蘭(8)と竜胆(6)と夏休みを過ごす話
学校が夏休みになったとたんに、毎日のようにウチに朝ごはんをねだりにきていた小さな兄弟が全く姿を見せなくなったのは一週間位前の事。
そういえば夏休みは旅行に行くって言っていたなぁ。とぼんやり思いながら、静かで穏やかな午前中を過ごしていたのは一週間程の間の事。
そしてまた今朝からピンポンの連打で起こされる。
近所迷惑にもなりかねないそれを止めるために、起き抜けのパジャマ姿のまま玄関の鍵を開けると、待ってましたとばかりに開かれる扉。
夏休みの朝のラジオ体操帰りの小さな兄弟が、勢い良く入ってきた。
紐に繋がれたラジオ体操カードを首からぶら下げて自慢気に見せてくる竜ちゃんと、ラジオ体操カードを首からぶら下げるのはもう去年で卒業したらしい蘭ちゃんはラジオ体操カードを折り曲げて無理矢理ぽっけに突っ込んでる。
朝に弱い蘭ちゃんなのに、弟を連れてちゃんと夏休みのラジオ体操に連れてってあげるなんて偉いじゃない。と、起きれなくて参加のハンコがなかなかもらえなかった去年の蘭ちゃんを思い出していると、勝手知ったる私の家で各々過ごし始める兄弟。
「ナマエ、もうすぐ麦茶無くなるから作っておけよ」
冷蔵庫の扉を閉めながら言う竜ちゃんの言葉使いも、最近どんどん蘭ちゃんに似てきて可愛くない。幼稚園の制服からランドセルに代わってもう5ヶ月。子供の成長は早いな。なんてしみじみ思いながら、ずいずんと背が伸びた2人を眺めた。
一年生の竜ちゃんもそろそろ大きいジェットコースター乗れるくらいじゃないかしら。
「朝ごはんはワッフルでいいかな?」
キッチンへ向かいがてら、すれ違った弟の頭を撫でると彼はにっこりと笑う。
「オレ、いちごジャムな!」
「俺はワッフルふたつ」
「オレも!」
「竜ちゃんもふたつも食べられるー?」
お兄ちゃんの真似したがる弟に聞き返すと、食べる! と大きな声でお返事されてしまった。
卵牛乳を混ぜていると、お兄ちゃんがキッチンにやってきてホットケーキミックスの袋を用意してくれた。
「蘭ちゃん、ここいれて?」
「ん」
卵と牛乳が混ざったボールを蘭ちゃんに預けて、ワッフルメーカーのコンセントをさす。
「オレもお手伝いする!」
「竜胆はここ押さえてろ」
ボールを弟に押さえさせて、ホットケーキミックスを入れた兄は再びボールの中を泡立て器で混ぜ始めた。
普段料理なんて手伝わない2人だが、ワッフルメーカーは自分でやりたいらしい。
「ナマエはワッフルなんこ?」
「1こ」
蘭ちゃんの問いに答えると、彼は頷いた。そして、弟に尋ねる。
「俺と竜胆が2こでナマエが1こだと、ワッフルは全部で何個焼くでしょーか?」
「え。え。んー! 5!」
「せいかい!」
指を数えて答えた弟と、楽しそうに笑う兄は、ワッフルメーカーに生地を流し込む。
「竜ちゃんすごいね!」
蘭ちゃんが出題した算数の問題に正解した竜ちゃんを褒めてあげると、とても嬉しそうに笑った。
「ナマエ、テーブル見てみて!」
竜ちゃんに促されて、キッチンからリビングへと向かう。すると、テーブルの上に置いた覚えのない紙袋。ハイブランドのロゴ入りだ。
「紙袋あるよ。ママからのお届け物?」
人使いの荒い彼らの親からの御使いかと思って聞き返したのだけどそれは違うらしい。
「ババアはかんけーねーよ。ナマエにお土産。開けてみてー!」
キッチンからパタパタとかけて来た弟に、ババアじゃなくてママだよ。と自分の母親に対する物言いについての注意をしながら、紙袋を覗いた。
ワクワクした目で見てくる弟に急かされて、紙袋から箱を取り出して開封してゆく。紙袋と同じくハイブランドのロゴ入りの箱から出てきたのは小ぶりなポシェットだった。
「え。これ? お土産?」
小学生の2人からのお土産にこんな物をもらうなんて思ってもいなくて驚いてしまう。
こんなの、夏休みに海外旅行に行ってきた景気の良いおじさんが口説いてる飲み屋の女の子に配るようなお土産じゃないか。
箱から出てきた意外なものに目を瞬いてると、兄がワッフルの乗ったお皿を運んでくる。
そしてダイニングテーブルの上に無言でワッフルを置いてキッチンへと戻って行った。
その姿に続いてパタパタと駆け出す弟。
「おうちの中で走ったら危ないよ!」
彼ににかけた小言は、聞き流されてしまったようで彼からのお返事はなく、キッチンで「熱いから火傷しないよーに気をつけるんだぞ!」と、弟を心配する優しくお兄ちゃんの声が響いた。
ダイニングで、小さな兄弟からのハイブランドのお土産と睨めっこしている間に、テーブルの上には3人分の朝ごはんが用意された。
いちごのジャムがこんもり乗ってるその様から、きっとうちにあったジャムを使い切っただろう事が見てとれる。
ドヤ顔でこちらを見る2人に、ありがとうとお礼を伝えた。
このありがとうは、ワッフルを焼いた事になのかお土産に対してなのかわたしもよくわからないけど、焼きたてのワッフルは美味しい。
