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令和の花火大会の夜に
花火大会に行こうと最初に言い出したのは、息子だったか竜胆くんだったか。
「花火って、神宮の?あれ?……今日のは、隅田川だっけ?」
「原宿のやつ」
春に上京してきてからは、今までテレビの画面でしか目に出来なかった事を、息子は実際に体験したがる。それは学生時代に上京した時に私も経験した事があり、あの時、蘭が私にしてくれた様な事を竜胆くんが率先して息子にしてくれている。
親としてそれはとてもありがたい事ではあるのだけど、あんまり竜胆くんに頼ってばかりでは、よろしくないと感じているのも親だからこそである。
「ね。ナマエも。行こうよ、花火」
「うん。いーよー」
花火大会へ行く予定など無かったけれど、幸い今日の夜は仕事のシフトが入っていない。息子からの誘いに即オーケーを出したところで、竜胆くんが蘭も呼ぶと言い出した。
息子のところに遊びに来ている竜胆くんも一緒行くであろう事は、彼らの雰囲気から察していたが、蘭まで呼び出すとは初耳である。どうしてそこに蘭が登場してくるのか、私には理解ができなかった。
「蘭ちゃんも行くの?」
「呼ばねーの?」
私の問いかけに、まるで蘭を呼ぶ事が当たり前であるかのような表情をした竜胆くんが聞き返して来て、返答に困る私は、今は蘭に会いたくない理由がある。
先日蘭に押し付けられたダイヤのリングの、プロポーズの返答をまだしていないのだ。その場で私の回答を求める事をしなかった蘭は、後日、私にその回答を迫る事もして来ない。
変わらず頻繁に連絡は来るけれど、蘭からの呼び出しはあの日から一度も無い。蘭に誘われて私が赴く事で、私と蘭の逢瀬は成立していた。
蘭に呼び出されなければ、私達は実際に顔を合わす事が無いのだ。
息子を相手に、今回と蘭との事を話す事なんてもちろん出来なくて、だからといって大きなダイヤのついたリングを無かった事にすは事も出来ない。
どうしたら良いか解らぬまま、もう、一月が過ぎていた。
「親父も今日休みー?」
「いや、そろそろ終わるはず」
「じゃあ……俺、ライン送っとく」
「おー」
私をそっちのけにして竜胆くんと息子が会話し、蘭に連絡をしているのか、息子はスマホを弄り始めた。
流石に蘭にプロポーズされた事まで竜胆くんに話すなんて事、私はしていないのだけど蘭はどうだろう。今のわたしのこの微妙な状況をどこまで把握しているのか計り知れない竜胆くんは、息子の横から息子がタップするスマホの画面を覗き込んでいる。
私と息子が住む家のリビングなのに、この場に自分の居場所を見つけづらくなって、そっと私が席を立っても彼らは気にも留めなかった。
竜胆くんと息子と私とで、夕暮れ時の原宿を歩く。
きっと花火大会が目当てであろう若い子達が、華やかな浴衣姿で歩いてゆく姿を横目に、昔、蘭に連れて行ってもらった花火大会も確か神宮の花火だったと思い出した。
蘭に選んでもらった真新しい浴衣に合わせて下ろしたばかりの下駄で足が痛くなったのを覚えている。見かねた蘭が、絆創膏を買いに行ってくれたら女連れで戻ってきたから、酷く腹を立てたんだっけ。
「もっと早く言えば、イイ席買っといたのにさー」
「東京って花火も席買わないと見れねーの?マジだ。すっげーな」
「見れなくはねーよ。ほら、空にどーんって上がるし」
「だよな。リンドー、びびらせんなよ」
「兄貴が知り合いの店押さえたから、テラスで美味いモン食いながら見れんぞ。もちろん、オマエのオヤジの奢りだ」
「え。そういうカンジ?レジャーシート持って来ちゃったじゃん、俺」
「らんの地元の花火大会って、そーいうカンジ?」
なんだかとても楽しそうに談笑している息子と竜胆くんの隣を進んで行く。
