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秋の街路樹


久しぶりに歩く表参道は、十数年前と同じところと知らない建物が混在していて、上京したての頃のあのワクワク感を再び引き出してくるから不思議だ。
「なぁ。ナマエが東京住んでた時と変わった?」
初めて東京に足を踏み出した彼に尋ねられて頷く。腕を組み、あの頃と変わらぬ街路樹の下を進んでゆくと、懐かしい香りが鼻を擽り思わず目を瞬いてしまった。それは上京してすぐに私を虜にした悪い男と同じ香りで、同じ香水を使う人とすれ違ったという些細な事の筈なのに、胸騒ぎが止まらずに足がすくんでしまったのだ。
「ナマエー?」
急に足を止めた私を心配するように窺い見る薄紫色の瞳が上目遣いにこちらを覗く。
上京したての不安な気持ちに付け入られて孕まされ、夢半ばで田舎に帰る原因となった悪い男に随分と似てきてしまった顔に覗き込まれて、私は頬に作り笑いを貼り付けた。
「ちょっと、嫌な事思い出しちゃって…。ごめんね、らんちゃん。行こ」
生まれて初めての東京に胸躍らせている様子の息子と腕を組み直して、竦んでしまった足を再び踏み出したのだけど、息子と腕を組む反対側の手首を掴まれてその場から動けなくなる。
「ナマエ?やっぱり、ナマエだ」
私の名を呼ぶその声は忘れようにも忘れられなかったものと酷似していて、先程からの胸騒ぎの原因となる香りが辺りを包んだ。
「あ…あの、人違いです。すみません」
姿なんて見なくても解ってしまった。私の本能が逃げろと叫んでいる。私の守るべき者を何かが起こってしまう前に、ここから一刻も早く遠ざけなければ!
息子を庇うように逃げに走ろうとする私の手首を痛い程に掴んだその人は、人違いと言っても放してはくれず、逆に私を引き寄せた。
視界に入ったのは、仕立ての良いスーツのストライプの布地。長かった髪はだいぶ短くなりふんわりと流され、息子とよく似た下がり眉の下で綺麗な薄紫の瞳がこちらを見た。
「やめろよ!おっさん!ナマエに手ぇ出すんじゃねー!」
そして威勢良く担架を切る我が息子。
喧嘩っ早い少年を片手で押さえられるなんて無理な話で、彼の拳は見事にスリーピースのスーツの腹に決まり、スーツの袖が息子の襟首を掴んだ。
「らんちゃん、やめて!」
慌てて叫んだ私の声に、ぱたりと静止する目の前の2人。
「なんなんだよ、ナマエ。このおっさん知り合い?」
「おい、ナマエ。いきなり殴ってきてこのガキなんなんだよ」
なんなんだ。と口を揃えて言う2人を見遣り、私はもう覚悟を決めるしかなかった。
「あなたの、父親で、息子よ」
ぽかんと口を開けて息子をまじまじと見る蘭。そんな父親の姿を見上げて、息子はまた大きな声を張り上げた。
「はぁ?こんなくたびれたおっさんが親父なわけねーだろ。俺の親父は、チームの第弍席ですげー強くてかっこよかったんだかんな!」
ほら。と、得意げに息子が取り出したスマホケースに挟まるのは十数年前の六波羅単代の特攻服を見に纏った蘭と私のプリクラで、それを見た蘭がぷくくと吐き出して肩を揺らして笑ってる。
「そんな喉んとこのショボいタトゥーなんかじゃなくて、親父の体には左側全部にタトゥーがっ…!…」
蘭の喉を指差す息子を見て、蘭が着ているシャツのボタンを外して襟元をはだけさせ、プリクラと同じタトゥーを見せるものだから威勢の良い息子の声すら止まってしまう。
「うそだろぉ…」
さああっと青ざめた息子がこちらへと縋るような目で見てくるではないか。
「なにナマエ。すげー強くてかっこいい俺の事捨てて行った癖に、しっかりガキに語り継いでるってどう言う事?」
青ざめた息子をあやすように引き寄せた私の首根っこを蘭が掴んで、首を傾げてこちらを覗き込んでくるものだから血の気が引いた。
「いきなり俺の前から行方をくらませて、俺によく似たガキに俺みたいな名前付けて、表参道をそいつと和やかに腕組んで歩いてる理由を説明してくれるよなぁ?」
一気に蘭に捲し立てられて凄まれ、ガクガクと首を上下に振ってみせるとやっと解放されて一息つく。
「ずっと探してたんだかんな。良かった、無事で」
そして息子ごと私を抱きしめた蘭がポツリと呟くものだから、今まで張り詰めていたものが全て解けて彼の胸に寄り掛かってみることにした。
「ちょ…おっさん、親父だかなんだか知らねーけど、ナマエから離れろよ」
「うるせー、クソガキ。人の女をナマエ呼ばわりしてんじゃねーし」
「らんちゃん、はなして」
「「やーだ♡」」
こんな所でこんな事で親子で結託しないで欲しい。お願い、はなして。


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