「旅行どこ行ってきたの?」
あのお土産では行き先が全くわからなかったので尋ねると、2人は口々にワイハワイハと上機嫌に答えてくれる。
あぁ。家族でハワイに行ってたお土産が、ハイブラのポシェットって事ね。
「ジジイがさ、俺の女ならそれ相応のもの持たせないとダメだって言うからさぁ。このくらいなら、ナマエにもちょうど良いだろ?」
言葉の意味をちゃんと解って言ってるのか、親の受け売りを口にしてるのか悩ましい蘭ちゃんにそう言われたが頷きずらい。ってか、私、小2の男とか流石にゴメンだけども。
「うん。ママ達にありがとーって言っておいて!」
このお土産をくれた、人使いも金遣いも荒い彼らの両親にお礼してとお願いする。後で、ママに電話もしておこう。
「でさ。せっかくだからそのバッグで出かけるぞ」
ワッフルを頬張る兄に言われて首を傾げる。
「どーせ、ナマエは暇だろ?」
弟には暇だと決めつけられてしまった。まぁ、確かに暇ではあるがこのヤンチャな糞ガキを2人も連れて出かけたりなんてしたくない。
「んー。いつもの公園でいい?」
「は? 却下」
「そしたら図書館はー?」
比較的近所の安パイな外出先を提案するが、2人からは拒否されてしまった。
「じゃあ、表参道にケーキ食べ行く? 銀座でパフェは?」
「えー。そんなのオレつまんなーい」
ほっぺたを盛大にいちごジャム塗れにした竜ちゃんが、ジャムだらけの頬を膨らませる。
「ワッフル食いながらまた食い物の話とか、ナマエどんだけ食い意地張ってんだよ」
呆れたように蘭ちゃんが呟くのだが、美味しい食べ物を前にすれば君たちでも多少は静かに良い子にできるからだよ!
決して私は食い意地なんて張っていないのだが、今はそんな事言ってられない。
「もう少し夏休みらしいとこ連れてけよ」
「夏休みらしいとこってどこよ?」
文句ばっかり言ってる蘭ちゃんに尋ねてみて後悔した。
「海とか山とか、キャンプとか、プールとか、釣りとか。こう、夏休みっぽいのあるだろ。ナマエ馬鹿か?」
「カブトムシとか、クワガタとかでもいーぞ!」
蘭ちゃんには無理難題言われた末に馬鹿呼ばわりされ、竜ちゃんはもう言ってる事がムリ。そんな虫なんてもう10年以上触ってないもの。
100歩譲って夏休みっぽいとこに連れて行ってというおねだりは可愛い。でもこのヤンチャな糞ガキを2人も連れてそんな事できない。
「ほら、じゃあ。動物園は夏は臭いそうだから、水族館とか…は?」
もう少し現実的な提案をしてみる。水族館なら、品川まで出ればある。
「いいな。それ」
「オレすいぞくかん!」
兄が乗ってくると、弟も乗っかる。
「おっけー。朝ごはん食べたら準備するから待ってて」
という事で、やってきた水族館。
「八景島じゃねーのかよ。シーパラ行きたかったなぁー」
「いや。そんな遠いのムリ」
水族館に連れてきてもらってもまた文句ばかりの蘭ちゃんと、ウキウキしてる! と顔に書いてあるような様子の竜ちゃんの手を引いて水槽を見上げた。
品川だって充分遠出だって。なんで六本木に水族館無いんだろ。
夏休みという事もあり、子連れで混雑している中を一回り以上年の離れた少年2人連れ歩く私はどう見られているのだろう。
いいところ年の離れたお姉さんとか親戚のお姉さんか、はたまた若くして産んだ母親か。
全くの他人なんだけどな。
「ナマエ、なにぼーっとしてんだよ。行くぞ」
文句ばっかりの兄にクイッと手を引かれて、水槽の中を進む。
「すげーキレーだぞ! ほら! あのお魚見て」
ほら、目をキラキラと輝かせてこちらを見上げてくる。
キラキラおめめの弟の指差す先には、色鮮やかな魚が泳いでいて綺麗だ。
「ったく、俺らが連れてってやらねーとナマエはどこも行かないで夏休み終わっちまうだろ?」
溜め息混じりに言う蘭ちゃん。まるで蘭ちゃんが連れてきてくれたような言い方をするのだが、ここまでのタクシー代も水族館の入場料も全部私もちなのだけど。
そもそも夏休みは蘭ちゃん達だけで私はいつも通りだ。
「オレ、ナマエを水族館に連れて行ってやったこと絵日記に書いちゃおー!」
「はぁ? 竜胆、なに人の女勝手に絵日記に書こうとしてんだよ」
「ナマエは兄ちゃんのじゃなくてオレのオンナ!」
「ふざけんなよ。一年生にはまだ早いんだよ!」
水槽を見上げてれば、すぐにまた兄弟喧嘩が始まる彼らの間に入って仲裁しないといけない。
「もー。喧嘩しないの。これじゃあせっかくの夏休みデートが台無しじゃない」
デートという単語を強調してあげれば、喧嘩していた2人が喧嘩そっちのけで目を輝かせてこちらを見上げてくる。
よし、乗ってきたな。
「あーあ。ペンギン見たかったなぁ♡」
「おい、竜胆。ペンギン探すぞ」
「おう!」
私の思惑通りに喧嘩を終わらせた二人に手を引かれて水族館の中を進んでく。
さて、小さな彼氏達と夏休みデートを楽しもうじゃないか。