学生時代に散々遊んだ原宿の街とは全く違って見える現在の原宿は、私にとっては知らない街だ。
竜胆くんの案内で、やってきたのは洒落たイタリアンのお店で、竜胆が言っていた通りに広いテラスの席へと案内される。ここが蘭の知り合いのお店という所なのか。今日なんてきっと花火大会目当てのお客さんの予約で一杯であっただろうに、こんなに素敵なお店の花火を見るには打ってつけのテラス席をこんなにも急に用意してもらえるなんて、蘭がどんな手段を取ったのかは考えたくない。正当な方法を持ってしたならば、蘭の人徳の高さに驚いてしまうところである。
竜胆くんと息子と三人で席につき、メニューを眺める竜胆くんに「とりあえずナマエちゃんもビールでいい?」なんて聞かれて、とりあえず頷いた。
兄貴が知り合いの。と、竜胆くんが言ったものだから、てっきり蘭の知り合いのお店であると疑う事なく入店したところなのだが、実際のところこの店は蘭と竜胆くんの知り合いのお店の様だ。
勝手知ったるかの様な振る舞いで、オーダーしてゆく竜胆くんがそう思わせた。
息子と竜胆くんとの話題は尽きない様で20歳もの年の差なんて感じられない程に盛り上がっている。竜胆くんの甥にあたる、ウチの息子と、まるで友人の様な付き合い方をしてくれる竜胆くんが頼もしくもあり、不安の種でもあり。
まだ高校生の息子をキャバクラに連れて行くような事を私に言う様な人で、蘭と同じ反社会的組織に所属している竜胆くんと一緒にいる事が、息子にとって悪影響にならないか。そこをずっと今でも警戒している。まだ社会的な責任を取る事ができない息子の管理は親である私の責任。いくら息子にとっては血縁者とはいえ、息子によろしくない事は認められない。親だもの。
空も夜に近付いて、花火が上がり始めた。お店のオススメというピザを片手に、夜空に咲く花へと小さな歓声を上げる息子の姿を、竜胆くんが満足気な表情をして見ている。そんな竜胆くんの顔には、やっぱり兄弟なだけあって蘭の面影が見えた。
竜胆くんと乾杯したビールのグラスも底が見えた頃には蘭もここへやって来た。彼が仕事へ向かう前や仕事の合間に会う事はあっても、仕事帰りの姿を見るのは東京に来てから初の事。
とはいえ、竜胆くんの隣の席の椅子を引く蘭は、仕事に行く前の姿とはなんら変わらなく見える。仕事終わりでは、体力だけでなく容姿も大分くたびれる私とは大違いだ。
「おまたせ」
「おつかれさま」
「テメェら、ほんと急すぎるから」
「ごめんって。でも、親父すげーじゃん。花火見ながら焼きたてのピザとか最高」
「だろ?ソレ、俺も食うからもう一枚頼んで」
「俺、ビールおかわり」
「了解」
息子と竜胆くんと蘭の和気藹々としたやりとりが目の前で繰り広げられているのだけど、それに参加できないでいる私の前の席に蘭が座る。
「竜胆がソッチにお邪魔ばっかしてて、悪いな」
確かに息子の部屋に出入りする頻度が一般的に伯父としては多すぎるような竜胆くんへのコメントには返答し辛く、曖昧な笑顔で濁したところで、店のスタッフがオーダーを取りに来た。
蘭と竜胆くんの注文とさらに何品かを息子がオーダーして、蘭がさらに追加で何かを頼んでいるようだったけれど、いくつもの花火が立て続けに打ち上がったせいで、何にも聞き取れない。蘭がこちらへと目線を寄越しながら何か言ったけれど、何を言われたかも解らなかった。僅かに首を傾げた私に気づいた蘭が目尻を下げて微笑んでから、蘭の目線は私からオーダーを取ってくれているスタッフへと向く。
しばらくしてからボトルワインがテーブルへ運ばれてきて、ワイングラスをが蘭と私の席に置かれた事が、先程の蘭からの問いかけの内容だったのだろうと予想させた。
「これならナマエも飲めるよ」
淡いピンク色した液体がワイングラスへと注がれる。
