す。
店内に入って、コートのフードを被ってる後ろ姿に近づいた。そっとその袖をちょこっとだけ摘んで握ると、こちらに向いたのはまだメイクも落としてない天竺のイザナ。
「こんなとこでなにしてんの?かくちゃんは?」
「鶴蝶、機材片付けてっから…煙草買いに来た」
「そ。珍しいね」
「ナマエに頼んでも無視するから俺がわざわざきてんの。…なんで今日、後ろなんだよ」
「別に」
「なんかされた?こないだ蘭の客とやり合ってただろ」
「なんもされてない。たまには他の子前に入れてあげなきゃ」
「入れるんなら、古株じゃなくて新規の可愛い子にしてやれよ」
「……」
「ちょっと待ってろ」
煙草を買うって言ってレジに並んでたイザナが、レジの列から離れてく。
狭い通路をくるりと回って、戻ってきたイザナの手にはチュッパチャプスがひとつ。レジの順番がやってきて、煙草ではなくチュッパチャプスひとつだけをお買い上げしたイザナは、私のコートのポケットにそれを押し込む。
「後で、それで煙草一本付き合えよ」
耳元で囁いて、コンビニを出たイザナはイザナに気づいて寄ってくるバンギャルの波を掻き分けて走り出して行った。

その日の出待ち。
「ナマエさ。それ舐め終わるまで、どんだけかかんの?」
生理的に飴を噛めない私がチュッパチャプスを舐め切るまで、イザナはずっと隣にしゃがみ込んで煙草を吸ってた。










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