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黒川イザナが死んだって 

 黒川イザナが死んだらしい。
 ずっとイザナの誰よりも近くに居られるものだと思っていた私がイザナの死を知ったのは、イザナが死んだという日から半月以上が経ってからだった。

 普段から連絡がマメでないイザナではあるが、あまりにも音信不通が過ぎてイザナの家に行ったら、表札には黒川の名は無くもぬけのからだった。
「あの野郎、完全に私のこと切りやがった」
 電話しても繋がらないし、メールも返ってこないはずだ。多くを語らないイザナだから、彼の気持ちを耳にした事なんてないけれど、イザナに好かれている自信はあった。イザナに愛されているという自覚もあった。
 だからこそ、イザナの口からちゃんと聞かないと気が済まなくて、イザナの居場所を知っているであろう鶴蝶に電話をしたのに、あの子ったらこんな時に限って携帯電話の電源を切っているなんて信じられる?
 むしゃくしゃする気持ちを抑えて次に発信したのは、イザナの犬の女。いつも余計なことばかり口走る彼女なら、イザナの居場所を獅音から聞き出せる。そう思ったのに、いつもならうるさくお喋りが過ぎる口が、今日は電話越しに口籠る。
「だから、イザナ今どこ?」
 なんだか歯切れが悪く「もしかして、なんにも知らないの?」なんて言ってくる獅音の彼女へ「なんも知らないから聞いてんの」と答えた私に、彼女はしっかりとした声ではっきりと言ったのだ。
 
「イザナくん、亡くなったんだよ」
 
 イザナが死んだって。
 信じられない。
 知らなかったのは私だけ。
 なんでイザナが死ぬの。
 どうして鶴蝶は生きてるの。
 なんでイザナを守らなかったの?
 みんな、何していたの?
 何のために、あの夜イザナと一緒に居たの?

 どうして?

 イザナの居た家から自分の家に帰るまでの間、ずっとそれだけが頭をめぐってた。
 
 スーツケースひとつを引っ張って、勢いで横浜を飛び出した。
 住まいを引き払う事はできても、新しく部屋を借りる事はできない。そんなお金無いし、施設育ちの私には保証人もいない。保証人の名前を貸してくれる、イザナもいない。横浜天竺のイザナの女だからと顔をきかせてくれる大人はもういない。 
 安易な考えだってわかってる。
 だけど、私には住む場所と金が必要で、保護されるべき児童では無くなった未成年のわたしにも、必要なそれらを簡単に提供してくれるのはソウイウところだ。

 寮と呼ぶにはあまりにもおざなりな小さな部屋をあたえられ、店に出勤しては宛てがわれた客を接客し送り出す。ぼんやりと何も考えないように生きながら、体を売るという作業に明け暮れていた私にも、段々と現実が見えて来る。そうなれば、イザナが居ないこの世界で生きる必要性に疑問を抱くのは容易かった。
 イザナが死んだ理由なんてわからないし、こんな事して生きる世界に未練などない事に気づいたその日。店から寮へ戻る道すがら、大きなトラックが交差点に侵入しようとしたタイミングで、私は赤信号に向かって飛び出した。
 急ブレーキをかけたトラックの運転手は、「死にてぇのか⁉︎」と怒鳴ってから、私を避けて走り去って行く。
「死にたい、よ」
 そう、呟いてみたって誰も私を殺してなどくれない。
 自らを殺める勇気のない私は、あの小さな部屋に戻るしかなくて、また明日もこの道を辿って店に出勤するのだ。
 私のイザナは殺したくせに、私を殺してくれないこの世の中は嫌味な程に辛辣だ。
 
 黒川イザナという男は、口を吐い出るのは嘘ばっかりで、いつも前だけを見据えていたから、私はもうあの人の背中しか思い出せない。
 イザナって、どんな顔をしていたんだっけ?

 新人というタグが外れて久しく、連日しとしとと降り注ぐ雨も相まって客足が遠のく閑散期に、珍しく私に予約が入ったらしい。その予約について店の者が何かを言っていたが、そんな事に興味のない私は何も聞いてなどいなかった。
 私を指名して来店したのは灰谷蘭だった。
 見間違い様のない個性的すぎるその出立ちは、黒川イザナが従えていた灰谷蘭で、その顔を見てイザナの真っ赤な特攻服が鮮明に脳裏に浮かんだ。真っ赤な背中に浮かぶ文字は忘れられないのに、イザナの顔は蘭君を視界に入れても浮かんでなど来ない。
 ねぇ、イザナって、どんな顔をしていたんだっけ?
 こっちを向いてよ、イザナ。
 

 


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