ワイングラスをそっと持ち上げていくと、華やかなフルーツの香りが揺れる。可愛い色をしたワインへゆっくりと口をつけてみれば、軽くすっきりとした喉越しで、蘭の言葉の通りに飲みやすくて美味しい可愛い味だった。
「ナマエも食うだろ?」
そう言いながら、私が使っていた取り皿へ息子が手を伸ばす。
「らんちゃん。もう、お腹いっぱいだよ」
「じゃ、半分こしよーよ。ほら」
皿に取り分けてくれたピザを、息子がフォークで半分に割こうとするのだけど半分こには程遠い形に切り分けられた。そのうちの大きな方のピザを、息子はフォークで持っていき、それを見た蘭が口を挟んだ。
「オマエ、半分こって言っておいてソレはねーだろー?」
そう言う蘭の一口ちょうだいも、一口が大きすぎた経験しかないのだけど、私のそんな経験を竜胆くんが代弁した。
「人のこと言えっかよ。兄貴の半分こも大概だぞ」
「いつの話してんだよ」
「は?覚えてねーの?つい一昨日だって、だいたい兄貴が食ったじゃん」
「一昨日とか、竜胆とナニ食ったっけ」
「ドーナツ!もー、忘れてンの⁈」
「一昨日の記憶ねーとか、親父、流石にヤバくね?」
竜胆くんと蘭の掛け合いに自然に入って行く息子を傍観していると、蘭が取り皿を息子に差し出す。
「うるせーよ、クソガキ。俺もピザ」
「ん」
小さく頷いた息子は蘭から皿を受け取り、ピザを一切れ乗せた皿を蘭へと差し出す。それを受け取った蘭は、その皿をそのまま私の前へ置いた。
「蘭、私もう……」
「食えるだけ食えよ。残った分は俺がもらうし、心配すんなー?」
「うん……」
蘭に言われ、促すような目付きで真っ直ぐに見つめられてまうと、不思議とピザに手を出さないワケにはいかない気がしてきてしまう。あと一口二口程度なら食べられるし。と、蘭の取り皿からピザを取り上げて口へと運ぶと、蘭はどこか誇らしげに口角を上に持ち上げた。
結局、息子が半分こと言っていたはずのピザは全て息子のお腹へ入り、蘭から差し出されて私が少し口にして食べきれなかったピザは蘭が自分の手元へと持って行った。
いつの間にか花火の打ち上げも終わっていて、蘭がオーダーしたワインのボトルも空となり、そろそろという空気を感じた頃には、竜胆くんが伝票を持ち席を立つ。このままではまたご馳走になってしまいそうな予感から席を立ち竜胆くんを追いかけたのだけど、今日も「いーよ、俺らが出すし」と言われてしまった。
「じゃあ、端数とか……」
「カードで払うから端数もなにもねーな。ざんねーん」
ふざけた様な口調で言って竜胆くんはクスクスと笑う。
「もー、いつも出させないんだから」
「そりゃそうだって、俺らとナマエちゃんだろ?ナマエちゃんに出させるワケにはいかねーじゃん」
「どうしてよ」
「いーじゃん、家族なんだし」
「らんちゃんは兎も角、私は家族じゃないでしょ」
「でも、なるんだろ?」
「……なるわけ無いじゃない」
「兄貴からのプロポーズ、受けたんじゃねーの?」
さらりとまだ誰にも話してなどきない重大な事を口にする竜胆くんは、やはり私と蘭との間の事を把握しているようだ。
「まだ、返事してないから」
「でも結婚するんだろ?」
「それはないと思う」
「は?」
キョトンとした顔で目を瞬いた竜胆くんは、お会計の為の伝票を店のスタッフへ渡してから、体ごとこちらを向く。竜胆くんと向かい合って、もう一度、私は蘭と結婚する意思がない事を告げた。
「蘭ちゃんと結婚はしないよ」
「そっか。どうして?」
「私はあの子の事で手一杯だもん」
「でも、らんだってもう少しすりゃ自立してくし、アイツを理由にするなら、ちゃんと父親と一緒になっても筋が通ってると思うけど」
「……蘭ちゃんに、またなんか言われた?」
「別に、今のはただの俺の意見」
「そう……」
そこで私が口籠ったのは、息子が蘭と連れ立って歩いてきたからで、竜胆くんもこのことに関してはそれ以上何も言わなかった。