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そっと蘭の指を握り返すと、すぐに爪先を撫でてくる蘭の親指。
髪の毛に薬剤を塗られた私の横で蘭は長い足を組んで雑誌を巡っている。チラリと横目で蘭の横顔を盗み見ると、蘭は紙面から顔を上げてこちらを見る。
「しみる?」
「……ぇ」
「あたま」
「ううん」
「そー」
「蘭くんとおんなじで良かったかな?」
私と蘭との間に降りた影。
続いて、カチャリと陶器と陶器がぶつかる音がして、蘭が雑誌を避けたところにソーサーに乗ったカップが二つ並べて置かれた。白い湯気を登らすオシャレなカップからは、コーヒーのいい匂いがする。
「いーよ。ありがと」
片方のソーサーの上には何もないのだけど、もう片方のソーサーの上にはスティックシュガーとコーヒーフレッシュが乗っていて、そのうちのスティックシュガーのみを取り上げた蘭がコーヒーを運んでくれた美容師さんへと差し出す。蘭と気心知れていそうな彼は、蘭の手元からそれを受け取り、踵を返して行った。
私の手を離して、ソーサーの上に残ったコーヒーフレッシュの容器を取り上げた蘭は、ポーションカップのつめの部分のプラスチックを小気味良い音を立てて割る。整えられた爪がきらりと光爪先が器用にポーションカップの蓋を開いて、じんわりと深く赤黒いカップの中へとまっ白を注いだ。
ゆらりとゆらめく白が浮かぶ中へ、銀色のスプーンを差し入れた蘭がゆっくりとスプーンを動かす。蘭に操られてくるりと円を描いてコーヒーに飲み込まれてゆく白が、ゆるやかにしっかりと混ぜ合わさり、カップの中は均等なベージュへと色を変えた。
その一部始終を目で追っていた私の前へ、蘭がミルクだけを入れて混ぜたカップとソーサーを静かに置く。
これは蘭の好みのコーヒーではなく、私が飲みたいコーヒーでもなく、蘭が私に飲ませたいコーヒーだ。それを成すがままに受け入れる私は、静かにカップへと手を伸ばす。華奢な持ち手を指先でつまみ、隣の蘭を見上げて「ありがとう」と一言告げれば蘭の口元はやっぱり綻ぶ。
甘くないけれど柔らかな風味となったコーヒーを、そっと喉に流し込む。得意ではない苦味がじんっと下を痺れさせるのに、鼻に抜ける風味は柔らかかった。
そうして染められた私の髪は、想像していた色とは全く異なる仕上がりを見せた。
蘭の指示で変な髪色にされるかもしれない可能性に内心怯えていた私が馬鹿みたいな程、蘭の見立ては正しかった。シャンプー台へと案内され髪に塗りたくられた薬剤を流して、シャンプーとトリートメントをしてもって再び鏡の前に戻ってきてから、鏡に映る髪色に不安しか無かった。
鏡の中の私の髪の色は暗めの茶色に見えたのだけど、それは濡れているからで、乾かしてみたらとんでもない色をしているかもしれないも思っていた。だからこそ、美容師さんの操るドライヤーの風に靡く私の髪が怖かった。
子供の頃から灰谷くん達に揶揄われていた癖毛は、とても上品で落ち着いた仕上がりとなっていた。おとなしいけれど、重たくもなく、肌の色にも浮かなくて、なんていうんだろう、洗練されたような、そんな感じ。私ではこんなの自分でオーダーできない。
鏡越しに私を見る蘭が、してやったりといったように口角を上に向ける。
なにかまた嫌な事を言われる気がして身構えた所で、蘭が美容師さんに呼ばれて席を立った。蘭と離れている間、蘭の言う通りにおとなしく座っていると、鏡の中の私が私ではないみたいに変わってゆく。
劇的なイメージチェンジという程カットされてなんていないのだけど、髪の毛の長さだって殆ど変わっていないのだけど、びっくりしてしまう位に私ではないのだ。ちょっもソワソワしてしまう私の隣に髪の毛にターバン状にタオルを巻き付けられた蘭が戻ってきて、鏡越しに目が合った。
「俺の抜群のセンスとカリスマ美容師の腕に頼っても、流石にナマエの不細工は隠しきれねーか♡」
そう言って、ふふふ♡と鼻で笑う蘭の表情に見覚えがある私は、また鼻を啜りそうになってしまうのを、ぐっと強く奥歯を噛み締めて堪える。蘭の暴言に泣くものかと、目頭に力を込め、掌に爪を立てて強く握り込んだ。
「ま、俺しか気づかねーだろーけどー?」
蘭が私の拳を取り、手の甲に蘭に残された傷跡に触れた。彼の物言いに眉を顰めてしまった私に蘭の綺麗な顔が近づく。
「ナマエの事、こんなに近くで見るのは俺しかいねーもん」
向けられた心ない言葉から胸に広がった悔しさを、蘭の柔らかい声が拭い取る。