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2006年1月28日 高田馬場AREA

天竺の機材を積んだ車の近くで、天竺のメンバー達の出待ちの為に仲間内みんなで待機していた。喋ってたり携帯弄ってたり各々好きに行動している中、最近ちょっとゴタゴタして私達常連のグループから外れた蘭の子の代わりに蘭前に入るようになった女の子に、話しかけられた。
「あの。ナマエさんなら、曲のフリ全部わかるって聞いて…」
いかにも勇気を出して話しかけました!というていの彼女は、おずおずと私を見る。怖がられてるのがヒシヒシと伝わってきて、なんだかおかしくなった。
まぁ、新規は常連が怖くて当たり前。だって、統制を取りたいから怖がられるようにしてるもの、私達。
「わかるよ。なんの曲知りたいの?」
少し偉そうな態度は崩さずに尋ねると、彼女の口から出たのはちょっと懐かしい定番曲。天竺の曲数が増えてくると、ライブで演奏する定番曲も変わってゆく。新曲に機会を奪われて、対バンのイベントではムリだけどワンマンでなら聞ける曲になって、それがワンマンでもレアな曲になって、そのうち前奏のワンフレーズが奏でられただけで私達が発狂する曲になる。
「もう、あんまライブでやんないと思うけど
「この曲好きなんで、覚えたくて。前にライブで、常連さん達見てマネしてたんですけど、ちゃんとできるようになりたいから、教えてもらえませんか?」
必死に主張されては仕方ない。っていうか、この子この曲ライブでやってた頃も天竺来てたんだ。ここ数回の新規かと思っていたらそうでもない様子の彼女に、少しだけ興味が湧いた。
このバンギャルの常連組なんていうめんどくさい人間関係の空間で、彼女がもし蘭の前に残り続けたなら長い付き合いになるかもしれない。
「いいよ
彼女のリクエストの曲を口づさみながら、曲のフリを移してゆく。天竺の曲のフリを作ったのは、私。こうしてみんなに伝えるのも、やっぱりいつも私。
バンギャのフリというのは、独特な動きではあるが手話みたいなもの。歌詞の言葉の意味にそう動きの組み合わせが多く、そのバンドごとの色も出る。
その手の動きから、そのバンギャの歴や通ったバンドが伺い見れるのもフリである。
滑らかで慣れてそうなその手つきに、彼女のギャ歴の長さを見た。
「天竺の他どこ行くの?」
「いろいろですけど…」
そうひと言添えてから、彼女はいくつかのバンドの名前を口にした。
「ナマエさんは?」
「私は今は天竺だけかな
「へぇ。ナマエさんが常連さんで一番古いって聞きました
「まぁ、初ライブからいるからねー
天竺の初ライブだった日を思い出す。客席よりステージの上の方が大人数だったはずの天竺が、今じゃ常連組のがメンバーより多い。だから昔みたいに、各々がメンバーを占領なんてできなくて譲り合ってる。故に様々な不満からごたつく。それは仕方のない事だ。
「あ、蘭様…」
仲良く蘭と竜胆が並んで坂を下ってくるのが見えた。
とたんにソワソワする彼女は、じっと蘭を視線で追ってる。それにあの営業兄弟が気付かないなんてわけなくて、ひらひらと彼女に手を振る蘭。それを見た竜胆が真似て手を振ると、竜胆に軽く殴りかかるフリをする蘭。兄弟揃ってそんなことばっかりやってるから、勘違いする子を増やしてく。
「行ってきたら?」
「ナマエさんは?」
「ムーチョはまだ時間かかるよ
ファンサ大好きな蘭や竜胆と違って、私の目当てはまだ出てきそうにない。結局天竺のメンバーの中で1番最後に姿を現して、差し入れを渡しに来たファンの子と話してる。そんな様子を遠巻きに見ながら、胸に締めるのは僅かばかりの誇らしさと目一杯の寂しさ。
それらを噛み締めながら、ひとり煙草に火をつけた。オイルが燃えた匂いが漂う中で、ガチャリと金属音が辺りに響いた。

やがて天竺のメンバーはみな、楽器や機材を積み込んだ車に乗り込み出発する。それを見送り、みんなで急な坂を登って駅へと向かった。
「ナマエちゃん、地下鉄じゃなかったっけ?」
いつもと違う改札口へと向かう私に、仲間内の1人が声をかけた。
確かにここから地下鉄に乗れば、自宅に帰るのに都合が良い。でも、今日は行き先が違う。
「ん。彼氏んとこ行く約束してるから
「こんな時間からー?」
「いーなぁ。彼氏。全然出会いないもんなー
「学生はまだ学校に男居るだろ
「無理ですよ。V系への理解ないですもん
「おんなじバンドのライブ何回も行って馬鹿みたいとか言われるんですよー!」
「毎回、全然違うじゃんねー
それぞれが帰りの路線へ乗る為に、駅の中を進んでゆく。私もいつもと違う改札口を通って、向かった先は一人暮らしの彼氏の家。預かっている合鍵を使って、中に入るとそこは真っ暗。電気をつけて足を進め、エアコンのスイッチを入れた。
静まり返った家主のいない部屋で、コンセントから繋がる充電器を携帯電話に差し込む。明るく光る画面に表示された時刻は深夜の1時。ごおおっとモーター音と共にエアコンから暖かい空気が吹き出し始めて、玄関の方でガタリと物音がしたからリビングの戸を開けて出迎える。
「おかえり。やすくん。おつかれさま
小一時間ほど前にファンの子からもらった差し入れの入った紙袋と大きな鞄を差し出してきたのは、ついさっきまで天竺のムーチョだった男。
「ただいま
私は彼氏が差し出してきた荷物を受け取り、それを片付けるべく足を進めた。


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